もともとバッハ大先生の『ゴルトベルク変奏曲』は大好きなのですが
いくつかの盤(版)を聴き直してみて改めていろいろ感じることがありました。
バロックから古典派の作品には楽譜に「繰り返し(演奏)」の指示が多々あります。
バロック時代は1回目は楽譜通り演奏し、2回目(繰り返し時)は即興を加えるということもあったようでが、
それ以上に「曲(旋律)を覚えてもらう」という意図が大きかったのではないでしょうか。
当時は音楽作品が聴けるのは生演奏のみで、それも頻繁にあったわけではないでしょうし、
今のように個人が(自分で演奏するのではなく)音楽そのものを繰り返し(好きなだけ)聴く
というようなことができないのですから。
「先生、大事なことなので2回言いました」という感じ。
『ゴルトベルク変奏曲』は32小節の低音主題が含まれている「アリア」で始まり
それに続き30曲の変奏が展開された後、再び「アリア」が奏でられて曲を閉じます。
(全32曲)
それぞれの曲は前半・後半に分かれており、その全てに「繰り返し」の指示があります。
これを"楽譜通り"に演奏するとCD1枚に収まらない場合もよくあります。
(つまり80分を超えるということ)
個人的な好みや"原典主義"的な方もおられると思いますが
私は正直「全部繰り返し」は飽きてしまうのであまり聴きません。
最初にグレン・グールドの演奏に慣れ親しんだからかもしれませんが
「適度」にもしくは「全部」省略されている方が好き、というより好きな演奏は全部そっちです。
グレン・グールド(1932.9.25-1982.10.4)
試しに、好きな演奏3種類の繰り返し状況?を比較してみました。
(○が繰り返し)
一部、他の方の資料を参考にしている部分もあります。
(私の勘違いもあるかもしれません)
ちなみにグールドのデビュー盤(1955年盤)は繰り返し一切なしです。
グールドはカノンと他数曲、それも前半部分だけの繰り返し。
シトコヴッツキー編曲(演奏)の弦楽三重奏版は、グールドの演奏にかなり"寄せている"印象があったのですが、
比較すると、繰り返しに関しては割と異なりますね。
前半・後半両方とも繰り返してますし。
第16変奏は「曲全体の後半部」の開始という意味合いで「序曲」と名付けられています。
この前半はかなり荘重な曲なので、繰り返すとさすがに重くなると判断したのでしょうか。
後半だけ繰り返しという、かなり珍しいパターンです。
(ピンク色の部分)
ただ、曲と曲との繋げ方など、やはりグールドを意識していると思われます。
ドミトリー・シトコヴェツキー(Vn)/編曲
ジェラール・コセ(Vla)
ミッシャ・マイスキー(Vc)
グールドの新録音(1981年盤)の魅力の一つは1曲1曲を「独立した曲」として扱うのではなく
場合によって数曲を「一纏り」として捉えて、殆ど間を置かず続けて弾いているところにあります。
特に第25変奏の長いアダージョが終わった後、第26変奏~第29変奏をほぼ同じテンポで一気に弾き切るところは圧巻です。
このあたりはシトコヴェツキー盤にも引き継がれています。
32曲を一つの「物語」として完結させるような・・・
これは改めて考えると凄いことだと感じますね。
その後の(この曲の)解釈や世界観を一変させたような気がします。
そして第30変奏とアリア(Aria da capo)をどう演奏するか(演奏したか)という点ですが
ここにも、それぞれの演奏家の新たな「物語」が・・・これは次回。
いくつかの盤(版)を聴き直してみて改めていろいろ感じることがありました。
バロックから古典派の作品には楽譜に「繰り返し(演奏)」の指示が多々あります。
バロック時代は1回目は楽譜通り演奏し、2回目(繰り返し時)は即興を加えるということもあったようでが、
それ以上に「曲(旋律)を覚えてもらう」という意図が大きかったのではないでしょうか。
当時は音楽作品が聴けるのは生演奏のみで、それも頻繁にあったわけではないでしょうし、
今のように個人が(自分で演奏するのではなく)音楽そのものを繰り返し(好きなだけ)聴く
というようなことができないのですから。
「先生、大事なことなので2回言いました」という感じ。
『ゴルトベルク変奏曲』は32小節の低音主題が含まれている「アリア」で始まり
それに続き30曲の変奏が展開された後、再び「アリア」が奏でられて曲を閉じます。
(全32曲)
それぞれの曲は前半・後半に分かれており、その全てに「繰り返し」の指示があります。
これを"楽譜通り"に演奏するとCD1枚に収まらない場合もよくあります。
(つまり80分を超えるということ)
個人的な好みや"原典主義"的な方もおられると思いますが
私は正直「全部繰り返し」は飽きてしまうのであまり聴きません。
最初にグレン・グールドの演奏に慣れ親しんだからかもしれませんが
「適度」にもしくは「全部」省略されている方が好き、というより好きな演奏は全部そっちです。
グレン・グールド(1932.9.25-1982.10.4)
試しに、好きな演奏3種類の繰り返し状況?を比較してみました。
(○が繰り返し)
一部、他の方の資料を参考にしている部分もあります。
(私の勘違いもあるかもしれません)
ちなみにグールドのデビュー盤(1955年盤)は繰り返し一切なしです。
グールドはカノンと他数曲、それも前半部分だけの繰り返し。
シトコヴッツキー編曲(演奏)の弦楽三重奏版は、グールドの演奏にかなり"寄せている"印象があったのですが、
比較すると、繰り返しに関しては割と異なりますね。
前半・後半両方とも繰り返してますし。
第16変奏は「曲全体の後半部」の開始という意味合いで「序曲」と名付けられています。
この前半はかなり荘重な曲なので、繰り返すとさすがに重くなると判断したのでしょうか。
後半だけ繰り返しという、かなり珍しいパターンです。
(ピンク色の部分)
ただ、曲と曲との繋げ方など、やはりグールドを意識していると思われます。
ドミトリー・シトコヴェツキー(Vn)/編曲
ジェラール・コセ(Vla)
ミッシャ・マイスキー(Vc)
グールドの新録音(1981年盤)の魅力の一つは1曲1曲を「独立した曲」として扱うのではなく
場合によって数曲を「一纏り」として捉えて、殆ど間を置かず続けて弾いているところにあります。
特に第25変奏の長いアダージョが終わった後、第26変奏~第29変奏をほぼ同じテンポで一気に弾き切るところは圧巻です。
このあたりはシトコヴェツキー盤にも引き継がれています。
32曲を一つの「物語」として完結させるような・・・
これは改めて考えると凄いことだと感じますね。
その後の(この曲の)解釈や世界観を一変させたような気がします。
そして第30変奏とアリア(Aria da capo)をどう演奏するか(演奏したか)という点ですが
ここにも、それぞれの演奏家の新たな「物語」が・・・これは次回。
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