前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
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(一服ざる)

『ゴルトベルク変奏曲』の物語について②

2021-10-26 00:10:13 | ゴルトベルク変奏曲
前回の続きです。

それぞれの演奏家は第30変奏とアリア(Aria da capo)をどう演奏したのか。


グールドは1955年のデビュー盤について生前インタビューで語っていたそうですが
録音は30の変奏曲を先に行い、その後で冒頭および繰り返しのアリアを録ったようです。
それも「中立な性格」が達成されている21テイク目を採用したとのこと。

私の記憶違い(もしくは誰かの創作?)かもしれませんが、その"意図"は次のようなことだそうです。

30変奏もの長い長い"旅路"の果てに再び現れる「アリア」を
最初の「アリア」と同様に"真っ白"な気持ちで演奏する必要があった・・・
その後の様々な変化(変奏)をまだ知らない「無垢な姿」を表現するために・・・

事実かどうかわかりませんが、でも説得力のある、かつ魅力的な「物語」です。


1955年録音のデビュー盤『ゴルトベルク変奏曲』


シトコヴェツキー盤は大変素晴らしい大好きな演奏なのですが
「物語」という点でいうと、一箇所だけどうしても気になってしまう部分があります。
第30変奏の後半繰り返しです。
(青の部分)


ここで彼らは徐々にテンポを落とし音量を上げ、情感たっぷりに演奏します。
それこそ、聴くたびに涙が出るほど感動的に!
でも劇的で感動的であるがゆえに少し残念な気持ちにもなるのです。

曲はここで終わりではありません。第30変奏がクライマックスではないのです。


一方、グールドは第26変奏~第29変奏を颯爽と弾き切った後、
第30変奏は前半の繰り返しのみで静かに終わっていきます。
再び現れる「無垢なアリア」に引き継ぐように。


塚谷水無子さんが奏でるブゾーニ編曲の『ゴルトベルク変奏曲』は
また違った「物語」を聴かせてくれます。




ブゾーニの編曲では第29変奏~第30変奏~アリアを殆ど途切れなく演奏します。
2つの変奏曲はかなり編曲が加えられ、まるで一つの曲のように前の曲の余韻が残る中、次の曲を紡いでいきます。

そうして再び現れた「アリア」は、冒頭の「アリア」とは全く異なります。
ところどころ声部が消され、輪郭がかなり朧げになっています。
それはあたかも長い旅路の果て、遠い昔(若かりし頃の姿?)の記憶が薄れてしまったかのように・・・

曲の最後は本来4つの音(レ ソ ファ ソ)で終止しますが、ブゾーニの編曲版は終わりません。
同様の音型を2度繰り返した後、3度目でようやく全曲を閉じます。
この"拡大されたコーダ"を塚谷さんは「別れを惜しむかのように・・・」と記しています。


塚谷さんが弾くブゾーニ編曲版を聴くたびに感動する秘密がここにあります。


まだまだ聴いていない『ゴルトベルク変奏曲』が沢山ありますが、
その中からまた、新しい「物語」を聴かせてくれる演奏に出逢えるかもしれません。
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