あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

彼岸花道祖神ある別れ道  あきオジ

2010-09-27 21:18:09 | 日記
巾着田の白い彼岸花
でも、本当に白い彼岸花なのか確かめていません。
それにしても入り組んだ道ですね。
ところどころに石仏とな記念碑が建っています。
彼岸花と石仏の組み合わせもいいですね。

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離別されたる身を踏み込んで田植かな  蕪村

(女性の切なさを取りあげた句ですね。でも、思想まで盛り込もうとするのは無理ですね。だから、芸能として、生き延びてきたのではないでしょうか。)

秋の燈やゆかしき奈良の道具市  蕪村

(組み合わせを見る句なのですね。きっと技法的あれこれ言える句なのでしょうね。でも、素人の私には分かりません。ただ、色柄のよさは感じますね。)

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殺人事件をゲームにしたり
娯楽にしたり
「それはそれ」で仕分けられるのが大人なのでしょうかね。

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海の上すべる風は厳島  あきオジ

2010-09-27 20:41:05 | 日記
高く心を悟りて俗に帰るべし  芭蕉

「芭蕉百名言」(山下一海著)からつまみ食いしました。
でも、なるほど
「うまいこといいますね。」

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山路来てなにやらゆかし菫草  芭蕉

(解説など気にしないで、自分にとってどうか。それだけにしていっぱい読みましょう。とりあえず、この句は有名ですから選びました。有名だから名句なのか、名句だから有名なのか。それはたよりない議論ですね。子規によらなければ蕪村は、これほどまで有名にはならなかっただろうと議論もありますしね。でも、そんなこと関係なく、この句は分かりやすく絵柄が見えてきていいですね。)

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「精一杯生きる。」それってそれでいいの?
だって、精一杯って、どんなことを意味するの?

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精一杯
誤魔化さない
手抜きしない

これって、奴隷の扱うとき
徹底して教え込まなければいけないことですね。

どこかで勘違いしている。

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名月を探してあるくビルの秋  あきオジ

2010-09-27 20:00:34 | 日記
「俳句用語の基礎知識」(村山古郷編)を読んでいたら
結社の項目があり、あれこれ書いてありました。
なかなか辛辣な表現もあり興味を持ちましたが
むしろ、「はっぱし」「思っていた通り」とい感想を持ちました。
そんなものなのでしょうね。
巨匠とか大家を中心とした組織なのですね。
大家が定期的に俳句集を公表する場でもあるのですね。
よくもまあ

書や花道の家元制度では
その免許皆伝の免状を手に入れるのに相当額を師匠に支払うのですね。
実際に結社はどうなのか知りませんが
講演料とか式次第とか仕組みとしてあるのだそうですね。
おやまあ

一茶の時代でしたら
それが営業だったわけで
そうかなと思っていましたが
今でも続いているのですね。

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そんなことで放哉とか山頭火に関する著作を見て回りましたが
気がめいってしまいました。
「層雲」の選者だった山頭火も
それなりの報酬を得てもおかしくないのですが
そんな関係があるので地方に行って豪遊し
女遊びをし
借金をして動けなくなり
無心の電報を打つ
などのことが背景にあったのですね。
やれやれ

「おやまあ」ですが角川選書から出版されている本ですか
それなりに理解してもいいのではないでしょうか。

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かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である  放哉

これが自由律俳句なのでしょうか。定型ではありませんね。傘が季語だとすれば、それはそうのなのですが、ちょっと無理ですね。このようなスタイルでなければ放哉はおさまり切れなかったのでしょうか。山頭火の俳句の世界は文字を変則的しなくても十分に賄えるような世界なのですが、ぎこちなく変則的にしている。それは作っている方だけでなく読むほうも同じではないでしょうか。私のような素人には、「だから面白い」「趣向ですね」などという余裕などありません。定型にしたときとの差異、意外性を感じませんね。

小さな島にすみ島の雪  放哉

あれこれ言わずに楽しみましょう。
楽しければそれでいい。
結社で革新運動を起こすことも考えず
有名になることを望ます
そんなことできるはずもなく
師匠もなく
それでいいじゃないか

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秋の日をためて揺れるあかまんま  あきオジ

2010-09-27 06:57:35 | 日記
よけいなことを書きすぎました。

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年寄りは聞くだけでいい口出さぬ

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いな妻や浪もてゆへる秋津しま   与謝蕪村

(このような穏やかで、絵画としても美しい俳句が評価された時代もあったのですね。博物館的名作なのでしょうかね。現代の「楽しい」俳句も読みたくなりました。)

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少々、俳句にくっつきすぎました。
楽しい話題に戻りましょう。

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「赤ひげ」(江口洋介主演)
テレビ版を見ました。
原作が山本周五郎です。
黒沢明監督映画も同じですから
台詞もかなり忠実に再現されていますから
俳優が違うだけなんだ。
そう思いながら、見ましたが
偉大なる作品のリメイクとなったら
監督も俳優も大変ですね。
セットも比較されるし
小道具も精緻を極めた黒沢映画と比較されます。
ご苦労様でした。
最後まで見るのが大変なできでした。

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最近では「お吟さま」の千利休を演じた志村喬がよかったです。

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コスモス摘む声がするあちこちに

2010-09-27 06:16:53 | 日記
コスモス摘み人たち
楽しいでいます。

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野におけ蓮華草ではありませんが
そのままがいいという言い方もありますが
人には「愛するものを自分のものにしたい」願望がありますから
ついつい「欲しい」に負けるのですね。

女性に限らないのでしょうが
夢中になりますね。
でも、そんな難しいことではなく
行って来た証拠
アリバイ
あるいは土産だと思えばいいのかもしれません。

楽しければそれでいい。

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俳句の世界は同行の人たちが言葉遊びとして発達したし
今でもそうだと思いますが
多分、それを芸術だと思っていないでしょう。
教養人の楽しみ
お茶と同列なのでしょうし
私もそんなことでいいじゃないですか
それが今の思いです。

始めたばかりであれこれいうのも僭越ですが
ついつい俳句の入門書を読んだりすると
そんなことに口を出したくなります。

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撫子(なでしこ)の節ぶしにさす夕陽かな  成美

(蕪村も芭蕉もまぎれてしまえば駄作かな。俳句は一句で楽しむものではなく、その俳人の作品の歴史としてトータルを読むものであり、そのときどきの節目としての句を楽しむものらしいですね。この句は夏目成美の句ですが、蕪村の句だと言っても、しったかぶりのおじさんは、「そんな句があった気がするなあ」と言いそうですね。まあ、あれこれ言わずに日々の日記代わりとしてのメモていどでいきましょう。)

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お遍路木槿の花をほめる杖つく  尾崎放哉

(尾崎放哉が自由律俳句のグループに入らず、定型の俳句に入ったら、もっと世界が開けただろうか。そんな問いかけがどこかにありそうですね。素人の私には専門的過ぎますから、見当もつきませんが、でも、資質の問題としては、面白そうです。でも、そのような仮説は、意味がありますね。きっと、あれこれ試行錯誤しながら、たどり着いたのでしょうね。)

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雨降りです。
猛暑も辛いですが
雨降りも鬱陶しいですね。

でも、そのようなことで年をとっていくのです。

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雲流れ旅の終わりはススキなり   あきオジ

2010-09-27 05:55:10 | 日記
巾着田のやどり木のような彼岸花
木に寄生する彼岸花
ちょっとした趣向で人気スポットです。
私も真似して一枚

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どうでもよいことなのですが
芭蕉を最高の俳人と評価し崇拝する人は
一茶を低く評価するようです。
「俳句の世界」(小西甚一)を読んでいたら
やはり、そうなんだと思いました。
そんな俳人は当然のように蕪村を評価します。
そして、子規を称え
山頭火、放哉は無視する傾向にあります。
当然、金子兜太を酷評します。
面白い世界ですね。
身内世界のから騒ぎ
これって、江戸時代のままではありませんか?

お茶の世界も奇妙ですし
書道も同じようなものです。

けっこう、それで間に合っているのでしょうかね?

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次の間の灯で飯を喰う夜寒哉  一茶

(信州の家で義母との確執が続く生活の中での句だとしたら、分かりますね。農家の大きな家の中で別々に食事をしている。私小説のような世界ですね。きっと、このような個人を覆い、自然を表現することで個人を浮かび上がらせるのが、一般的な俳人の手法なのでしょうね。ですから、このような一茶の個人がむき出しにされた句は「はしたない」句になるのでしょうかね。それはそれでいいけれど、あれもあるけど、これもある。そのていどでいいじゃありませんかね。)

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