書紀におけるいわゆる天地開闢の段において、まず三柱の神が生まれた。国常立尊(くにのとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟淳尊(とよくむぬのみこと)の三神である。次に、泥土煮尊(ういじにのみこと)と沙土煮尊(すいじにのみこと)、その次に、大戸之道尊(おおとのじのみこと)と大苫邊尊(おおとまべのみこと)、さらに、面足尊(おもだるのみこと)と惶根尊(かしこねのみこと)、そして、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の八柱の神が誕生した。国常立尊から伊弉諾尊・伊弉冉尊までを神世七代と呼ぶ。
書紀には本編とは別に一書(あるふみ)が別伝として併記されているが、その記載も含めて気になる点がある。書紀本編に登場する最初の神である国常立尊、国狭槌尊、豊斟淳尊の三神はこの天地開闢以降はどこにも登場していない。登場しない神、いわば役割のない神をなぜ冒頭で登場させたのか。そして、一書(第4)で高天原にいる神として天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、神皇産霊尊(かむむすびのみこと)が登場するが、この三柱の神は古事記においては真っ先に登場する神、すなわちすべての根源となる神として描かれている。なぜ書紀は本編でそうしなかったのか、なぜ本編ではなく別伝としたのか。さらに、それにも関わらず書紀では、特に高皇産霊尊は国譲りや天孫降臨、神武東征など重要な場面で登場するという不整合が見られるが、これはどういうことだろうか。
天御中主尊、高皇産霊尊、神皇産霊尊の三神は高天原の神、つまり天照大神(あまてらすおおみかみ)や瓊々杵尊(ににぎのみこと)、神武天皇の祖先である。古事記ではこの三柱の神がこの世の最初の神であることを明確に示すことができたが、正史である書紀ではそれができない事情があった。それは高天原の天孫族系ではない氏族への配慮からではないか。この世はどの一族の系譜にもつながらない中立の神から始まった、そうしておくことで非天孫族の反発を押さえる必要があったのではないだろうか。国常立尊、国狭槌尊、豊斟淳尊の三神はそのためだけに登場した神であり、その後に登場させる必要はなかったのだ。そして実際のところは高天原の神を活躍させることが必要だった。ただし、活躍した神は高皇産霊尊のみであり、天御中主尊と神皇産霊尊は天地開闢以降に登場シーンはない。中国で聖数とされる奇数の「三」に合わせるためにこの二柱の神を加えたのではないだろうか。天御中主尊や神皇産霊尊はいかにも中立的な呼称である。
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書紀には本編とは別に一書(あるふみ)が別伝として併記されているが、その記載も含めて気になる点がある。書紀本編に登場する最初の神である国常立尊、国狭槌尊、豊斟淳尊の三神はこの天地開闢以降はどこにも登場していない。登場しない神、いわば役割のない神をなぜ冒頭で登場させたのか。そして、一書(第4)で高天原にいる神として天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、神皇産霊尊(かむむすびのみこと)が登場するが、この三柱の神は古事記においては真っ先に登場する神、すなわちすべての根源となる神として描かれている。なぜ書紀は本編でそうしなかったのか、なぜ本編ではなく別伝としたのか。さらに、それにも関わらず書紀では、特に高皇産霊尊は国譲りや天孫降臨、神武東征など重要な場面で登場するという不整合が見られるが、これはどういうことだろうか。
天御中主尊、高皇産霊尊、神皇産霊尊の三神は高天原の神、つまり天照大神(あまてらすおおみかみ)や瓊々杵尊(ににぎのみこと)、神武天皇の祖先である。古事記ではこの三柱の神がこの世の最初の神であることを明確に示すことができたが、正史である書紀ではそれができない事情があった。それは高天原の天孫族系ではない氏族への配慮からではないか。この世はどの一族の系譜にもつながらない中立の神から始まった、そうしておくことで非天孫族の反発を押さえる必要があったのではないだろうか。国常立尊、国狭槌尊、豊斟淳尊の三神はそのためだけに登場した神であり、その後に登場させる必要はなかったのだ。そして実際のところは高天原の神を活躍させることが必要だった。ただし、活躍した神は高皇産霊尊のみであり、天御中主尊と神皇産霊尊は天地開闢以降に登場シーンはない。中国で聖数とされる奇数の「三」に合わせるためにこの二柱の神を加えたのではないだろうか。天御中主尊や神皇産霊尊はいかにも中立的な呼称である。
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