あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

コスモスは点描法で咲くものか  あきオジ

2010-09-07 22:08:54 | 日記
コスモスは暑さのせいでしょうか
背が伸びず、花も落ちているようです。

コスモスの本番は10月でしょうね。
でも、楽しみです。

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秋の風ひとのかおより吹きそむる  一茶

梅干しと皺くらべせんはつ時雨  一茶

(世俗的な話題から離れると一茶は芭蕉の流れになびいてしまう。そんな気がします。ときろ、一茶は芭蕉を乗り越えようと真面目に考えていたけれど、そうはいかない。「参りました」という思いが心の隅にあったのではないかと思ったります。深読みしてはいけないのですが、そんなことを思います。)

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空高く屋根つきだしし坐禅堂  あきオジ

2010-09-07 06:47:05 | 日記
円覚寺の塔頭の屋根
いまどき珍しい茅葺屋根ですね。

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花火見えて湊がましき家百度   蕪村

花火せよ淀の御茶屋の夕月夜  蕪村

もの焚て花火に遠きかかり舟  蕪村

(美しい夏の風物詩ですが江戸時代はどのような行事だったのでしょうかね。今の花火とはずいぶん、違っていたのでしょうね。でも、日本人は花火が好きですね。「儚い」があるからでしょうか。)

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今日は暑気払い。

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実朝の銀杏倒れて空高し  あきオジ

2010-09-07 06:43:32 | 日記
円覚寺の入り口の階段の脇にある木です。
もみじも色づきはじめる季節ですね。

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ふりかへらない路をいぞぐ  山頭火

歩き出したら、もうふりかえってはいけない。目の前に、ひとすじに見える白い路をどこまでも、まっすぐに歩いていかなければならない。
誰が決めたわけではない。自分の路を自分で歩く、はてしない道、帰るあてもない道。自分は、定住しない。一所不住、それを心に定めた。もう帰ることは二度とない。
九月、一鉢一笠、懸命の旅を覚悟して、また、新しい旅にでた。(昭和5年)

(同じような内容が繰り返し出てきます。それが山頭火の思いの本当のところだろうと思うのですが、そうでもない事実もあるようです。私も日々の思いを書くとき、思いが先にあり、自分の事実は置き去りにしている。そんなこともありますから、人間の事実は、そんなことなのだろうな、そう思うこともあります。

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一枚の写真と一つの俳句
そんなスタイルにおさまれば楽しいでしょうね。
そうはいかないか。

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暑気払い言葉おいて帰路につく  あきオジ

2010-09-07 06:29:06 | 日記
円覚寺の大門の柱です。

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風吹きくたびれて居る青草  放哉

栗が落ちる音を児と聞いて居る夜  放哉

マッチの棒でみみかいて暮れてる  放哉

(最近、マッチをみかけることがないですね。子どもたちは喫茶店や居酒屋で無料で配っていた時代の風景を知らないかもしれませんね。かつて、煙草を吸う人が多く、煙草を吸うことが大人への通過点のように思っていた時代がありましたね。映画館に行くと映画俳優がたばこを吸うし観客も煙草を吸っていました。こんな風に時代は変わるのですね。)

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今日は暑気払いです。
「暑気払い」そんな風物詩も名前が変わっていくのですね。
言いたい放題。
その言葉を店に残して
何もなかったように・・・
それが大人の御約束ですね。

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関口知宏のJR2000キロの旅を見ています。
この種の番組がお気に入りです。
「○○殺人事件」とかお笑いタレントが出てくる番組は時間の無駄。
そんな好みにかわりましたね。
それも、自分で意識しない間に・・・

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