古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆先代旧事本紀と勘注系図

2016年12月09日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 まず本紀によると、饒速日命は天神の御祖神の命令で天の磐船に乗り、河内国の河上の哮峯(いかるがみね、または、たけるがみね)に天降ったとある。天神の御祖神を天照大神と解すれば饒速日命は瓊々杵尊同様に高天原の天照大神の命で天降ったことになる。そして降臨後に大倭国(大和国)の鳥見の白庭山に遷り、長髓彦の妹の御炊屋姫(みかしきやひめ)を娶って妃とした。そしてその御炊屋姫は妊娠したが、まだ子が生まれないうちに饒速日命は亡くなった。饒速日命が降臨するとき、天神の御祖神は天孫の璽(しるし)である瑞宝十種を授け、高皇産霊尊は、32人の勇者と5人の従者、5人の供領(とものみやつこ)、25人の物部一族、船長や舵取りら6人といった大規模な護衛を付き添わせた、とも記されている。しかし、この降臨時の様子や饒速日命の死のことは書紀では語られていない。
 さらに本紀では、饒速日命の名前を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」とし、加えて別名として「天火明命」「天照国照彦天火明尊」「胆杵磯丹杵穂命(いきいそにきほのみこと)」をあげている。すなわち饒速日命と火明命が同一人物であるとしている。また、天押穂耳尊と、高皇産霊尊の娘の万幡豊秋津師姫命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)、別名が栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)の間に産まれた子であり、弟に「天饒石国饒石天津彦火瓊々杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと)」すなわち瓊々杵尊がいるとも記し、饒速日命と瓊々杵尊が兄弟であるとしているのだ。古事記においても火明命と瓊々杵尊は兄弟ということになっているが、書紀では火明命は瓊々杵尊の子であり、尾張氏の始祖となっている。(ただし、一書においては瓊々杵尊の兄で尾張連の遠祖であるとしている。)

 次に勘注系図を見ると、海部氏の始祖は彦火明命であるとして、そのまたの名を「饒速日命」「神饒速日命」「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」「膽杵磯丹杵穂命(にぎしにぎほのみこと)」と記されている。また、本紀と同様に彦火明命(饒速日命)と瓊々杵尊が兄弟であるとされている。記紀においては、火明命と瓊々杵尊は兄弟あるいは親子という相違はあるものの二人の関係性が明示されている一方で、火明命と饒速日命の関係については一言も触れられていない。このことから記紀においては饒速日命は天神であるが天孫ではない、つまり天照大神の系譜にないということが言えよう。ではなぜ本紀、勘注系図では火明命と饒速日命が同一人物とされているのだろうか。

 本紀の成立については、807年に成立した「古語拾遺」からの引用があること、藤原春海による「先代旧事本紀」論が承平(931年~938年)の日本紀講筵私紀に引用されていることから藤原春海による「日本書紀」講書の際(904年~906年)には本紀が存在したと推定されること、などからその成立は807年以降で904年以前と考えられている。神代本紀から国造本紀までの十巻から成り、記紀からの引用や流用、さらには物部氏や尾張氏に関する系譜に加えて独自の伝承説話が多く、編者は物部氏系の人物であろうとされている。蘇我氏との戦いに敗れて没落した物部氏の権威を取り戻すべく、書紀で物部氏の遠祖とされた饒速日命を天孫である瓊々杵尊の兄弟である火明命と結びつけて物部氏が天孫系であることを主張した書である。
 一方の勘注系図は、京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家である海部氏が「籠名神社祝部氏係図」とともに代々伝えてきた「籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記」のことを指し、現存のものは江戸時代初期の写本であるが原本は仁和年中(885年~889年)に編纂された「丹波国造海部直等氏之本記」であると伝えられる。始祖である火明命から第34世までが記され、当主の兄弟やそこから発した傍系を記す箇所もあり「記紀」は勿論、本紀などにも見られない独自の伝承を記している。書紀にて火明命を祖とする尾張氏と海部氏のつながりが系譜に表わされている。その尾張氏は本紀でも詳しく記される。

 記紀、本紀、勘注系図の成立順番は、記紀→本紀→勘注系図とするのが妥当であろう。したがって勘注系図にて火明命と饒速日命が同一とされているのは本紀を参照してのことと思われる。自らの祖先が天孫族であるという由緒ある系譜であることは海部氏にとっては肯定こそすれ否定する必要のないことであった。このことから、本紀、勘注系図とも饒速日命と火明命を同一としていることに大きな恣意性を感じざるを得ない。いずれも記紀以降の成立であり本紀においては物部氏、勘注系図においては海部氏が自らの系譜の権威を高めるために仕組んだことと考えるのが妥当であろう。したがって、饒速日命の降臨について本紀、勘注系図を参照することが可能であるが、饒速日命が火明命と同一人物であったことについては考慮しないこととしたい。



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