元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

④リッチー・ブラックモアとグレン・ヒューズ

2007年05月08日 | リッチー・ブラックモア
ハードロック界一のソウルフルシンガーとも
言われているグレン・ヒューズは、トラピーズ
でプロになり、ヒット曲もだした。

驚異的ハイトーンのシャウトは圧巻で、かすれた
ブルージーなデイヴィット・カヴァーデールの
歌声がかすむほど強烈だった。

ジョン・ロードも「デイヴィット・カヴァーデール
よりも歌が上手い。グレン・ヒューズがリードを
とるべきだ」と言っていた。

しかし、リッチー・ブラックモアは「声が高すぎる。
グレンヒューズはライブ中暴れすぎる。彼の声は
神経を逆なでするから嫌いだ」と言っていた。

ボーカリストとして注目されるが、基本に忠実な
ロジャーグローバーの安定プレイに対し、グレン・
ヒューズのノリノリのグルーブ感溢れるベース
プレイも最高です。

グレン・ヒューズは「もっと歌うパートを増やして
くれ」「リッチーが作る曲は古臭い。もっとファンク
色を濃くしたほうがウケる」など、新入りなのに
自己主張し、R&Bやファンク好きのグレンヒューズ
がリッチー・ブラックモアは嫌いだった。

また、グレン・ヒューズは麻薬中毒で、リッチー・ブラ
ックモアは、ディープ・パープルにウンザリしていた。
リッチー・ブラックモアはフィル・ライノットとベイビー
フェイス結成を試みるが失敗し、ディープ・パープルの
前座バンドのエルフと一緒にレインボーを結成した。

リッチーブラックモアの穴埋に、フュージョンギタリスト
のトミー・ボーリンを加入させたが、ブルースやロカビリ
好きのデイヴィット・カヴァーデール、R&Bやファンク
好きのグレン・ヒューズ、フュージョンのトミー・ボーリ
ンによりディープ・パープルは滅茶苦茶になった為、
ジョン・ロード、イアン・ペイスがディープ・パープルを
強制解散した。

③リッチー・ブラックモアとデイヴィット・カヴァーデール

2007年05月08日 | リッチー・ブラックモア
デイヴィット・カヴァーデールがディープパープルに
アドルト的フェロモンの香りを注ぎました。

デイヴィット・カヴァーデールの生歌はホワイトスネ
ークで2回体感しましたが、あの歌声には男でも
惚れてしまいます。

リッチー・ブラックモアの見切り発車で、ディープ・
パープルからイアン・ギランとロジャー・グロー
ヴァーをクビにしたので欠員補充の為、急遽メン
バー募集をした。

ボーカルにはフリーを解散させた直後のポール・ロジ
ャース(現クイーンのボーカル)と話し合い行われ
ポール・ロジャースのディープ・パープル加入は
確実視されていたが、ディープ・パープルサイドが
早まって新聞で「ディープ・パープルの新ボーカル
ポール・ロジャース決定」と発表した事にポール・
ロジャースが腹をたて、ディープ・パープルへの
加入はなくなった。

膨大なテープから、他とは格違いなズバ抜けた
ブルージーなデイヴィット・カヴァーデールを発見。

でも、いざ呼び出してみると、歌唱力には申し分
なかったが、太っていて、目が飛び出て、メガネ、
ヒゲでリッチー・ブラックモア曰く「醜かった」
らしい。そこで、リッチー・ブラックモアは
デイヴィット・カヴァーデールにルックス改造を
加入条件にした。

「痩せろ、メガネはずせ、整形しろ」です。
そして、デイヴィット・カヴァーデールは度重なる
整形により、ホワイトスネーク時は二枚目ボーカリ
ストへと変貌した。

そして、ベーシストは、たまたまラジオで流れてき
たヒットしだしてきてた「トラピーズ」を、リッチ
ー・ブラックモアが聴いて「このベーシストでいい
や」と即決し、メンバーが「トラピーズ」のウィス
キーア・ゴーゴーでのライブを見てジョン・ロード
も気に入り正式加入が決まった。それが、
ベース兼ボーカルのグレン・ヒューズです。

個性が全く違うツイン・ボーカルで、第2期ディープ・
パープルよりも音楽幅が広がった。

イアン・ギランが迫力とインパクトのボーカリストに
対して、デイヴィット・カヴァーデールは深みと
渋さがあった。

ハードロック好きの間ではデイヴィット・カヴァーデール
を「世界一歌が上手いシンガー」と賞賛する人も少なく
ない。

ディープ・パープルのファンの間でも「デイヴィット・
カヴァーデールでのディープ・パープルを再結成して
ほしい」という声が多い。

ディープ・パープル解散後、デイヴィット・カヴァーデ
ールは、ソロアルバム「ホワイトスネーク」が大ヒット
し、ホワイトスネークを始動する。名ミュージシャンを
次々加入させ、ディープ・パープル時代の上司、イアン・
ペイスやジョン・ロードまでも加入させた。
リッチー・ブラックモアのレインボー黄金期に、主軸の
ドラマーのコージー・パウエルまで「うちのホワイトス
ネークなら2倍のギャラを出す」とヘッドハンティング
した。

そのヘッドハンティング騒動により、リッチー・ブラック
モアとデイヴィット・カヴァーデールは敵対関係になった。

その影響で、レインボーのファンはホワイトスネークを
嫌っている人が多い。

でも、結果的にはレインボーやディープ・パープルより
ホワイトスネークは大きな成功を収めた。

93年には低迷期のかつての大物ジミー・ペイジと、
人気絶頂期のデイヴィット・カヴァーデールが手を組み
カバーデール・ペイジを結成した。レッド・ツェッペリン
フリークのデイヴィット・カヴァーデールらしく、
ロバート・プラントのモノマネ色が強かった。

解散、再結成を繰り返しながらも、ホワイトスネークは
いまだ健在で、衰えを知らず、進化しつづけている。

衰退文化愛好家

2007年05月08日 | 音楽・楽器
1つの文化が生まれ、発展し、世に定着すると
古い文化は衰退し滅びます。

しかし、古い文化の愛好者も多く、プレミアが
ついたり、高騰化し発売当時価格より値打ちが
上がる物も多いです。

絵画やおもちゃや骨董品はもちろん、オーディオ
機器や、楽器なども「昔の物のほうが質がいい」
と通は半世紀ぐらい昔の物を買ったりします。

映画「ニューシネマ・パラダイス」では、テレビの
普及で映画文化が下火になり、町の映画館が取り壊
されるシーンがありましたが、唐津市も映画館は
全て姿を消しました。テレビは勿論、様々な娯楽
が出来、映画好きも低価格で自宅で楽しめる
レンタルビデオを利用するようになりました。近年は
自宅で大画面を見れるホームシアターも普及し、
プロジェクターや5.1サラウンドシステムなど
映画館を家に再現し、自宅鑑賞するのが普通になっ
きています。

江戸時代末期、町民の最大の娯楽だった、講壇、
落語、歌舞伎などは大衆文化からマイナー文化へと
以降してきました。

携帯電話の普及により、公衆電話は減少し、誰もが
持ち歩いていたテレホンカードは過去の遺物になり
ました。また、携帯電話は現代人の必須アイテム化
し、携帯依存症と言われる人達まで生まれました。
携帯により、目覚まし時計、腕時計の売上も減少し
固定電話の電話加入者も減少しました。また、今の
携帯はデジカメ機能が必ずついているので、写真
現像者数も急激に減少しました。当然ながら、
携帯の普及でポケット・ベルは完全消滅しました。
そして、メールのやりとりという新文化が定着
しました。ソフトバンクの機種にはエクセル、
ワード機能がついたものもあり、今や携帯で
インターネットは普通です。最新機種では
ワンセグでテレビが見れるものまであるよ
うです。もう、電話とは言えない携帯複合機種
です。

パソコンやゲームを公園や電車でするのも普通に
なりましたが、この分野の終わりなき発展にも
驚きます。僕が小さい頃、ファミコンが発売に
なりましたが、僕は持っていなく、ゲームウォ
ッチで上から落ちてくる玉をザルでひたすら拾
うだけのゲームをやっていました。ゲームボー
イも、18歳の頃ようやく買いました。まだ、
ゲームボーイ・カラーやゲームボーイ・アド
バンスが出る前のモノクロ画像でした。今や
テレビゲームは滅茶苦茶高額なパソコン並の
機能を搭載していて音も映像もリアルです。
ポータブル系ゲームもニンテンドーDSや
PSPのようにテレビゲーム縮小版みたいに
凄いです。パソコンもどんどん進化し、
電子手帳のようなパソコンを使っている
人もいます。

カーナビの普及率も年々アップし、新車に
最初から搭載したものまであります。一昔
前まで、車が道案内するなんてSF映画にし
か無かった世界が現実になっています。

娯楽施設も、ダンスホールやディスコに
代わり、クラブができました。かつて人気
があったピンボールやビンゴ屋は壊滅し
ました。パチンコ、ビリヤード、ボーリング、
ゲームセンターは昔ほどでは無いものの、根
強く人気があります。近年はダーツが熱いか
もしれません。

人間は貪欲な生き物なので、もっともっとと
現状以上の物を追い求めます。今や家電品な
ども低価格な商品と、滅茶苦茶高価な高性能
品が出ています。ドラム式洗濯機やサイクロ
ン式掃除機には信じられないほどの値札が
ついていますが売れているようです。

と、前書きのつもりが長々となりすいません。

僕が書きたかったのは音楽の変化です。
レコードからCDになり、カセットテープに代わ
りMDが出て(MDソフトは普及しなかったですね)
今やインターネットで曲を買うのが普及してい
ます。
昔はテープレコーダーやウォークマンを聴いて
いるのが若者のステイタスでしたが、MDプレイ
ヤーやCDプレイヤーが普及し、数年前ぐらい
からmp3プレイヤーができ、今はi-POD
です。そして、最近のCDコンポなどには
ハードディスクもついていて、機械自体に
CDを録音できるようです。

でも、そいった機種や音楽ソフトそのもの
変化以前に、音楽のありかたが変化してき
たように思います。

特にJ-POP(昔風に言うと歌謡曲や
流行歌)は、カラオケボックス普及で
大きく変化したように思います。

その昔、スナックが、ホステスを雇った
り、お喋り相手をするより、カラオケで
お客に好きに歌ってもらってた方が楽
だし、客も来るということで、スナックは
こぞってカラオケを導入しました。

だから、スナックのママさんや、知らない
客の前で歌うのが普通でした。よって、
カラオケは酒飲みのおじさん文化でした。

それが、カラオケボックスの普及により、
友達とワイワイ歌う文化が根付きました。

それに伴い、ミュージシャンやレコード
会社などの歌提供側が、「歌いやすい」
というニーズに合ったものを作るように
なりました。芸術制の高い曲で、歌手の
高度な技量がいるものより、覚えやすい
歌いやすい歌が重要になった気がしま
す。

鑑賞用の音楽から、参加する音楽へと
変わりました。作品としての音楽から
商品としての音楽へ提供側の意識も
強まったと思います。

僕が好きなヘヴィ・メタル系は、普通
の人には歌いこなせないボーカル・タ
イプゆえ、カラオケブームから爪弾き
にされ低迷し続けているのかもしれません。

「高校生意欲調査」じゃ何もわからない。

2007年05月08日 | 店主の人生哲学
日米中韓の高校生を対象に財団法人「日本青少年研究所」
が意欲調査を実施し5676人の回答を得た。

その結果、日本の高校生の意欲が最下位であることが
マスコミ各社で報じられ、この現状にコメンテーター
やジャーナリストが嘆いていたが、こんな下らない
アンケートで意欲調査だと言ってほしくない。

偏った大人の価値観を高校生に押し付けている、個性
を否定したアンケートです。

質問内容が学歴思考、勝ち組思考で、人それぞれの
生き方を認めていない質問ばかりです。

例えば、
Q.出世をしたいですか?
Q.大企業入社もしくは弁護士、医者、教師になりたい
ですか?
Q.お金持ちになりたいですか?
Q.将来は経営者になりたいですか?
Q.一流大学に進学したいですか?

など、こんな質問で、意欲調査なんて、馬鹿も休み
休み言ってほしい。

ダンスや歌や演劇やスポーツや芸術などに情熱を
燃やしている人を否定したアンケートで、安定思考の
人にも「意欲がない」と吐き捨てているようなもので
す。

僕は、やりたい事を自分のやり方でやり続ける為に
少しのお金を得ながらやる生き方も素晴らしい人生
だと思います。

しかし、やりたい事をやり続けるために、家財道具を
売り払い、借金で首が回らず、家族、親戚、友人、
知人に迷惑をかけてでも、自分のやりたいようにや
るのはワガママで自己中心的でしかない。

この高校生意欲調査は、かつての貴族思考な大人が作っ
たアンケートです。
他者より優位に立ちたいと戦い続け
自分の能力を他者に誇示し認めさせ、地域の主人になり
闘争に敗れた者は奴隷になるといった図式です。要は、
企業、組織、業界、社会、政治を動かす主軸だけに価値
があり、大多数は人生の敗北者と言っているようなもの
です。

人間は誰しも幸福を求めて生きていますが、その幸福の
形は多様化していていいはずです。

例えば、皆を幸せにしたく、不幸な人へは救済したいと、
善行を積む事を生きがいの人の方が、他人を蹴落とし
悪行を積んででも出世や金の為に生きている人より
ずっと偉いはずです。

そもそも、世のお偉いさんは、偉いのか?

社会的地位だけで、議員、社長、先生、警察官、
研究家、弁護士、有名人などは一般庶民より身分が
高いと思われているが、人間的に立派で庶民より
優れているとは限らない。

僕の同級生だって一流国立大学出身者や、大学院
まで行った者が、平然と他人を蔑んで見る。

国立大学に行きたくて行った、国を変えたくて
議員になった、治安を守りたくて警察官になった、
歌が歌いたくて歌手になった、自分のアイデアで
商売がしたく社長になった・・・と、自分がこう
ありたいと思い描き、そうなっただけの事で、
他人と比較して優位に立てた事を喜んでいる
ような下種な考えしか持てない小粒な人間は
偉くも何でもない。

何も一流やエリート世界の話ではなく、誰も知ら
ないような3流大学出身者でも高卒者を見下し、
職業差別も現にある。ホームレスでも、他の
ホームレスを馬鹿にしたりします。

やっている仕事、学歴、家柄、資産などで
人を判断するなんて下らないです。そんな差別が
まかり通ってる大人社会で、子供のいじめにつ
いて対策を練っても意味がないです。

平等な世の中なんて理想論であり現実には不可能
です。上下関係が無いと社会生活は崩壊します。
しかし、謙虚さ、初心、他人を思いやる心を忘れ
たら人間としての質が劣化します。

話の方向性が自分でも分からなく、話の迷子に
なりそうなので、高校生意欲調査の本題に立ち
返りまとめに入ります。

高校生というのは、子供でもなく、大人でもない。
社会、世の中、大人に対する反骨精神が一番ある
年代です。不安、絶望、挫折、葛藤と常に何かに
悩み振り回されてフラストレーションがたまり
怒りのエネルギーだけが蓄積されている年頃です。

そんな、大人や社会や政治に不信感を持っている
年頃に、こんなアンケート無意味です。

また、一流大学出身者でも低賃金労働者、派遣社員
フリーターになっている現状や、少年達の憧れの
社長が逮捕されたり、政治家の不透明な金の流れ
と税金の私物化、出世してもリストラされる時代、
大企業の破綻、警察や教師の犯罪、親も給食費未納
など、何を信じていいのか分からない時代です。
尊敬できる見本となる大人が少なくなりつつある
時代かもしれないです。

高学歴高収入の安泰生活は崩壊し、どう生きようと
一寸先は闇で五里霧中です。先の見えぬ不景気時代
に、将来への希望をもつ事は難しいです。そんな、
将来への不安値を高めた大人が「高校生意欲調査」
なんて作って、何をやっているのだか・・。

PS1
当店のお客様の中学生にゴールデン・ウィークの
はどう過ごしているか聞くと「毎日、塾で5時間
勉強して、自学で13時間勉強してます」と言っ
ていて「テレビや漫画やゲームは今年に入って
やっていません。受験が終わるまでやめています」
と驚きの返答でした。こういった人が将来は勝ち組
と言われるんでしょうね。僕は、集中力がなく、努力家
でもなく、意思が弱いので、そんな勉強漬けの
生活なんて真似できません。

PS2
テレビが、この高校生意欲調査の結果に過剰に
反応し、将来への不安を口々に語っていますが、
そんなに心配いらないと思います。こんなアンケー
トじゃ意欲のある、なしなんて判断できません。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道14

2007年05月07日 | RAINBOW ROAD
前回の「RAINBOW ROAD」は、自分の
考えやラーメンに対する姿勢、創作の取り組み方
について書きましたので、今回は本道の「ラーメ
ン屋開業ヒストリー」を書きます。

前回のつづきとして、唐津市の人気ラーメン屋で
の勤務時代についてなるべく簡潔に書きます。

僕は単なる従業員にしかすぎなかったので、店側
は僕のアイデアや創作ラーメンなど求めていませ
んでした。単にマニュアル通りに、毎日毎日
同じ物を作るのが僕の役目でした。

立地は一等地でしたが、アイドルタイムには
僕1人で切り盛りする事が多かったです。

また、ローテーションで朝の仕込み、掃除、
開店準備を1人でする週もありました。

だから、先輩調理師と一緒に働く時間より
1人で店にいることが多かったです。

1人でやるのは、僕にとっていい経験になり
ました。また、1人でやっていた時間帯は
「大将!」と呼ばれる事も多く気分が良かっ
たです。雇われ人でしたが、お客様からは
ラーメン屋の大将と思われる事は嬉しかった
です。

従業員は店長を入れ計3人でしたが、店は年中
無休で、従業員はローテーションで休みをとり
ました。なので、誰かが休みの日は、ランチタ
イムも2人でこなし、勤務時間も長いです。

長い日は、朝8:00~夜11:30までで
(途中、中休みあり)1人の時間も長かった
です。

今同様に、ランチタイム以降は、来店者も
まばらですので、具材(ネギ、チャーシュー、
ゆでモヤシ、キクラゲ、煮玉子)香味油、
スープを作ったり、片付け、皿洗いなどで
結構忙しかったです。

今までで最悪だった日は、ノンストップで
AM8:00~PM12:00まで1人で
働いた日です。その日、店長は定休で、
もう1人の従業員は「大雪だから出勤でき
ない」という状況でした。朝の仕込み中
その話を専務から聞き、どうやって1人で
今日1日の営業をするのだろう・・?と
不安なままランチタイムになりました。
専務が助っ人できましたが、厨房に立つ
事が殆ど無い人なので、日頃とやりかた
が全く違います。調理順番通りに食券を
並べたり、固めんの印を付ける事をしな
いので、物凄くやり辛かったです。
まだまだ、ランチタイムで客が途切れて
いないのに「もう、そろそろお前一人で
いいな。」と言い残し、事務所に帰って
いきました。調理だけでもパニックなの
に、注文受けもしないといけないです。
また、帰ったお客様の食器を下げ、テー
ブルを拭かなければいけなかったです。
また、この店は繁盛店なのに、ラーメン
鉢が20個ぐらいしかありません。
なので、常にどんぶりを洗い続けていな
いと、ラーメンを入れるどんぶりが
無くなってしまいます。

皿下げ、皿洗い、注文受け、調理の同時
進行は不可能状態でした。

で、その日は雪という事もあり、お客様
が多く、具材が切れかかっていたので、
再仕込みをしました。

通常の仕込みをする時間もないほど、
仕事に追われ、息つく島もない状況でし
た。

日も沈んでからは、ランチタイムに負け
ない大ピークで、満席,行列を1人で
対応しなければいけませんでした。

閉店時間まで息があがるほど忙しく、
サービス残業で翌日のネギだけを
切りました。

翌日、前日の1人パニックの状況も
知らず店長が「お前、昨日なまけてた
だろ。仕込みが不十分だぞ」など叱ら
れました。

この1人パニックの経験が、その後
少しばかりの自信にもなりました。
(通常の1.5倍の客を1人で裁けた
という自信)

次回は、そのラーメン屋での唐津くん
ちパニックについて書きます。

mihimaru GT

2007年05月07日 | 音楽・楽器
僕は邦楽のヒットチューンに全く興味がないので
音楽番組を殆ど見ません。

だから、ここ10年のヒットチューンは殆ど
知りません。

そんな僕に興味を抱かせるユニットと出会い
ました。

TSUTAYAで、何とも心地いいガールズ
ポップ・ナンバーが流れていて、音が鳴って
いるテレビに近づいてみると「mihimaru GT
ベスト」という特集コーナーがあり、ビデオ
クリプが流れていました。

僕が、たまたま聞いたのは「パンキッシュ」
という曲でした。

mihimaru GT・・・?
知らないけど、何となくテレビで見た気も
します。

インターネットTVのギャオでもビデオ
クリップを特集していたので1時間ぐらい見て
みました。

ボーカルのhirokoの歌声は何とも
惹きつける魅力があり、メチャクチャかわいい
です。

しかし、僕がたまたま聞いた「パンキッシュ」が
僕の好みに合っただけで、他の曲にはあまり
興味が持てませんでした。

「いつまでも響くこのMelody」は
面白いサンプリングですが、どうもこの手の
曲に興味がもてません。

「気分上々↑↑」は聴いたことがありました
が、やっぱり僕の趣味じゃなかったです。

僕の勝手な意見ですが、ヒップ・ホップ系
の男のMCは邪魔に感じてしまいました。

単に僕がヒップ・ホップ、ラップ、ハウス、
トランス、ミクシュチャーなど大嫌いだか
らですが・・。

「パンキッシュ」のようなバンドスタイルの
曲が多ければ僕の興味も高まったのですが、
結局hirokoの歌声は好きだけど、
曲は嫌いでした。

無料ジュース販売機が全国拡大

2007年05月05日 | 小ネタ
6月に無料ジュース販売機が登場し、近く
全国35000台が設置予定です。

アペックスというジュース販売機メーカー
が、ジュース販売事業ではなく、宣伝広告
事業としジュース販売機を設置するようで
す。

紙コップ式販売機で、コーヒーやジュース
のボタンを押すと液晶画面にCMが流れ
紙コップも広告になっているようです。

ジュース1杯につき広告主が70円払う
システムなので、無料で飲めるようです。

トライアル唐津店とかに、1本50円の
ジュース販売機はありましたが、まさか
無料販売機が登場するとは思ってもいま
せんでした。

今やテレビCM,ラジオCM、雑誌広告、
新聞広告、フリーペーパー、ポスティング、
ビラ、ダイレクト・メール、ティッシュ、
チンドン屋、宣伝カー、インターネット
などなど宣伝方式は様々ですが、ジュース
販売機という日常的なもので宣伝とは
面白い試みです。

ロバート・ジョンソンの本質

2007年05月05日 | 音楽・楽器
先日、木村充揮のライブを見て、ロバート・ジョンソン
の本当の良さがわかりました。

ロバート・ジョンソンはギター弾き語りで、1930年代
に活躍したブルースマンです。

生涯たった29曲42テイクしか残していないミュージ
シャンなのに、いまだに語り継がれているブルースマン
です。

ロバート・ジョンソンをモチーフにした小説や、映画は
たくさんあり、浦沢直樹の漫画「20世紀少年」や
平本アキラの漫画「俺と悪魔のブルーズ」にも、ロバート・
ジョンソンの悪魔との契約「クロスロード伝説」が描かれ
ています。

ロバート・ジョンソンをモチーフにした物では、
エリック・クラプトンのロバート・ジョンソン・カバー
アルバム「ミスター・ジョンソン」や、スティーヴ・ヴァイ
出演の映画「クロスロード」が僕個人的にはお薦めです。

今まで10年ぐらい何となくロバート・ジョンソンを
聞いていましたが、マディ・ウォーターズ以降のエレキギター
&バンドのブルースの方が好きでした。

でも、木村充揮のアコースティック・ギター1本で聴かせる
ブルースの良さを知り、ロバート・ジョンソンの魅力に
ようやく気づきました。

無駄を極限まで削ぎ落としたシンプル極まりない音楽で、
今までは素朴で古臭いと感じていました。しかし、シンプル
で単純な物で深い味わいを出しているロバート・ジョンソン
はやっぱりブルース界の偉人です。

現代音楽の全ての原点がロバート・ジョンソンと言って
も過言では無いです。ロバート・ジョンソンがいなければ、
ビートルズもローリング・ストーンズもジミ・ヘンドリク
スもエルビス・プレスリーもいなかったかもしれないです。

ロバート・ジョンソンは、不倫関係にあった愛人の子供
として生まれ、家も、金もない生活で、酒場で歌って
稼いでいた。妻を得るが、出産事故で妻と子供失い
酒と女に溺れた。旅をしながら、自分の人生を振り返っ
ていたある日毒殺により他界した。毒をもったのは
悪魔という伝説もある。

エアギター弾きまくり!ガチャピン!

2007年05月05日 | 音楽・楽器
エアギターは80年代からツバキハウスの
「ヘヴィ・メタル・サウンド・ハウス」など
で愛好者がいました。金剛地武志が
フィンランドのエアギター世界選手権大会で
4位になりバラエティ番組に多数出演した
事でエアギターが一般的に広まり、エアギター
人口は急増しました。

また、ダイノジおおちが世界選手権大会優勝
という快挙で、エアギターブームは一気に
加熱しました。

パフォーマンス大会だけど、エアギターに
の選曲にはハードロックやヘヴィメタルを
チョイスされる事が多いので、これをキッカケ
にヘヴィメタル・ブームになってほしいです。

エアギタリストは過剰演出とおもわれていて、
「あんなに暴れてギターなんて弾けるはずない」
と言う人もいますが、まだまだ大人しいぐらいで
す。ヘヴィメタル系の真髄はライブで、ライブの
エネルギッシュさはハンパじゃないです。
ギタリストは陶酔しまくていて、自然とオーバー
アクションになっています。

エレキギターを弾く人は分かると思いますが、
じっと椅子に座って弾く楽器じゃありません。
自然と自分のギターに酔ってきて、じっとして
いられなく成ります。普段は物静かな僕ですら
ギターを手にすると人格が変わり、周囲のイス
など蹴り倒し、ギターをアンプに擦り付けたり
歯で弾いたりします。

なので、ライブでギターをボロボロに叩き割っ
たり、ギターに火を付けたり、ギターアンプに
ガソリンを撒き爆破するギタリストの気持ちが
わかります。

ギターというのは、とてつもないパワーがあり
ギターを弾きだすと抑えられない興奮状態に
なります。その興奮状態が観客にはパフォー
マンスとして受け取られます。

本題に入りますが、エアギターも一般的に
認知され、頻繁に国内大会が行われるように
なりました。

今回の「エアギター2007」では、
ポンキッキーの人気キャラクターのガチャ
ピンが出場し2位になりました。

ガチャピンは、スキューバーダイビング、
モトクロスバイク、スキージャンプ、
スカイダイビングなどなどに挑戦してき
ましたが、今回はエアギターで快挙。

僕が幼稚園の頃に見ていたガチャピン
とは違って、活発ですね。

木村充揮ライブ・イン・リキハウス

2007年05月02日 | 音楽・楽器
元、憂歌団の木村充揮が唐津市に来ました。

ライブ会場は、西唐津駅前のピザ、パスタ兼
ライブハウスのリキハウスです。

学生時代は佐志にあったリキ・スタジオを
よく利用していました。リキ・スタジオを
利用するには、大手口にあったピザハウス・
リキで鍵を受け取って何キロも離れた
リキ・スタジオに行かなければいけなかっ
たです。

このスタジオは今は無いのでブッチャケま
すが、恐ろしくボロかったです。また、張り
紙で「白アリを見つけたら叩き殺しましょう。
皆でリキスタジオを守りましょう」とか
書かれていました。機材も古く、時には
スタジオのドラムセットのスネアやタムや
クラッシュシンバルなどが無い事もあり
ました。

今の西唐津に移転してからは、1度だけ
スタジオを利用しましたが、今まで使っ
た事が無いぐらい狭いスタジオでした。

ライブハウスの方に入ったのは今日が
初めてです。

入店すると、凄い熱気で、外の気温より
5度ぐらい高かったと思います。

後ろあたりで見る予定でしたが、司会も
されていた店員さんが、「どうぞ、どう
ぞ、前の方で・・」と言われたので、
結局最前列で見る事になりました。

木村充揮を今の人にわかりやすく言うと、
山口智充(ぐっさん)が歌うブルースは
だいたい木村充揮の完コピ物まねです。
華原ともみの復活曲「あきらめましょう」
を作曲したのも木村充揮です。
ゲゲゲの鬼太郎のテーマ曲も歌っていた
人です。僕たち世代より少し上の人たち
なら、憂歌団の木村充揮だけで説明は
十分なはずです。

前座で、東京タワーズというブルース系
フォークユニットが出演し30分ぐらい
アグレッシブなライブをしました。

そして、木村充揮が登場。
バンド形態と思っていましたが、グレコ
のフルアコ1本での弾き語りライブでし
た。

今まで80公演ぐらいのライブを見てき
ましたが、ハードロック系が多かったの
で弾き語りライブというのは初めてです。

もちろん、ライブの中盤に弾き語りや、
CD屋でのプロモーション・ライブでの
弾き語りは経験がありますが、全編的に
弾き語りは初めてです。

1曲目からアルペジオ系のささやきバラー
ドで、知らない曲が続いたので、なかなか
乗り気になれませんでした。

やっぱり、特にファンでも無い人のライブ
は心底楽しめないものかなーと思いながら
味のある渋い歌声を聴いていました。

でも、ようやく憂歌団のベスト盤に入ってい
た曲をやってくれ、僕のテンションも一気
に上がりました。そして「聖者の行進」と
盛り上がりました。

いつも僕が見に行くライブは、スモークが
焚かれるし、照明効果も凄いし、ミラー
ボールが回り、耳が張り
裂けんばかりの大音響で、ミュージシャン
はステージを狂喜乱舞しまくる大暴れ系が
多いです。時には、火薬、花火が使用され
たり、大掛かりなセットやダンサーが付い
たりします。

でも、今日の木村充揮のライブはタネも仕掛
けもない、ギター1本と歌声で、照明効果も
一切ないライブです。

でも15分ぐらいあの独特の雰囲気を醸し出
したライブを体感していると、結構はまって
しまいます。時折、ライブに引き込まれ、
度々笑いがこみ上げてきます。ヤジに近い
冗談めいた罵声をあげる人がいましたが、
あれもあの狭い空間独特のものでしょう。

でも、曲の最中や、バラードでシッカリ
聞かせている所で、ミュージシャンをのの
しるような罵声をかけている人の常識を
疑います。

また、携帯電話が何度もあちこちで鳴って
いましたが、ああやってライブの雰囲気を
ブチ壊す人たちは迷惑です。

僕の横の人は大分から来ていたようなので、
熱狂的ファンかもしれませんが、的外れに
木村充揮が歌っている最中に「ウォーウォー
ウォー」と何十回も奇声を発していました。
その人は、もう50代ぐらいの夫婦と思いま
すが、叫べないバラードでは常に旦那が奥さ
んのおっぱいを狂ったように両手で揉みま
くっていました。木村充揮との距離1メー
ターぐらいしか無い場所で何やってんだか?

「ゲゲゲの鬼太郎」では笑い「この街」では
会場中が大熱唱合唱で「タイガー&ドラゴン」
は盛り上がり充分楽しめました。

ライブが終了し、司会者が「ライブは終了
しました。アンコールはありません」と
いう事でしたが、会場中のアンコールが
鳴り止まず、木村充揮&東京タワーズ
というスタイルでアンコールに答えて
くれました。

このブギウギ・ソングが本日最高潮の
盛り上がりでした。そして、名曲
「花」のカバーを聞かせてくれ、グダ
グダなアドリブ・ブルースを披露して
くれ最後はバラードでしめてくれまし
た。

ライブも終わりすぐさま帰りました。

会場のファンは、木村充揮と東京タワーズ
のリキハウスでの打ち上げにも参加できま
すが、特にファンの交流も持ちたくなかっ
たし、シャイなので木村充揮と会話出来そ
うも無かったので帰りました。

雨が降っていて、さっきまでの蒸し暑かっ
た会場と一変し気持ちよかったです。

雨に打たれながら、「嫌んなった」を
口ずさみながら家に帰りつきました。

実は僕も自称ブルースマンで、オリジナ
ル・ブルース曲も数十曲ありますが、
今夜のライブから得たものは多かった
気がします。





偶然って重なるものですね。

2007年05月02日 | 小ネタ
今日はプライベートで頻繁に当店の
お客様と会いました。

時々ありますが、こう色んなお客様と
偶然的に会うことは珍しいです。

銀行に行くと、月に何度かご来店され
ているお客様がATMに並ばれていて
軽く雑談をしました。

次にTSUTAYAにDVDを返却し
て帰ろうと思うと、当店に週4ぐらいの
ハイペースでご来店いただいている
お客様と会い、軽く雑談をしました。

トライアルの文房具コーナーでも、週1
ぐらいのペースでご来店されるお客様と
会いました。

ナフコでは、最近はあまり来られないけ
ど、以前は頻繁に来られていたお客様と
会い挨拶をしました。

そして、新しく出来たラーメン屋に行く
と、前までは週3,4御来店されていた
ラーメンフリークのお客様を見かけまし
たが、挨拶する間も無く、目の前を
通られて帰られました。多分、相手は
気づいていなかったと思います。
その、ラーメン屋では当店にも3回ぐら
い来てもらった同級生の女の子とも
会いました。

そして、モリナガでは、当店で何度か
お見かけしたお客様がいらっしゃって、
挨拶をしました。

極めつけは、夜行った、木村充揮さんの
ライブ会場(リキハウス)に、夫婦で
時々ご来店頂いているお客様が観客で
いらっしゃっていて、挨拶しました。
また、挨拶こそ出来ませんでしたが、
当店に何度も来て頂いている女性の
方も観客でいらっしゃいました。

いやー、今日はよく店以外でお客様に
会いました・・・。

木村充揮「天使のダミ声」を体感しに行ってきます

2007年05月01日 | 音楽・楽器
当店によくご来店いただいている60代後半
のお客様がいらっしゃいますが、そのお客様
は西唐津のリキハウスでよくライブを見られ
ています。そのお客様が特に応援している
ミュージシャンはキャプテン稲葉さんと
いう方らしいです。

今日、そのお客さんが、来店され「天使のダミ
声って人が明日リキに主演するよ」と言われま
した。元、憂歌団の木村充揮がリキハウスに
来る話は聞いていましたが、それが明日と聞き
無性に行きたくなりました。

行くかどうかは明日決めようと思いながら
当日券があるかリキハウスに電話してみると
「この電話で前売り電話予約ができますが、
どうしますか?」と聞かれ、即答で
「じゃ、1枚お願いします」と言ってし
まいました。

ライブに行くのが決まったはいいが、僕は
木村充揮の曲を知らない。ソロになってか
らの曲は1曲も知らないです。憂歌団も
ベスト盤のMDを1枚持っているだけです。

じゃ、何故、ライブに行くかと言うと
生のブルースを聴きたいからです。

僕は小学6年生の頃に大ヒットした
BBクイーンズの「踊るポンポコリン」の
近藤房之助のしゃがれた枯れた歌声に
衝撃を受けました。BBクイーンズのアル
バムには本格ブルース曲もあり、より近藤
房之助を知りたく、すぐに近藤房之助の
ソロアルバムを買いました。

日本人でブルージーな歌声というと、森進一、
桑田佳祐、大友康平、ジョー山中、長渕剛ぐら
いしか思いつきません。でも、彼らはブルース
マンではないです。

ハスキー、枯れた図太い声、哀愁を誘う歌唱力
があっても、日本音楽界の一線で活躍している
本格的ブルースマンはわずかです。

近藤房之助に夢中だった頃、軽く聴いていたの
が憂歌団でした。

僕はブルースの愛好家ですが、殆どは洋楽です。

ブルージーなロック系だとジミ・ヘンドリクス、
レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトン、
ゲイリー・ムーア、ジョニー・ウィンター
などなど数えきれないほど聴い
ています。そもそも、ロックの母体はブルース
です。

ブルースマンでは●エルモア・ジェームス、
●ケヴ・モ●ロバート・ジョンソン●マディ・
ウォーターズ●ハウリン・ウルフ●T-ボーン
ウォーカー●リトル・ウォーター、
●BBキング●ライトニング・ホプキンス
●スティーヴィー・レイ・ヴォーン
●フレディ・キングなどが僕のフェイバリット
です。

洋楽のブルースには夢中だったけど、日本の
ブルースは殆ど追求せずに自然と離れてしまっ
ていました。

日本でブルースと名が付く曲にブルースは
少ないです。ただの、暗いムード歌謡曲を
演歌歌手達が歌っています。

港町ブルース(森進一)
稚内ブルース(鳥羽一郎)
 旭川ブルース(ロス・プリモス)
 函館ブルース(小野由紀子)
新潟ブルース(美川憲一)
前橋ブルース(森雄二とサザンクロス)
新宿ブルース(扇ひろ子)
東京ブルース(西田佐知子)
中の島ブルース(内山田洋とクール・ファイブ)
伊勢佐木町ブルース(青江三奈)
湯本ブルース(北島三郎)
城ヶ崎ブルース(黒沢明とロス・プリモス)
柳ヶ瀬ブルース(美川憲一)
宗右衛門町ブルース(平和勝次とダークホース)
庄内ブルース(小松おさむとダークフェローズ)
西大寺ブルース(瀬川映子)
長崎ブルース(青江三奈)
島のブルース( 三沢あけみ,和田弘とマヒナスターズ)

これらのブルースと名の付く曲にブルースは1曲も
ありません。ブルースの音楽理論、決まりを無視し
た暗い曲ばかりです。

脱線しましたが、僕は日本のブルースと名の付く
偽者に嫌気がさし、本格的ブルースをやっている
日本人アーティストも聴かなくなっていました。

しかし、30年も王道のブルースを歌い続けてき
た木村充揮は1度は見るべきだと思い、ライブに
行く事にしました。

10年前に近藤房之助のライブに行きましたが、
あの興奮&感動を明日のライブにも期待したい
です。

「嫌になっちゃう」「お掃除おばちゃん」
「ゲゲゲの鬼太郎」など、是非やってほしい
です。




ギター侍・・見参!

2007年05月01日 | 音楽・楽器
いつものように閉店の片付けをしていると、
「ジャーン」とギターのメジャーコードを
かき鳴らしながら友人のY君が店に入って
きました。

Y君は僕が福岡に住んでいた頃の友人で、
僕が唐津市に帰郷してからは、時々メール
したり電話する程度で、会うのは2年ぶり
です。

Y君の実家は長崎で、GWに帰郷していた
ついでに当店に来てくれた。

でも、「晩飯食ってきたから、ラーメンは
いいや・・」って言われた、残念!!

Y君は雑談しながらも、ギターをポロポロ弾いて
いた。昔からアコースティックギターの
名手で、今回持ってきたギターは、コンパ
クトなかわいらしいギターでした。

僕も片付けが済んだので、テーブル席に
座り、コーヒーを飲みながら他愛もない
雑談をしました。

Y君が当店のオベーションを指差し
「ジャムろうか?」というので、僕もギター
を手にとりセッションが始まった。

ボン・ジョヴィの「ウォンテッド・デッド・
オア・アライヴ」を弾き、後半はグダグダ
になりました。

ボン・ジョヴィの「ジーズ・デイズ」と
「リヴィン・オン・ア・プレイヤー94」
のセッションでは、Y君の渋いブルージー
なアドリブソロが光っていました。

ボブ・ディランの「ノッキン・オン・
ヘブンズドア 」とライチャスブラザーズ
の「アンチェインド・メロディ」では、
僕も熱唱しながらギターをかき鳴らしま
した。

そして、僕は少し休憩していると、Y君は
オリジナル・インスト曲を3曲披露してく
れたがクール&グレイトです。

1曲目は、ジミー・ペイジを思わせる
モロッコやインド系をベースにしたような
エキゾチックな雰囲気でした。

2曲目は、スパニッシュでフラメンコ調な
派手な部分と、繊細なクラシック要素を
兼ね備えた静と動を見事に表現したような
曲でした。

3曲目は、ポール・サイモンのようなアタッ
クが強いのに繊細な曲で、楽曲に引き込まれ
心地いい気分になりました。

3曲を終え、Y君が喫煙タイムに入ったので、
僕も負けじと、オリジナル・アコギ・インスト
の「明日への翼」を披露した。
この曲は、あまり知られていないし、当店の
お客様でも1部の人しか知らないけど
「様式美麺れいんぼ~のテーマ曲」として僕が
作曲した曲です。ポップで、アグレッシブな
曲です。

僕の「明日への翼」をY君が聴き終え
「けっこうやるじゃん。カッティングが効いて
て歯切れがいい」と、褒めてもらった。

僕が3コード12小節の定番ブルースパターン
を弾いていると、Y君が僕のバッキングに
ソロで入ってきて怒涛のセッションになった。
5分間ぐらいバッキングに徹していたが、突如
Y君が僕が弾いていたバッキングを完コピしてき
たので、僕がソロを弾きまくった。アコギゆえ
速弾きがしにくいし、アコギでライトハンドなど
が出来ないし(ヌーノ・ベッテンコートや押尾
コータローはします)、チョーキングがきついの
で、ショボイソロしか出来なかった。
Y君はバッキングでもアレンジをどんどん加え
ユニークなバッキングをしていました。
後半は、お互いユニゾンをしたりして、この
アドリブ・ブルースは15分ぐらいして
本日のセッション終了しました。

Y君は「明日は仕事だから、そろそろ福岡に
帰る」と言い、帰っていきました。

僕は、最近まったくギターに触れていません
でしたが、やっぱりギターは楽しいです。
ギター2本あるだけで、いい年の大人が
少年に戻り興奮できるんだから、やっぱり
楽器って素晴らしいです。