【銅鐸の原料】
銅鐸は銅剣や銅矛などと同じ青銅器のひとつで、青銅とは銅と錫と鉛の合金のことを言う。その3種類の金属の割合は個体差があるものの、だいたい銅が86%、錫が10%、鉛が4%くらいである。青銅器は最初から青い色をしているのではなく、通常、製作してすぐの状態は赤銅色に輝いている、また、錫の割合が高くなるほど白味を増した輝きになるらしい。そして時間の経過とともに、つまり空気に触れているうちに成分中の銅が錆びて(酸化して)青味がかった色になる。したがって、水分を含んだ粘土層などに密閉された状態で出土した銅鐸は製作時の赤銅色を保った状態で見つかることがある。
それでは弥生時代の人々はこれらの金属をどのようにして手に入れたのか。ひと昔前に言われたのが、中国や朝鮮半島で不要となった青銅器を持ってきて溶かして再利用したといういわゆるスクラップ説。ところが、専門家の分析によってこれが否定されてしまった。森浩一氏の言葉を借りれば、「(スクラップを)溶かした場合に、溶かした中に残る元素と、カスに混ざって出てしまうものがあり、カスになって出てしまうはずのものが銅鐸に残っていた」という。つまり、スクラップではなかったということだ。1964年に神戸で出土した桜ケ丘銅鐸を実際に調べたところ、そういう結果になったというのだ。
これによって、青銅器の主成分である銅については日本で産出される銅を使用している可能性が高くなった。もちろん中国からインゴットの形で入手したとも考えられるが、そのことが日本産の銅が使用されなかったことの証明にはならない。「青銅器の考古学」を著した久野邦雄氏は、電子顕微鏡による分析によって銅鐸の原料に自然銅が使われているケースが確認されていること、別子鉱山を始めとして銅の産出量が多いとされる銅鉱床が西日本に広く分布しており、銅鐸の分布状況に似ていること、時代は少し下るが7世紀末から8世紀にかけての記録に銅鉱が存在することや自然銅が献上されたことが記されていること、などをもとに弥生時代においても自然銅の採取や銅鉱石の採掘と製錬が行われていた可能性を指摘する。久野氏によると、その著書を執筆した1995年時点で出土している銅鐸約450個の10倍、4500個の銅鐸が弥生時代を通じて製作されたと仮定したとしても、使用された銅の総量は一辺が130㎝の立方体におさまる程度であり、国内の自然銅や銅鉱石から得たと考えることは決して無理はない、という。
では他の元素である錫や鉛はどうだろうか。鉛については、同位体分析の結果から大半が中国の鉛を使っていることが判明しているというが、森氏などはこれに対して確定的なことが言える段階ではないと異を唱える。一方の錫について森氏は、錫のかたまりが吉野ケ里遺跡など弥生遺跡から出た実例があり、弥生時代における日本での錫の採掘を示唆している、とする。
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銅鐸は銅剣や銅矛などと同じ青銅器のひとつで、青銅とは銅と錫と鉛の合金のことを言う。その3種類の金属の割合は個体差があるものの、だいたい銅が86%、錫が10%、鉛が4%くらいである。青銅器は最初から青い色をしているのではなく、通常、製作してすぐの状態は赤銅色に輝いている、また、錫の割合が高くなるほど白味を増した輝きになるらしい。そして時間の経過とともに、つまり空気に触れているうちに成分中の銅が錆びて(酸化して)青味がかった色になる。したがって、水分を含んだ粘土層などに密閉された状態で出土した銅鐸は製作時の赤銅色を保った状態で見つかることがある。
それでは弥生時代の人々はこれらの金属をどのようにして手に入れたのか。ひと昔前に言われたのが、中国や朝鮮半島で不要となった青銅器を持ってきて溶かして再利用したといういわゆるスクラップ説。ところが、専門家の分析によってこれが否定されてしまった。森浩一氏の言葉を借りれば、「(スクラップを)溶かした場合に、溶かした中に残る元素と、カスに混ざって出てしまうものがあり、カスになって出てしまうはずのものが銅鐸に残っていた」という。つまり、スクラップではなかったということだ。1964年に神戸で出土した桜ケ丘銅鐸を実際に調べたところ、そういう結果になったというのだ。
これによって、青銅器の主成分である銅については日本で産出される銅を使用している可能性が高くなった。もちろん中国からインゴットの形で入手したとも考えられるが、そのことが日本産の銅が使用されなかったことの証明にはならない。「青銅器の考古学」を著した久野邦雄氏は、電子顕微鏡による分析によって銅鐸の原料に自然銅が使われているケースが確認されていること、別子鉱山を始めとして銅の産出量が多いとされる銅鉱床が西日本に広く分布しており、銅鐸の分布状況に似ていること、時代は少し下るが7世紀末から8世紀にかけての記録に銅鉱が存在することや自然銅が献上されたことが記されていること、などをもとに弥生時代においても自然銅の採取や銅鉱石の採掘と製錬が行われていた可能性を指摘する。久野氏によると、その著書を執筆した1995年時点で出土している銅鐸約450個の10倍、4500個の銅鐸が弥生時代を通じて製作されたと仮定したとしても、使用された銅の総量は一辺が130㎝の立方体におさまる程度であり、国内の自然銅や銅鉱石から得たと考えることは決して無理はない、という。
では他の元素である錫や鉛はどうだろうか。鉛については、同位体分析の結果から大半が中国の鉛を使っていることが判明しているというが、森氏などはこれに対して確定的なことが言える段階ではないと異を唱える。一方の錫について森氏は、錫のかたまりが吉野ケ里遺跡など弥生遺跡から出た実例があり、弥生時代における日本での錫の採掘を示唆している、とする。
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