あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

がっちりと身を固めたる丹波栗  あきオジ

2010-09-25 20:11:11 | 日記
巾着田の彼岸花です。
飽きるほど楽しんでください。
アップする写真がなくなればそれでおしまいだし
新しい写真をとってくれば、そちらに関心が向くのです。

栗の写真を撮ったのですが、いい写真がありません。
覚えていたらそのうちの一枚をアップします。

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頑是ない我に冷たき秋の風  あきオジ  

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霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き  芭蕉

(いわれてみれば発想の逆転です。趣向としては面白いですが「いかにも芭蕉」という感じですね。素朴に見たいものは見たいのだ。それが私です。そんな我がままの方が馴染みやすい。芭蕉はいつも大人の才覚で裁こうとする。そこが安定感であり、「なるほど」なのですが、きれいごとより破綻がいい。そんなわがままが私の中にはあるのです。)

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足もとはもうまつくらや秋の暮  草間時彦

(この俳人、俳号を使わないのですね。いまどき、俳号など流行らないのでしょうか。
それにても、簡単明瞭ですね。こんな句が私は好きです。古典を踏み台にしていたら私の評価が下がるのですが、それもなさそうです。例のごとく、大岡信は、過去の用例を引用して解説していました。歴史が分からないと十分ではない。これは、西洋絵画も同じですが、現代の作家はそのような絵解きを期待していないですね。どうしましょう。)

うたた寝で秋を感じるなまけもの  あきオジ

2010-09-25 18:46:38 | 日記
俳句は気疲れしますね。
それだから俳句なのでしょうかね。

作った句がいいものなのか、それとも、違うのかそれも分からない。
指導を受ければ、二重季語を指摘されたり
季語がずれている
文法にかなっていない
その他の作法について
あれこれ言われそうで
それを想像しただけで嫌になります。

俳句を作る人はよく堪えて
身を削って推敲してますね。
ご苦労様です。

その路線からは最初から逸脱していますし
修正するつもりもありませんが
まだまだ面白がっていられそうです。

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秋風やひとさし指は誰の墓  寺山修司

(意味を考えたり古典的な背景を探る鑑賞法では通じないでしょうね。イメージを再構築した意外性と驚き、そのぶつかり合いが面白い人には面白く、理解不能の人には理解できないでしょうね。そんな面白さが寺山修司の短歌にはあります。俳句がどうなのか分かりません。ぶつかり合う要素を提供しきれているか分からないのです。寺山修司は俳句、短歌から飛び出していますので、自分の表現の場所として限界を感じたのかもしれませんね。専門家でもありませんし、そのつもりもありません。面白ければそれでいいのです。)

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楽しみはいろいろ
今は池波正太郎の世界を楽しんでいます。
なぜ、日本人は時代劇の非論理的な正義論を楽しめるのか
そこを探りながら見ていると楽しいです。

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彼岸花時雨ありがたくうけており  あきオジ

2010-09-25 17:50:12 | 日記
曼殊沙花も彼岸花の放哉の句には見当たりません。
もう少し調べてみます。
これだけ派手な花で畔道に植えて害虫駆除に利用した。
そんな花なのに取りあげないのは解せないです。
あまり評判のよくない花ですが
だからこそ、放哉には取りあげて欲しかったですね。

山頭火にはいくつかありますが・・

そのついでにいくつかのサイトを見ましたが
物凄い量のブログがありますね。
驚きました。
私はめったなことで他のブログを見ないのですが
たまたま、放哉が彼岸花を素材にした句があるか調べていたら
そのことが分かりました。

自分の中に閉じこもってほそぼそとやっていったほうがよさそうです。
気恥ずかしくなりました。

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俳句は評論するものではなく、作るものである。そのことが分かりました。

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よい宿でどちらも山でまえは酒屋で  山頭火

(山頭火は「いい人であった」という記事を読むたびに、それはそうでしょうが、そのことを記載して何を説明したいのだろうかと思うのです。山頭火の周辺の人は山頭火を何日も自分の家に泊めて、路銀を渡すことが可能な人たちであり、句会があれば一週間ぐらい山頭火を引き留めている。そのような教養人で豊かな暮らしの人が愉快で話し上手な山頭火をどのように扱っていたか、想像がつきます。山頭火の周囲には「大人」がいっぱいいて、自制がきかない山頭火を「あやしていた」のだと思えば想像が固まります。それはそれ、事実がどうであったにしても、どうでもいいことであります。ただ、いい人に仕上げなくてもいいじゃありませんか、駄作だっていっぱいある。それでいいじゃありませんか。それを行ってみただけです。見当違いでしたら、初心者ゆへ御放念ください。)

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知って好きになる人もいますが、知って幻滅することもあります。
距離関係は大人は量るものなのですね。

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彼岸花身じろぎせず咲きにけり  あきオジ

2010-09-25 17:37:51 | 日記
巾着田の彼岸花です。
今日は曇り空でしたが写真は撮れました。
でも人はいっぱいでした。
花を楽しむ人たちの表情はいいですね。
飲み屋で愚痴を言いあったり
密室であれこれのことを相談する
そんな人には似つかわしくない
ところかもしれませんね。

それはそれ、大いに楽しんでください。

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お彼岸のお彼岸花をみほとけに  山頭火

彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり  山頭火

(花もちがいいのか植物生態に疎い私には見当もつきませんが、彼岸花は仏花として堂々としていていいような気がしますが、見かけませんね。何か理由があるのでしょう。それとも配慮すべき理由があるのでしょうかね。)

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極楽ね導いてくれるか曼殊沙華  あきオジ

2010-09-25 05:39:36 | 日記
里山の風景はいいですね。
夢があるし
物語ができそうだし
何もできない私は
楽しませてもらうだけ

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飛行機で空から日本の風景を映すだけの番組
ローカル電車が走る風景を映すだけの番組

早起きすると、そんな番組を見ることができます。
それが何よりの楽しみです。

今日は沖縄を空撮してました。
美しいですね。

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澄太君と

枯草あたたかうつもる話がなんぼでも  山頭火

(山頭火の句を読んでいると、いつのまにか一緒に旅している気になってしまいます。特に四国はいいですね。四国の遍路道は大かた見当がつきますし、山頭火が一時暮らしていた熊本、そして、放哉ゆかりの小豆島にも出かけました。ですから、山頭火があるいた道筋の輪郭はなんとなく見えているので、絵柄が想像できるのです。ただ、山頭火を追う旅ではなく、観光の旅だったのが残念ですが、それはそれ、また機会があったら出かけましょう。そのときは、西行と山頭火の足跡をたどる旅です。長生きしなくちゃね。)

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悲しいこともあったけど
過ぎてしまえば笑いごと

でも越えられない山もありました。

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彼岸花隠しごとさえありて咲く  あきオジ

2010-09-25 05:10:28 | 日記
野仏のちかくで咲いている。
何か曰くがありそうな
そんなとき彼岸花ではなくて
「曼殊沙華」が似合いそうですね。

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葛咲くや嬬恋村の字いくつ 石田波郷

(キャベツの産地というようり、とにかく広い場所です。圧倒的な雰囲気が好きです。この句をみつけて、「ああ、そうだったのだ」と思いましたね。
私には、句の良しあしなど分からない。分からないことで臆病になるつもりはありません。自分が分からない句には興味が持てない。自分がいいと思った句は自分にとっていい句である。それだけなのでが、最近はいいとか悪いとか気にならなくなりました。いいと思った句がつまらなく感じたり、その逆があったりするからです。ですから、今日、書きだした句が今日の句であるのです。)

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「折々のうた」に取りあげられる句や歌は、選ばれた作品だけあって、品格がありますし、古典を踏まえた作品も多いですね。だから、私は疲れます。ときおり登場する柳多留の「ほっと」感がいいですね。

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巾着田にまた出かけましょうか。
彼岸花の季節になったら彼岸花で楽しむのです。

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野にいけば野の暮らしあり蝉時雨  あきオジ

2010-09-25 04:49:16 | 日記
巾着田の風景です。

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うつくしや年暮きりし世の空  一茶

一年が終わる。日は暮れて夜空は晴れている。末期の空とでもいうだろうか。なんともいえぬうつくしさだ。(金子兜太)

一茶がつかう「うつくしい」といのは透明感があっていいですね。芭蕉がストレートに美しいと言いだすと、「ちょっと違うじゃないの」とおもうし、蕪村なら「別の言い方ないの」になってしまうのですが、一茶が使うと、「いいですね」になってしまう。そんな気がしますが。

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考えることの大部分は
いいわけだった。
そんな気がします。
誰にしているいいわけなのか
それも分からないで・・・

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