あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

コスモスが突き出る空に雲はなく  あきオジ

2010-09-16 16:46:39 | 日記
昭和記念公園の白いコスモス

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物思ふ膝の上で寝る猫  山頭火

(親しい関係にあるのは猫。それもいいかも。猫はすっかり安心している。そう思えば、似た者同士かもしれません。でも猫は用心深く、膝の上で寝るのは飼い猫ということかもしれません。のどかというか、この句だけ読むと「そうですか」で終わりそうです。俳句といわれて「どこが・・・」そんな会話が展開しそうです。)

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涼しさを我が宿にしてねまる也  芭蕉

(「ねまる」は方言で寛いで座る意 芭蕉は品よくというか格調高く日々の事象を表現する技量はすごいですね。ちょっとだけ、自分で俳句を作ってみて分かることもありますね。きっと、江戸時代の教養としての遊びで俳句をつくる伝統の中に入りこむと面白かったでしょうね。)

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地吹雪を木曽の尻振列車かな  後藤綾子

(情景が美しく輝いている。地吹雪、木曽、尻振り、どれもが景色を深めています。自分としては今日取りあげた句の中で、一番のお気に入りです。)

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脱ぎすてて角力になりぬ草の上  炭(たん)大祇(たいぎ)

(このような長閑で平明でそれでいてのびやかな広がりがある。そんな句で、今は十分です。欲張って、「分かったような顔」をするのはやめましょう。

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秋空はみせるための雲をのせ  あきオジ

2010-09-16 16:40:31 | 日記
昭和記念公園の日本庭園

アップする句を少なく。
そう思っているのですが
一つでは何を言っているのか分からない。
解説がないと理解できない。
今の段階ではどうも、絞り切れないのですが
努力してみます。
自作一句
参考句一句
それだけに絞るようにします。

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朝寒や蘇鉄見に行く妙国寺  子規

星空へ店より林檎あふれをり  橋本多佳子

(この句に出会ったとき井上陽水の「氷の世界」で出て来る「窓の外には林檎売り」という歌詞があることを思い出しました。裸電球、浮かび上がる林檎の赤。山積みされた色合いが秋風を引き寄せる。いい句という言い方は素人には生意気だというなら、好きな句です。)

祭笛吹くとき男佳(よ)かりける  橋本多佳子

(「山笠や一点凝視微動せず」「褌がだんじり男に育てけり」等の句が浮かんできますね。素人はその気になるから怖いと笑われそうですが、それでいいのです。)

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秋深く声の記憶もあいまいに  あきオジ

2010-09-16 16:30:04 | 日記
昭和記念公園

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うら壁やしがみ付たる貧乏雪  一茶

(貧乏をことすら語り続ける一茶。人間的な悟りなどを遠い人だから好きです。)

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葉がくれをこけ出して瓜の暑さかな  去来

(「こけ出す」とはころがりだしての意。「瓜」とはまくわ瓜のこと。でも、最近はまったく見ませんね。いかにもクーラーのない時代の夏の雰囲気ですね。)

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コスモスが仰ぐ空に何もない  あきオジ

2010-09-16 06:56:47 | 日記
昭和記念公園のコスモスです。

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何人か住みて顔出すまどの蔦  夏目成美

(一茶等の兄貴分としての存在だったようですね。この句の背景は知りませんが、現代の老人世帯が多くなった風景とも読みとれます。このような普遍性がある句はいいですね。古典的な知識やその人の背景などを理解できないと十分でない。そんな難しいことは私の性分にあいません。)

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風の盆藺笠目深に風つかむ  鈴木詮子

(参加したい祭りですが、人が多すぎてトラブルが多くなっているとか、野におけ蓮華草ということでしょうかね。)

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旅にをるおもひに折るや女郎花  森 澄雄

(この句に興味を持ったのではなく「人は心と言葉により、詩歌の翼で別の時空に飛ぶのである。」という大岡信の添え書きに興味をもったのです。何の能力もなく、才能もない自分が体が動かなくなったとき、そうだ、俳句や短歌の世界があると思ったのです。できるかどうかではなく「それもあるな」という安心は大きいですね。)

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「書を捨てて街をでよう」(寺山修司監督)
久しぶりに見て興奮しましたね。
登場人物の台詞の中に「青森県東津軽郡平内町小湊字小湊」という地名を叫び「佐々木」という名字を語るのです。まさに、その場所を知っているのです。現実の存在する地名なのですね。それだけのことで興奮しているのです。高校野球を見ていると出身校でもないのに、郷里の学校を応援する。あれと同じですね。どうしたものでしょうか。
映像的にも面白いし
次々展開するショット
津軽弁丸出しの台詞も懐かしかったですね。
新しい映画は面倒なので
スカパーで放映されている古典的日本映画をじっくり見ましょうか。

また、楽しみが増えました。ありがたいことです。

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こぼれおちるムラサキシキブ玉となり  あきオジ

2010-09-16 06:00:57 | 日記
昭和記念公園の薄です。
花が咲かない草は雑草
公園で育った草は美しく
路ばたで無差別に育っているのは雑草
そのように意味を与えられて
そのように思いこんできた。
そろそろ大人の見方をしないといけませんね。

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祝い日や白い僧達白い蝶  一茶

(お祝いだから、お坊さんもくる。蝶もくる。みんな白くて、春の魔。金子兜太)

(きれいに読むことも可能だし、映像として見ることもできますね。一茶には皮膚病があったとか、ないとか、そんなことをこの句から読みとろうとする学者もいるそうです。それも楽しみ方ですね。でも、私にはそんな努力はできません。)

六十年踊る夜もなく過ごしけり  一茶

稲妻や畠の中の風呂の人  一茶

(風呂の人?露天風呂ということもある。それに思いつくのに数秒。江戸時代にも露店風呂の楽しみ方があったのだと思ったり、そんな楽しみ方は後の夜のこと、当時は風呂代わりだったのではないか、どうでもいいことを気する。暇すぎだからでしょうか。)

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香取より鹿島はさみし木の実落つ  山口青邨

(この句を読んで、「行ったことある」というそれだけの感想。)

つきぬけて天上の曼殊沙華  山口誓子

(そんな季節なのですね。意味があるのでしょうが、背景を知りたがるのは素人の悪い癖、句を楽しめばそれでいい。深読みしない。それが今の自分スタイル。)


青い柿空には空の居場所あり  あきオジ 

2010-09-16 05:23:26 | 日記
窓には朝風の鉢花  放哉

(海辺の家窓から瀬戸内海が見える。風が吹き抜けるけれど、それは穏やかな風です。瀬戸内海の風は青森の広漠とした地から湧き出るようなすべてを小さくさせてしまう風ではない。放哉に吹く風も、どこか心地良く、寄り掛る場所がありそうな、それを期待するような風に思えるのです。ときとばあいによって、景色が容易に変わるのですね。)

冷かに居れば月さす後ろかな  放哉

(社会人現役時代の句です。寂しさも懸命にこらえている。そんな雰囲気が見えますね。俳句に寄り自己崩壊に流れるのをたえているようにも思えますが、そうでもないでしょうか。素人の私には気恥ずかしいほど、かちかちになっているように思えるのです。)

草鞋ぺたぺた晩の酒買いに来る  放哉

(こんな平明で、切りすぎた散髪という雰囲気ではない。こんな句で十分です。少しずつ楽しませてもらいます。)

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雨が降り、一気に秋ですね。
昭和記念公園のコスモス
巾着田の彼岸花

そして、一気に紅葉ですね。

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