巾着田の彼岸花です。
飽きるほど楽しんでください。
アップする写真がなくなればそれでおしまいだし
新しい写真をとってくれば、そちらに関心が向くのです。
栗の写真を撮ったのですが、いい写真がありません。
覚えていたらそのうちの一枚をアップします。
・・・・・・
頑是ない我に冷たき秋の風 あきオジ
・・・・・・
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉
(いわれてみれば発想の逆転です。趣向としては面白いですが「いかにも芭蕉」という感じですね。素朴に見たいものは見たいのだ。それが私です。そんな我がままの方が馴染みやすい。芭蕉はいつも大人の才覚で裁こうとする。そこが安定感であり、「なるほど」なのですが、きれいごとより破綻がいい。そんなわがままが私の中にはあるのです。)
・・・・
足もとはもうまつくらや秋の暮 草間時彦
(この俳人、俳号を使わないのですね。いまどき、俳号など流行らないのでしょうか。
それにても、簡単明瞭ですね。こんな句が私は好きです。古典を踏み台にしていたら私の評価が下がるのですが、それもなさそうです。例のごとく、大岡信は、過去の用例を引用して解説していました。歴史が分からないと十分ではない。これは、西洋絵画も同じですが、現代の作家はそのような絵解きを期待していないですね。どうしましょう。)
飽きるほど楽しんでください。
アップする写真がなくなればそれでおしまいだし
新しい写真をとってくれば、そちらに関心が向くのです。
栗の写真を撮ったのですが、いい写真がありません。
覚えていたらそのうちの一枚をアップします。
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頑是ない我に冷たき秋の風 あきオジ
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霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉
(いわれてみれば発想の逆転です。趣向としては面白いですが「いかにも芭蕉」という感じですね。素朴に見たいものは見たいのだ。それが私です。そんな我がままの方が馴染みやすい。芭蕉はいつも大人の才覚で裁こうとする。そこが安定感であり、「なるほど」なのですが、きれいごとより破綻がいい。そんなわがままが私の中にはあるのです。)
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足もとはもうまつくらや秋の暮 草間時彦
(この俳人、俳号を使わないのですね。いまどき、俳号など流行らないのでしょうか。
それにても、簡単明瞭ですね。こんな句が私は好きです。古典を踏み台にしていたら私の評価が下がるのですが、それもなさそうです。例のごとく、大岡信は、過去の用例を引用して解説していました。歴史が分からないと十分ではない。これは、西洋絵画も同じですが、現代の作家はそのような絵解きを期待していないですね。どうしましょう。)