古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

吉備高島宮跡(吉備国実地踏査ツアーNo.15)

2019年07月01日 | 実地踏査・古代史旅
 津島遺跡のある岡山県総合グラウンドを出たのが13時半を過ぎていました。次の目的地は神武天皇が東征の際に吉備に寄港して営んだ吉備高島宮跡とされる高島神社です。
 日本書紀は「吉備国の高島の地に行宮を造って3年間滞在し、その間に船舶や武器の準備、兵糧の備蓄を行った上で再び大和へ向かい出航した」と記しています。一方、古事記は高島宮での滞在を8年間としています。
 
 戦前に文部省が行った「神武天皇聖蹟調査」の結果、高島宮跡として「聖蹟伝説地」に認定されたのは岡山市南区宮浦の児島湾に浮かぶ高島でした。この島には高島宮の跡地に創祀されたと伝わる高島神社が鎮座していることから、ここが高島宮跡であることがほぼ確定したとされていますが、高島宮跡とされる場所は以下のように岡山県内およびその周辺に複数あるのです。
 
 
①が上述の聖蹟伝説地とされた高島神社ですが、私はこれらの候補地の中でも赤字で示した②が実際の高島宮跡だと考えています。理由は以前に当ブログの記事、第四の寄港地「吉備の高島宮」で書いた通りです。高島神社は旭川の左岸、龍ノ口山の南西麓に鎮座する小さな神社で、今回はここを訪ねることにしました。
 
神社のある山への登り口。
この先にある階段を登ります。
 
 
かなり急な登りですが、登りきったところに碑がたっていました。
 
小さな社が建っています。
 
 残念ながら祭神がわかりません。おそらく神武天皇であろうと想像するのですが岡山県神社庁のサイトを見ても記述がないために確認することができません。ここでできることは神社に参拝し、神武東征の雰囲気を感じることと写真を撮ることだけでした。
 
山を下ります。
 急な登りだったので、あたりまえですが下りも急です。佐々木さんのへっぴり腰を見て熊野の神倉神社を訪ねたときのことを思い出さずにはおれませんでした。
 2日目のこの日は吉備津彦神社のあとに予定していた吉備の中山の登山と元宮磐座をパスしたこと、津島遺跡のミュージアムが休館であったことから、予定よりも早く行程をすすめることができています。このあとはいよいよ最後の踏査地である百閒川遺跡群です。
 
 
 
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