あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

育ちゆく子に似たり塔の秋   あきオジ

2010-09-01 18:20:17 | 日記
9月1日現在のスカイツリーです。
大きく育ちましたね。

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秋立つや素湯香しき施薬院  蕪村

手燭台してよきふとん出す夜寒哉 蕪村

きりぎりす自在をのぼる夜寒哉  蕪村

(観察細やかというより、蕪村は絵の構図に題材を配置しているような気がします。事実を描写するというより、自分のイメージに合わせて準備しているように思えるのです。素人には分かりません。専門家に教えてもらいたいですね。)

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一日一回の更新にしようと思っているのですが、あれこれ表現したいことがいっぱいあるのです。素人には素人の考えがあるのです。変ですね。

茫然と見送るランナーの夏  あきオジ

2010-09-01 17:57:37 | 日記
へふは蕗をつみ蕗をたべ  山頭火

わかれて遠い人を佃煮を煮る  山頭火

ふりかえらない道をいそぐ  山頭火

歩き出したら、もう振り返ってはいけない。目の前に、ひとすじにみえる白い道を、どこまでも、まっすぐに歩いてゆかなければならない。誰がきめたわけではない。自分の道を、自分で歩く、はてしない道、帰るあてのない道。自分は定住しない。一所不住、それを心に定めた。もう帰ることは二度としない。九月、一鉢一笠、懸命の旅を覚悟して、また、新しい旅に出た。(昭和年)

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また、手を広げ過ぎてわけが分からなくなってきました。
もう少し慎ましく、無理のないようにしなければいけません。

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帰る道失うことあり吾亦紅   あきオジ

2010-09-01 17:48:36 | 日記
そこまでいかないとしても
文字が思い出せない
書けない
名前を思いだせない。

いろいろな段階を踏んで年をとるのですね。
安心しました。

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つくづく淋しい我が影よ動かして見る  放哉

蚤とぶ朝の裸一貫  放哉

流るる風に押され行き海に出る  放哉

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「スピード」を見ました。
よくできて娯楽映画ですね。

アメリカン人は大声でわめくし
泣くし
大げさに喜びを表現しますね。

思えばアメリカ人はアクション映画にむいているのです。

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このごろは居眠りばかり秋立ちぬ  あきオジ

2010-09-01 07:07:05 | 日記
のちの月葡萄に核(さね)のくもりかな  夏目成美

(一茶と同時代の大家ですね。最初読んだとき現代俳人だと思いました。)

曼殊沙華抱くほどとれど母恋し  中村汀女

(このような風景がもうすぐですね。一年が流れるのは年々早くなってゆきます。)

秋の夜を打崩したる咄かな  芭蕉

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このごろ、山頭火や一茶が身近になってきました。
素人ですから、深く研究することも面倒ですし、そのような接近をするつもりもありません。ただ、繰り返し読み、そのうち脱皮する。そんな願いしかありません。でも、山頭火や一茶の日記などを読んでいると、「ああ、そうだったのか」と思うことがあります。知ると言うことは好ましい存在になるということですね。

そのうちファンになるかもしれません。

今は手探りで徐々に・・・
そんな感じかなあ

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コスモスの開花のニュース入る月   あきオジ

2010-09-01 07:05:19 | 日記
明治神宮の社殿です。

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雲がいそいでよい月にする  山頭火

萩がすすきがへふのみち  山頭火

ふるさとの言葉のなかにすわる  山頭火

人間には帰巣本能がある。ふるさとが時折むしょうに恋しくなる。なきたいほどなつかしくなるときがある。久しぶりにふるさとへ帰る決心をする。少しずつ、ふるさとが近くなる。すれちがう人々の声の中に、ふるさとの訛りが混じる。ああ、ふるさとの山河、人々。浮浪者の自分すらも、うけ入れてやさしくつつんでくれるふるさと。そのなつかしいふるさとの言葉がある。わたしはいま、そのふるさとの、言葉の中にたたずんでいる。(昭和7年)

(住み付ける場所ではないことを知っていながら戻ってきてしまう山頭火は、その人間味が懐かしいですね。故郷願望など東京に写ってきた人にはとっては、どのように見えるのでしょうか。)

いまここにいますと言いたい秋の暮れ  あきオジ

2010-09-01 06:25:49 | 日記
僅か3日経っただけなのに遠い思い出に感じます。
祭りとはそんな潔さがあるのですね。

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名月や芒に座とる居酒呑  一茶

我庵(いほ)は昼過からが元旦ぞ  一茶

木がらしや木葉(このは)にくるむ塩肴 一茶

(口減らしのため、江戸に送り出された一茶は、俳諧にたどり着くまでの経過は定かではないということです。その後、江戸をでて7年ほど旅の生活だったとか、江戸から郷里に戻っても、家に落ち着くことが少なかったとか。俳人は放浪するしか道がなかったのかと思うほど境涯が似ていますね。)

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