前稿で周溝墓の通路について考えてみましたが、浅井分類をもとに次のように整理したいと思います。遺体あるいは遺体を納めた木棺を台状部に掘られた埋葬施設に運び込む際に周溝を渡る必要がありますが、溝に通路がなくても木橋などを使って危険なく台状部に渡ることができる場合はA0タイプとなります。逆に造墓段階において周溝が広い、あるいは深いために木橋を用いても渡るのが危険と判断された場合には、一辺あるいは対向する二辺の中央部(円形墓の場合はどこか一カ所)に通路を設けて安全を確保します。これがA1b・A2cタイプです。また、四隅のいずれか、あるいは全てに通路が認められるA1a・A2a・A2b・A3・A4の各タイプは基本的に隅部分の掘り方が浅くて後世の削平によって通路状の遺構として検出されるケースです。これは、周溝を掘る目的が方形に区画することであるため、四隅をしっかり掘る必要がないことによるものです。ただし、意図的に隅部分を掘り残したケースも想定され、その場合は通路としての可能性が残るものの、方形に区画するという目的のためには掘る必要がなかったと考えておきます。
以上のように整理した上で、ここからは明らかに通路と考えられるA1b・A2cタイプについて考えていきたいと思います。なお、円形周溝墓についても、通路が1カ所あるいはほぼ対向する場所に2カ所ある場合は同様に考えたいと思います。
(浅井良英「近江における方形周溝墓の研究」より)
A1bおよびA2cは意図をもって台状部への通路を設けたパターンですが、これらはたとえばA1aと何が違うのでしょうか。どこに通路を設けても遺体を運ぶという目的からすれば大した差はないと思う一方で、人間の心理で考えてみると、方形の台状部やその中心部に掘られた土坑を目の前にしたとき、それを視野の中心に置き、そこに向かってまっすぐ進む、つまり溝を渡る通路は一辺の中央部に設けるという発想になるのではないでしょうか。ここで遺体を運んで埋葬するシーンを想像してみます。
亡くなった人の住居から何人かの人が遺体を担いで出発し、造墓が終わったばかりの墓の手前まで運びます。遺体は住居を出る際にすでに木棺に納めれられているのか、それとも墓地の前で納められるのか、あるいは木棺は先に埋葬施設内に置かれているのかは不明ですが、いずれにしても住居から墓地の手前まで遺体が運ばれます。そのルートは造墓時点でわかっているので通路を設ける一辺はおのずと決まります。辺がない円形周溝墓の場合も同様に遺体が運ばれてくるルートをもとに通路を設けておきます。また、墓がたくさんある墓地の場合は、他の墓との位置関係や墓地内におけるある種のルールに基づいて決められる場合があるかもわかりません。
では、方形であれ円形であれ、通路が1カ所ではなく2カ所の場合はどうでしょうか。これは2つの考え方があると思います。ひとつは、埋葬する遺体が二体ある場合に2つの通路を使って運び込むということ。もうひとつは、入口と出口という考え方です。これは埋葬時ではなく、墓上で何らかの葬送儀礼が行われた場合を想定しました。通路が2カ所に設けられた例としては滋賀県の西浦遺跡、柿堂遺跡、川ノ口遺跡などで見つかっていますが全国的にはそれほど多い事例ではありません。というのも、伊藤敏行氏や山岸良二氏、赤塚次郎氏が論文などで提示された方形周溝墓の形態分類には浅井良英氏の分類にあるA2cタイプがありません。伊藤分類、山岸分類はいずれも関東の方形周溝墓を対象とした分類なので、全国の様相を表しているわけではありませんが、この形態は少なくとも関東には存在しないくらいに珍しいと言えるので、例外的な形態と考えて差し支えなさそうです。
(いずれも、浅井良英「近江における方形周溝墓の研究」より)
ただし次のとおり、山岸分類によれば円形周溝墓で対向する2カ所に通路を設けたパターンがG3として示されているので、こちらは比較的多くの事例があるのかもわかりません。
(方形周溝墓シンポジウム実行委員会「方形周溝墓研究の今Ⅱ」より)
以上のように、周溝はあくまで台状部を方形あるいは円形に区画することが目的であるので、区画が判別できる程度に掘れば事足りる、という前提をおいた上で、周溝に残された通路状遺構について、葬送儀礼や埋葬のシーンを想像しながら造墓者の意図を探ってみると、明らかに通路として認識すべきものがある一方で、削平によって通路状遺構として検出されるけれども通路ではないものがある、と考えるのが妥当だという結論に至りました。
さて、方形周溝墓の周溝や通路部分について私なりに解釈してみましたが、次に赤塚分類のB3、浅井分類の形態C、山岸分類のF2などに見られる前方後方形周溝墓を考えてみます。
(つづく)
<主な参考文献>
「近江における方形周溝墓の研究」 浅井良英
「東京湾西岸流域における方形周溝墓の研究」 伊藤敏行
「宇津木向原遺跡発掘40周年記念『方形周溝墓研究の今』Ⅱ」 方形周溝墓シンポジウム実行委員会
「東海系のトレース」 赤塚次郎
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
以上のように整理した上で、ここからは明らかに通路と考えられるA1b・A2cタイプについて考えていきたいと思います。なお、円形周溝墓についても、通路が1カ所あるいはほぼ対向する場所に2カ所ある場合は同様に考えたいと思います。
(浅井良英「近江における方形周溝墓の研究」より)
A1bおよびA2cは意図をもって台状部への通路を設けたパターンですが、これらはたとえばA1aと何が違うのでしょうか。どこに通路を設けても遺体を運ぶという目的からすれば大した差はないと思う一方で、人間の心理で考えてみると、方形の台状部やその中心部に掘られた土坑を目の前にしたとき、それを視野の中心に置き、そこに向かってまっすぐ進む、つまり溝を渡る通路は一辺の中央部に設けるという発想になるのではないでしょうか。ここで遺体を運んで埋葬するシーンを想像してみます。
亡くなった人の住居から何人かの人が遺体を担いで出発し、造墓が終わったばかりの墓の手前まで運びます。遺体は住居を出る際にすでに木棺に納めれられているのか、それとも墓地の前で納められるのか、あるいは木棺は先に埋葬施設内に置かれているのかは不明ですが、いずれにしても住居から墓地の手前まで遺体が運ばれます。そのルートは造墓時点でわかっているので通路を設ける一辺はおのずと決まります。辺がない円形周溝墓の場合も同様に遺体が運ばれてくるルートをもとに通路を設けておきます。また、墓がたくさんある墓地の場合は、他の墓との位置関係や墓地内におけるある種のルールに基づいて決められる場合があるかもわかりません。
では、方形であれ円形であれ、通路が1カ所ではなく2カ所の場合はどうでしょうか。これは2つの考え方があると思います。ひとつは、埋葬する遺体が二体ある場合に2つの通路を使って運び込むということ。もうひとつは、入口と出口という考え方です。これは埋葬時ではなく、墓上で何らかの葬送儀礼が行われた場合を想定しました。通路が2カ所に設けられた例としては滋賀県の西浦遺跡、柿堂遺跡、川ノ口遺跡などで見つかっていますが全国的にはそれほど多い事例ではありません。というのも、伊藤敏行氏や山岸良二氏、赤塚次郎氏が論文などで提示された方形周溝墓の形態分類には浅井良英氏の分類にあるA2cタイプがありません。伊藤分類、山岸分類はいずれも関東の方形周溝墓を対象とした分類なので、全国の様相を表しているわけではありませんが、この形態は少なくとも関東には存在しないくらいに珍しいと言えるので、例外的な形態と考えて差し支えなさそうです。
(いずれも、浅井良英「近江における方形周溝墓の研究」より)
ただし次のとおり、山岸分類によれば円形周溝墓で対向する2カ所に通路を設けたパターンがG3として示されているので、こちらは比較的多くの事例があるのかもわかりません。
(方形周溝墓シンポジウム実行委員会「方形周溝墓研究の今Ⅱ」より)
以上のように、周溝はあくまで台状部を方形あるいは円形に区画することが目的であるので、区画が判別できる程度に掘れば事足りる、という前提をおいた上で、周溝に残された通路状遺構について、葬送儀礼や埋葬のシーンを想像しながら造墓者の意図を探ってみると、明らかに通路として認識すべきものがある一方で、削平によって通路状遺構として検出されるけれども通路ではないものがある、と考えるのが妥当だという結論に至りました。
さて、方形周溝墓の周溝や通路部分について私なりに解釈してみましたが、次に赤塚分類のB3、浅井分類の形態C、山岸分類のF2などに見られる前方後方形周溝墓を考えてみます。
(つづく)
<主な参考文献>
「近江における方形周溝墓の研究」 浅井良英
「東京湾西岸流域における方形周溝墓の研究」 伊藤敏行
「宇津木向原遺跡発掘40周年記念『方形周溝墓研究の今』Ⅱ」 方形周溝墓シンポジウム実行委員会
「東海系のトレース」 赤塚次郎
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