あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

ためらいもなく生い茂る萩の里  あきオジ

2010-09-03 17:27:31 | 日記
薪を割るいもうと一人冬籠  子規

(子規の妹は二度の結婚に破れた後、兄、子規の面倒を最後までみたという話が背景にあると、一層、胸に響きますね。このように背景を知ることで思いが深まるというのも俳句の限界であり十分ではないことのように思えるのです。)

飲食をせぬ妻とゐて冬籠  森 澄雄

(この句は痛い。「飲食をせぬ」がすべてですね。不気味とも思える程静かですね。現代の名句ですね。

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古本屋に入るときの軽い緊張
そして、期待。
手にした時の軽い失望
望外の発見
さまざま
年を取るとなおさらでしょうね。
何しろ、残された時間が少ないのですから。

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向日葵も終わり空に切れまなし   あきオジ

2010-09-03 17:21:11 | 日記
神代植物公園の向日葵
どうでして、そのままにしてあるのでしょうか。
こんな姿を楽しむ人がいるのかもしれませんね。

でも、このような輝きの時を過ぎたものを写真にするって
好きなのですね。
始まるものは終わります。
頂点だけに眼を向けるのは、違うと思うのです。

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ほととぎすあすはあの山をこえて行かう  山頭火

山路はや萩を咲かせてゐる  山頭火

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どうにでもなれと意地はる女郎花  あきオジ

2010-09-03 17:17:42 | 日記
神代植物公園のベコニア

日本人は「儚さ」がないと好きになり切れないのですね。
ベコニアは一年中咲いています。
ですから見学者は「いつ見てもきれいね」で終わります。

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名月や池をめぐりて夜もすがら  芭蕉

月のみか雨に相撲もなかりけり  芭蕉

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曖昧な色となりし秋の暮  あきオジ 

2010-09-03 17:06:47 | 日記
神代植物公園のベコニア

季節の無い花
そして、儚げのない花は好きになれないのですね。
それが日本人なのかもしれません。

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手も出さず物荷ひ行(いく)冬野哉 小西来仙 

(この句の先には複雑多様な表現に展開するのですね。私には、この辺りでちょうどいい。でも、芸術をめざす人は形式を壊し脱皮するするしかないのですね。)

一夜づつ捨て去るごとく寒を生く  上野さち子

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「OK牧場の決闘」を見ました。
幼いころ、はらはらしながら見た記憶があります。
でも、大人になった今、こんな理不尽で無法地帯があったのだ。
そんな思いが先にきて見ている余裕がありませんでした。
バート・ランカスターもカーク・ダグラスも亡くなりましたね。

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嘘さえも嘘にならない掘りごたつ   あきオジ

2010-09-03 16:06:26 | 日記
神代植物公園の中にある疏水
いかにも、そんな野趣に満ちた流れです。

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藪入(やぶいり)や泪先立つ人の親   一茶

春風や犬が寝聳るわたし舟  一茶

夕霧や馬の覚(おぼえ)し橋の穴  一茶

(このゆような動物の修正にまで観察が及ぶのですから、一茶は優れた俳人ですね。そう思います。この句は一茶57歳の安定した心持で過ごしたときの句ですね。)

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クズ揺れてしらずに秋に入りけり  あきオジ

2010-09-03 06:04:58 | 日記
皆働きに出てしまひ障子をあけた儘の家  放哉

(小豆島の温かい日々。風もやわらかく、住む人も穏やかで優しい。障子を開け放しにしても何の心配もない。そんな中で、堂守をしている放哉。まかないのおばさんもいたとか。そんな働き者の島民の中で、一人「そのままでいいんだよ」と言われて孤独を感じている放哉ちょっと、見えるような気がします。そのうち、あれこれ見えてくるかもしれませんね。ちょっと楽しみです。)

栗が落ちる音を児と聞いて居る夜  放哉

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猛暑中、歩き回り
体のあちこちに症状が出ました。
どれもこれも老人のもの

どうにか秋にならないとおさまりませんね。

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ベコニアの名が語らない懐かしさ  あきオジ

2010-09-03 05:41:04 | 日記
神代植物公園のベコニア
温室で育てられているベコニア
季節が見えない花です。
いつ行っても咲いています。
咲いていると言うより、咲く季節を調節しているのでしょう。
それがベコニアにとって幸運だったのか
どうか・・・

薔薇は十月の薔薇フェスタに向けて準備中です。

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那須温泉

湯をむすぶちかいもおなじ石清水  芭蕉

(那須温泉、きっと研究者ならどのあたりの温泉なのか特定できるのでしょうね。那須には山間だけでなく、いろいろな場所に温泉があります。栃木県で暮らしていたとき、小さな温泉にあちこりでかけたものです。喜連川、馬頭も懐かしい温泉です。きっと、芭蕉が寄った温泉は、栃木県北部の温泉だったのでしょう。日光から那須の麓にくだり、黒磯から黒羽方面を歩いている姿が見えるようです。田んぼと森しかない、でもとても美しい場所でした。今も変わりがないでしょうか。)

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野に咲けば野の風になる赤き花   あきオジ

2010-09-03 05:26:37 | 日記
名があれば、その名に納まってしまう。
でも、名がなければ
その風景の中に溶け込んで
風になる。

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波音強くして葱坊主   山頭火

伊豆は明るくて大好きだ。波音は強いが、波はおだやかである。人情もことのほかいい。湯も酒もいい。今夜も酔って、しゃべった。湯と酒が無可有郷にわたしを連れていってくれた。ぐっすりと眠れた。昼間の葱坊主が、夢の中にあらわれてはきえた。波濤はまだ続いている。ノンキだね。ゼイタクだね。モッタイないね。伊豆の風景の中にすっかりとけこんで、すっかり酔って、ぐっすり眠りに落ちる。(昭和11年)

(伊豆は私の郷里。もう帰ることもないけれど、懐かしい。伊豆の海はことのほか長閑で美しい。なぜか西伊豆には鉄道がない。そだれけに有名な観光地の割には出かけるには、不便です。その不便さが時代の流れをゆっくり受け止めているのでしょう。このような日記とセットにすると山頭火も好きになれますね。)

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このようなブログでも、本人は大まじめ、けっこう楽しみにしています。