古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

葛木御歳神社(葛城・纒向ツアー No.10)

2019年12月18日 | 実地踏査・古代史旅
 鴨神遺跡で古代の幹線道路を感じたあとは現在の幹線道路である国道へ出て風の森峠を一気に下っていきます。小殿北という交差点まで3キロほどで120メートルを下ります。奈良盆地はこの最南部から北に向かって大和川のあたりまではダラダラと標高を下げていくのですが、風の森峠は標高が260メートルほどで、そこから20キロほど北上すると大和川に突き当ります。その標高差はざっと220メートルになります。奈良盆地で最も低いところがこの大和川が流れるあたりで標高40メートルほどなので、盆地の四方の山々から流れ出た川はすべてそこに向かい、最終的には大和川一本になります。葛城山や金剛山の山麓の傾斜だけでなく、平地のダラダラとした傾斜があるのも奈良盆地の特徴かな。

 さて、葛木御歳神社は中鴨社とも呼ばれる鴨三社のひとつ。主祭神は御歳神(みとしのかみ)で、相殿神として大年神(おおとしのかみ)と高照姫命(たかてるひめのみこと)が祀られています。





 古事記には須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)の間にできた子が大年神で、その大年神と香用比売命(かよひめのみこと)の子が御歳神であると記されています。ということは、親子の二柱が祀られていることになりますが、子どものほうが主祭神で父親が相殿神ということになります。子のほうがご利益が高いということでしょうか。

拝殿。


本殿。


 この本殿は春日大社の本殿第一殿を江戸時代に移築したものだそうです。ほかに参拝者がいなかったこともあり、靴を脱いで拝殿に上がって拝みました。

拝殿から本殿を。


 ところで、昔から正月になると少し大きな丸餅を重ねて鏡餅として供える風習がありますが、これは御歳神へのお供え物だそうです。だからこのお供え物のおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられていて、これを「御歳魂(おとしだま)」と呼び、これが今でいう「お年玉」になったということらしいです。

 神社の創建は不詳となっていますが、もともとは背後の御歳山の磐座を依り代として祀っていたということなので、神社という形式が成立するよりも古くから祭祀が行われていたでしょうし、天安3年(859年)には従一位の神階を得ている格式のある古社でもあります。ただ、高鴨神社や鴨都波神社と比較すると境内も狭く、手水鉢にも空になっていたりして、どうしても見劣りがして寂れた感じは拭えず、岡田さんも佐々木さんも残念がっていました。
 でも私は3年前に初めて参拝して以来、お会いしたことはありませんがこの神社の再興に取り組んでこられた女性の宮司さんのことを知っていたので、むしろ「よくぞここまで再興された」という思いが強かったのです。神社の公式サイトのほか、こちらの記事のように様々なメディアで紹介されているので、ぜひ読んでいただきたいと思います。これらを読むと自ずと応援する気持ちがわいてきます。

 そして今回の訪問でおどろいたのは、境内に新しい祠が建てられていたことです。宮司さんが目標として取り組んでこられた祖霊社が建立されていたのです。あらためて宮司さんの努力に対して敬意を表さずにはおれませんでした。

新しく建立された祖霊社。


境内摂社。




 実は3年前に訪ねた時、境内に建つ摂社の石垣に小さな白い蛇を見つけたのです。宮司さんの頑張りで再興が進むこの神社を再訪してその時のことを思い出し、ここには本当に神様がいるんだと思いました。そんな様々な思いが込み上げてきたこともあって、今回は拝殿に上がって参拝させていただきました。

 神社のすぐそばには「みとしの森」というサロン&カフェがあります。なんと宮司さんは神社再興に注力するためにここに引っ越してきて、氏子さんや参拝者が集う場所まで作ってしまったのです。




 さて、この日の踏査も中盤を過ぎ、少しづつ陽が傾いてきています。このあとは葛城最大の前方後円墳である室宮山古墳、アザレアホールで学習した條ウル神古墳、掖上鑵子塚古墳など、古墳シリーズに入ります。少し先を急ぐ必要が出てきました。



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