あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

息止めるめいっぱいの麦畑  あきオジ

2010-09-19 16:17:22 | 日記
神代植物公園の名物
温室のベコニアです。
温室の中では俳句など考える余裕もありませんし
その気にもなれません。

私は電車のなか、あるいはバスの中が最高ですね。
ときおり電車のときは終点まで行って
その電車で戻ってくることが何度かありました。
僅か20分位ですが
上質な時間になります。
ありがたいことです。

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何もかも満天の星の中にあり  あきオジ

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ひとりで食べる湯豆腐うごく  山頭火

あるがまま雑草として芽を吹く  山頭火

(こんな句に出会うと昭和天皇の「雑草という草の名はない」という言葉を思い出しますね。このひとことでも歴史に残る)

誰かがやってくる足音が落葉   山頭火

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忙しい日曜日が終わりました。少々疲れました。
早く寝ます。
といっても、明日は何の予定もありません。

そうそう、そろそろ病院で処方箋を書いていただき
薬局で薬をいただく日です。
病院の事務の人とも
薬局の薬剤師とも知り合いになってしまいました。

それだけでも一日仕事ですね。
まあ、いいか
そんな日は読書の時間がたっぷりありますからね。

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ホウズキの怪しげ音色も懐かしさ  あきオジ

2010-09-19 16:00:07 | 日記
神代植物公園展示場で発見したほうずき

「ホウズキ」という名も不思議ですね。
また、音色も何かはっきりしない。
それでいて、懐かしいですね。
また、言葉にした時も、どこか違っているように思えますね。

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赤ん坊の掌の中からも桃の花  長谷川 櫂

(現代の風景ですが、美しいですね。勝沼ぶどう郷の駅から桃の花が咲く季節になると
桃が一望できます。きっと、駅のホームではなく、咲いている場所まで下りて行って取材したときの句なのでしょうね。)

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一枚の写真に一句
そして、参考句一句

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浴びるともあなたの煤ぞ善光寺  一茶

(ありがたい。そんな一途さが美しい句ですね。名句の中に入っていないのでしょうか。私は好きです。観光バスで紹介してみたいですね。現代のコピーライターとして名をなしたかもしれませんね。すばらしい才能の持ち主だったのですね。)

阿弥陀堂煙一本菊二輪   あきオジ

2010-09-19 15:45:23 | 日記
穏やかに秋の気分を楽しみ人が
街に溢れています。
三日前に開店したイトーヨーカ堂が盛況のようで
延々と車の列が続いているそうです。

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花冷や履歴書に捺す摩耗印   福永耕二

(現代俳人ですが、若死したそうです。現代俳句ともなると一気に身近になり、芭蕉の時代のあれこれが美しく、現代のそれは乾いて表情のないものとして見てしまうから、不思議ですね。私の鑑賞は背景を読まないそのまま、そんな段階かもしれませんね。)

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月天心貧しき町を通りけり  蕪村

(もっともお気に入りの句です。木版画で見たことがあるような・・・。そんな連想が生まれます。薄い灰色の空、そして、黒塀に包まれた静かな夜。そして、遠くにありながら大きく見える月。それで十分ですね。動いていないものを扱っているのに時間の経過を語っているような緊張感がありますね。)

女郎花素直に立てど哀れ色  あきオジ

2010-09-19 06:16:09 | 日記
神代植物園の展示場で生け花を楽しみました。
まさに、秋の七草を意識した展示会でした。
日本人は秋を愛するし
「時雨」が重なると
しみじみした
中里恒子の恋をしたがるのですね。

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秋の七草は万葉集にある山上憶良の一首が出典だそうです。

秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花

萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花

この中で、「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔、木槿(むくげ)、桔梗、昼顔など諸説がありますが、桔梗とする説が一般的だそうですが、どうなのでしょうか。

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蜻蛉の(とんぼう)の来ては蠅とる笠の中  丈草

(こんな風景見ませんね。でも、つい最近まであったような風景です。丈草は芭蕉の弟子だったとか。)

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今日は「剣客商売」「鬼平犯科帳」を見る日です。
日曜日は、池波正太郎にひたることができていいですね。
特に、「剣客商売」に登場する人物の一人ひとりが魅力的です。
ですから、繰り返し見ても気持ち良くなります。
小説は段々、字が小さくて読むのが面倒になりましたが
ドラマはドラマでそれなりに十分楽しめます。
秋山小兵衛に憧れますね。
共感する年配者は多いのではないでしょうか。

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どっさりと秋の七草いれし籠   あきオジ

2010-09-19 06:05:27 | 日記
秋になってしまいました。
天気も一気に悪くなり
台風も近づいています。

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このごろはなぜか「淋しい」という言葉が気になります。
周囲に人がいるのに淋しい
不足もないのに淋しいのです。
それは「寂しい」が林の中で涙する
そんな文字の作りに似ているに近いですね。
木々の中に入る淋しさと安心
それが老人なのでしょうか。

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父の終焉日記 一茶三十九歳

足元へいつ来りしよ蝸牛(かたつぶり)  一茶

(足元に来ている蝸牛に、いままで気づかなかった。気持が父のことで囚われていたせいだ。)

立砂の死んだ翌々年の四月、一茶は久しぶりに柏原に帰ったが、その帰郷中に父の死に会う。病気は悪性の傷寒(チフスのような熱病)といわれ、一か月ほどわずらって他界した。享年六十九歳。祖母すでになく、父も死に、一茶に歯は故郷に頼るべき人がなくなる。それに加えて、継母とその子(異母弟)を相手とする遺産相続問題が残る。しかも、一茶もようやく四十歳に歯いる。老後を考える年齢になっていくのだ(後略)金子兜太 

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しみじみした一茶がいいですね。このごろ、自分になじむ感覚を思います。芭蕉の「遠い人」蕪村の「及ばない人」そんなのとも違うのです。また、興味ある人と、自分になじむ感性の人との違いを気にすることもあります。素人の私がそのようなことを言うのはおかしいかもしれませんが、そんなことを思うのです。一茶は近くにいそうでそうでもない。今はそんなことを考えています。どのように展開するのでしょうかね。まずは、読み続けることにします。

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朴の花白きはまれば微光かな  沢木欣一

(現代作家です。今盛りの木もありますし、終わった木もあります。どきっとするほどの花の大きさ、色合いで「儚さ」とは別の世界の花ですね。でも、存在感のあり、「なるほど」という花ですね。

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更衣就活言葉も秋になり  あきオジ

2010-09-19 05:19:12 | 日記
神代植物公園
それぞれの人がそれぞれの秋を楽しんでいる。
御洒落ですね。
でも、出歩きたくてもそうはならない人は
どのように楽しんでいるのでしょうか。
電車の中では
イトーヨーカ堂相模原店がオープンし
大きな袋を両手に持ったおばさんたちが乗りこみました。
楽しそうな二人でした。
あここれと会話がはずみ、季節の始まりを感じましたね。
これも秋ですね。

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植物園での展示会の写真です。
出品作品の大部分が秋の七草を素材にしたものでした。
しみじみとした雰囲気が出てくるから不思議です。
そして、日本人は秋が好きなのだと思いましたね。

輸入物はあまり御好きでないようです。
私も同じです。

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手がとどくいちじくのうれしさよ  山頭火

酔えなくなったみじめさはこうろぎがなく  山頭火

青空の最後の一つをもぐ  山頭火

わたしは柚子が好物である。冬、ほどんどの柚子がとり去られた中で、ひとつ黄色い柚子がぽつんと、とり残されているみると、何ともいえぬ感慨がわく、まるで、世の中にとり残された、自分を見ているような気になるのである。今年は、柚子が豊作であった。最後のひとつが、雪催いの空に残っている。その柚子を棒でとっていただく。雪にやられて、水分が少なくなっているが、まだ匂いはいくらか漂ってくる。(昭和8年)

(俳句と日記が重なると、しみじみ「山頭火だな」と安心します。一人である淋しさと一人だから体験できる嬉しさも手元でなじんでいる。いいですね。山頭火の面白さは虚構も体験につながっている面白さのような気がします。)

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ラグビーの影や荒野の声を負い  寺山修司

自ら浄めたる手の花粉の罰   寺山修司

草餅や故郷(くに)出し友の噂もなし 寺山修司

(若いときの句なのでしょうが、初心者の私でも、その表現力を感じます。きっと溢れる才能が体中をかけめぐっていたのでしょうね。自分の若い時、ほぼ同世代です。加藤登紀子も同じですね。探るのも面白そうです。後ろ向きも何もない。楽しければそれでいい。)

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しみじみした秋をまたずとも向こうからやっている。

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老後とは過去の物語の補修のとき

でも「老後」とは老いて後ということなのだろうか?
考えてみれば不思議。

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