鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2009 城下町飫肥 Ⅳ

2009-05-06 | 城下町・茅葺民家

前鶴通り

上級家臣の住む高台を下りて町人町である本町通りを渡ると下級家臣団の集住地区に入る

全体に石垣が低い。右端は勝目氏庭園。遠くに旧植村医院の洋館

 

勝目氏庭園。勝目氏庭園の屋敷を囲む石垣には玉石垣も見られる

 

 

前鶴通りは玉石垣が多く見られる。玉石垣の上に笹竹の垣根

この通りは高台の武家屋敷特有のいかめしい感じがない

 

旧植村医院。大正14年の建物。前鶴通りには藩医の屋敷も多く構えた

 

 

きれいな笹竹垣

 

前鶴通りを歩くと低い石垣、玉石垣、笹竹の垣根が残り、飫肥藩下級武士の暮らしぶりを想像することができる

高台の武家屋敷通りよりもこちらの風景が好きです

 

町の中心で見つけた洋館。旧飯田内科医院。大正13年の建物。立派な洋館が町の中心に残る

壊されることなく再生されることを祈りたい


2009 城下町飫肥 Ⅲ

2009-05-06 | 城下町・茅葺民家

横馬場通り

 

大手門前から続く横馬場通りは上級家臣団が住む武家屋敷通りとして知られる

 

 

上級家臣の屋敷に相応しく、ゆったりした敷地の武家屋敷が左右に並んでいる

 

玉石垣も使われている

 

 

飫肥杉の山林業で繁栄した豪商・服部家の旧邸宅

 

豪邸がある反面、明治の廃藩置県に伴い棒禄を失い屋敷を離れた藩士も多かったという

 

横馬場通りの角にある旧伊東伝左衛門家。修復が待たれる

 

旧伊東伝左衛門家の近くにある藩校振徳堂。堂々とした長屋門がある

 

 

裁判所の脇を進んでいくと通りが途中で折れ曲がる地区にでる

この付近の風景は薩摩藩の麓の風景に非常によく似ている

 

 

飫肥市街地を見下ろす高台に武家屋敷が位置することが分る。石垣と生垣が美しい

 

坂を下りた交差点角にある旧鹿児島銀行飫肥支店。大正2年の建物

(続く)


2009 城下町飫肥 Ⅱ

2009-05-05 | 城下町・茅葺民家

大手門を渡り、飫肥城址へ向けて歩く

 

 

明治の外交官小村寿太郎を記念する小村記念館。門柱の形が実にいい

 

豫章館の入口に立つ薬医門構えの武家門。堂々とした門だ

 

四半的射場。豫章館の敷地を囲む塀に向けて弓を射る体験ができる

 

豫章館の敷地内に建つ主屋

 

大手門

 

大手門前で人力車に乗せてもらった。

これはいい想い出になる。観光客向けのこういうサービスはとてもいいですね。有料もある

 

人力車は武家屋敷通りとして知られる横馬場通りを進む。

子供は途中で人力車から降りて曳く体験をさせてもらう。観光客の笑いを誘っていた

 

 

 

飫肥名物おび天

(続く)


2009 城下町飫肥へ

2009-05-05 | 城下町・茅葺民家

九州の小京都、日南市・飫肥を訪れました。飫肥藩伊東家5万1千石の城下町です

高台は飫肥城と上級・中級の家臣団の住む武家地。町人町を挟んで反対側に下級家臣団の住む武家地がある

昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定。重伝建地区である知覧の先輩格にあたる

本町通りを右折すると大手門通り。GWなので人出が多い

 

大手門通りに面する武家門。左右に人の背丈よりも高い見事な石垣が続く

 

 

 

大手門通り。反対側に建つ飫肥の豪商・旧山本猪平家

 

 

大手門通りから横に入る後町通り。わきの水路を清流が流れる。少し先で鯉を放流している

飫肥藩の武家屋敷は周囲が源氏塀で囲まれている。石垣は飫肥石

源氏塀は飫肥石を積み上げた石垣の上に腰壁を下見板貼とし、白漆喰壁仕上げ、頂部に瓦屋根を載せている

薩摩藩の武家屋敷はいずれも武家門から続く石垣の上に整然と生垣を配置する

 

後町通りにて

 

後町通りを反対側に歩く

人の背丈ほどもある石垣の上に短いながらも生垣がのぞく。石垣は隙間なく積まれている

 

元の大手門通りに戻る。写真の門は勝手口でしょうか。正門は別にある

(続く)