あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

炎天が接ぎ穂となりし萩の寺  あきオジ

2010-09-13 16:12:55 | 日記
昭和記念公園のカメラマンです。
今日の昭和記念公園は運動不足解消のてめの散歩
犬の散歩
紙飛行機熱中人
行くところがない人
コスモスを写真にする人
そしえ、保育園の遠足
そんな人しかいませんでした。

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みやこ哉東西南北辻が花  一茶

道は四方に通り、辻辻は花。人のゆきかいもまたはなやか。都だな。

(この続きに金子兜太は夏の歌としての論を展開しているのですが、とても面白い。でも、そんなことをしたら、どんどん横道にそれてしまう。今は句に馴れるだけで十分なのだから。)

朧おぼろふめば水なりまよひ道  一茶

おぼろ おぼろ
おぼろのみちは
おぼつかな
みちかと踏めば水たまり
草鞋にしみるたよりなさ

(こんな訳もあるのですね。これは金子兜太が「現代語訳 日本の古典・蕪村・良寛・一茶他」河出書房新社で訳したものです。面白いです。この訳に続きに対話風の解説がついているのです。)

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あの人もコスモス畑で見え隠れ  あきオジ

2010-09-13 16:11:02 | 日記
昭和記念公園で遊ぶ
これが私の老後です。
今の時期はコスモスです。
でも、今年は期待できないですね。

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朝靄豚が出て来る人が出て来る  放哉

迷って来たまんまの犬で居る  放哉

山の芋掘りに行くスツトコ被り  放哉

さつさと大根の種まいて行ってしまった  放哉

(大正15年、最晩年の句ですね。金子兜太あたりが評論しているかもしれませんね。解説がないと意味不明です。この時期の句は自分だけ分かっているような、ひとり言というかぶつぶつ言っているような句が多いですね。形式にしても、表現にしても解説を読めばわかることもあるかもしれません。ぼちぼち確かめていきましょう。)

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古人移竹をおもふ

去来去移竹移りぬゆく秋ぞ  蕪村

古人にわかる

木曽路行ていざとしよらん秋ひとり  蕪村

(年を取ると若い時には気づかないことを深く考えたり、さりげないことに心痛めたりするのですね。人の心は季節と微妙につながっており、その思いは古人とつながっている。そんなことを考えると、日本の歌人や俳人のそれは底流でつながっている。そんなことを思いますね。蕪村の句は芭蕉を意識していると、一茶も芭蕉を乗り越えようと懸命なのですね。)

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あれこれ気づきが散乱してしまい
まとまりがなくなってしまう。
私の未熟さなのですね。

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秋空にヘリ沸き立つ基地のまち  あきオジ

2010-09-13 16:07:59 | 日記
昭和記念公園は秋空
とにかく出かける
でかけると何か発見する。
それにしても贅沢な場所ですね。

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長き夜や障子の外をともし行く  子規

掃溜に捨てずもがなの団扇哉  子規

朝顔にあさつての莟多き哉  子規

(子規と言う人は多彩な人で多くを猛烈な勢いで突き進んだ人ですね。子規がいなかったら蕪村も一茶も曙覧も世に出なかったかもしれません。不思議な人ですね。)

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橘曙覧を子規が推奨したエピソードを知ったとき、思いましたね。世には宝物がいっぱい埋まっている。そのまま埋もれたままでいたい歌人もいますすが、その時期を待っている歌人もいます。そんな楽しみを得るところまで深く探れたら、それはそれでまた楽しいでしょうね。)

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道問へば一度にうごく田植笠  俳風柳多留

(私くらいの年代までの人は田植えのシーズンのこと知っていますね。でも、田植えの笠まで整った風景は知りませんね。田植えのシーズンになると休暇を取って親戚の田植えの手伝いをするというようなことが日常的でしたね。そんなことも歴史から消えて行きました。私にとってこの句の風景は「七人の侍」のラストシーンですね。)

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それはそれ私は私の秋むかえ  あきオジ

2010-09-13 06:47:11 | 日記
昭和記念公園のコスモスです。

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紫陽花におもたき朝日夕陽哉  中川乙由

水飯のごろごろあたる箸の先  星野立子

青梅や徒党組むごと笊にあり  原コウ子

(最近の俳句には慣れていません。とりあえず、「折々のうた」から引用しました。まだ、肌になじむには時間がかかりそうですね。)

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何か求むる心海へ放つ  放哉

波音正しく明けて居るなり  放哉

こんなよい月を一人で見て寝る  放哉

月の出の船は皆浜辺にある  放哉

(このような穏やかな句が出てくるのは、どのような状態なのでしょうかね。いつも歯を食いしばって言葉にするのは止めようとしていた。それがこだわりであり、句にするのは「書いて捨てる」営みなのでしょうかね。)


横道に入りば桔梗の門があり

2010-09-13 06:15:57 | 日記
鎌倉の住民はあの観光客は迷惑でしょうね。
自分たちの文化をかき乱している。
そんな感想なのでしょうね。

ですから、横道にはいって
人がみられない道になると
はっとするような意匠の門があったり
庭木が植えてあったりします。

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うきわれをさびしがらせよ秋の寺  芭蕉

人々をしぐれよやどは寒くとも  芭蕉

(秋になると芭蕉の「しみじみ」が懐かしくなりますね。芭蕉の絵が句景色は色が見えず靄がかかっている。勝手に決めてかかっているのですが、そんな思いがあります。)

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今日は本を一冊持って電車に乗ろうかと思っています。
どういう展開になるか
ブログに書きます。
でも、もうそのことすら忘れているかもしれませんね。

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湘南を走る電車の音がする  あきオジ

2010-09-13 06:13:11 | 日記
鎌倉学園前を通過する江ノ電です。
湘南の海を走るとき
大仰な音などせず
突然姿をみせる。
その「ふと」感がいいですね。

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空も人も時化る  山頭火

きのうも時化。きょうも時雨だ。明日も雨かもしれない。「土方殺すにゃ刃物はいらぬ。雨が三日降りゃみな殺し」というのを聞いたことがあるが、わたしだって同様、大時化のためにスカンピンである。
夜、どうどう我慢しきれくなってドブ一杯、その二杯が効いていた。どうぞ、明日は降りませんように、祈るような気持ちで床に入ったものの、逆に目が冴えて寝つかれない。(昭和5年)

ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない  山頭火

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この坂も陽が落ちきって影もなし  あきオジ

2010-09-13 05:51:29 | 日記
円覚寺の弓の道場でみかけました。
作法を重んじる日本伝統の競技は
絵になりますね。
登場する人も美しく見えますね。

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心からしなのの雪に降られけり   一茶

ふるさと信濃。雪はしきりにふるかかり、おれのこころを暗くうずめる。
ふるさとはこういうものか。
ふるさとはこういうものか。

(金子兜太訳というか、新しい詩の誕生ですね。それまでは、あまり興味のある俳人ではなかったのですが、このぶっきらぼうな訳に出会って、面白いと思いました。また、失礼な言い方ですが知人が増えて様な気がします。)

(この句の背景にある、継母との確執等の問題について、読みとる手もありますが、今はその時期ではなさそうです。)

夕顔の花で洟かむ娘かな  一茶

(かわいい娘さんが、夕がおの花ではなをかんでいる。ほんのりまるい顔に、白い花がはりついた。金子兜太)

(グリコのアーモンドキャラメル。今もあるかな?の「一粒で二度おいしい」あれですね。楽しいし、嬉しい。)

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