こうもり塚古墳から西へ2キロ、車で5分ほどで作山古墳へ到着。独立した丘陵を加工して築造された三段築成の前方後円墳で、全長282mは県下第2位、全国では第10位の規模。5世紀中頃の築造と推定されています。造山古墳同様に国の史跡に指定されているために詳しい調査は行われていません。
上からの写真。駐車場は古墳の左下の逆三角形のところです。
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よーく見ると後円部は正円ではなく少し楕円形になっています。また、前方部の前面(写真の下側)には丘陵の一部が取り除かれないまま残されています。
左の林が古墳前方部で右の林は取り残された丘陵部。
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この状況から周濠がなかったと考えられます。また、この削り残しがあることから、この王は古墳築造を完遂するだけの余力がなかったのではないか、という考えも出されています。
前方部の左隅から墳丘に登ります。
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前方部の前面。2段目のテラスがわかります。
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前方部の左側にもテラスが確認できます。
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振り返ると結構な高さがあります。
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前方部から後円部に向かう小道ができています。
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後円部頂上は平らでした。
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後円部から見る前方部方向。
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主体部の埋葬施設は明らかになっていないものの、どこにも盗掘坑が認められないことから墳丘内部での現存が推測されるとのこと。それでも、国史跡のために発掘することができません。
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出土品のほとんどは、円筒埴輪・朝顔形埴輪。墳丘各段のテラス面に巡らされた埴輪の総数は5,000本と推計されています。立ち入りが自由なので、おそらく墳丘上にあった埴輪片などは分布調査によって収集保存されたもの以外は全て持ち去られたのでしょう。
作山古墳の墳丘上は見ての通り木々が生い茂る林になっているので、造山古墳のような眺望がなく、巨大な古墳をあまり感じることができませんでした。
次は宮山墳墓群。ここは事前に吉備を勉強する中で知った遺跡で、私にとっては今回のツアーでもっとも重要な場所になりました。
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