あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

コスモスにごちそうさまする秋の暮れ  あきオジ

2010-09-12 15:21:43 | 日記
昭和記念公園のコスモスです。

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なきがらや秋風かよふ鼻の穴  飯田蛇笏

(これだけ理性的に人の死を表現されると、圧倒されますね。悲しみをこのように表現されると心が痛いですね。こんなところに言葉を探すことに命を掛けるプロのすごさを感じますね。でも素人は素人なりの世界があるのです。その世界はプロは入り込めない。だから面白いのかもしれません。アンリ・ルソーのようにね。)

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柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺  子規

(どうしてこんなに有名なのだろうか。それは名所を象徴する景色、そして小道具を巧みに配置し、音まで装置にしている単純にして明快。そして、俳句によって地方案内しえいる。そんな東海道五十三次の俳句版というような巧みさではないでしょうか。

「赤福」を食えばお伊勢参りの五十鈴川

こんな感じかな?)

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土手を外れ枯野の犬となりゆけり  山口誓子

(このようなセピア色の風景を感じる句はいいですね。この犬はいまごろどうしているのでしょうかね。飼い犬になっているとは思いませんが、人生は意外性の連続、まさかが現実であったりしますからね。)


この夏もちひろいろの雨のいろ  あきオジ

2010-09-12 15:14:34 | 日記
昭和記念公園のコスモスです。
この色がいいですね。
「儚げ」がある花は好きです。
儚げは風にそよぐのですね。

「ちひろ」とは勿論、岩崎ちひろのことです。

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夕日影町一はおのとんぼ哉  一茶

町は夕日
その光のなかに一面のとんぼ
すいすい すいすい
町中に浮くとんぼ

「故郷の柏原を思い出すんだろうね。その幼児までも」
「初秋の町に佇んでいる、旅の一茶の姿が見えます。

(金子兜太の解説)

餅腹をこなしがてらのつぎほ哉  一茶

門の月暑がへれば友もへる  一茶

(いまは、ただ、読めるもの、景色が見えるものだけを拾っていますが、来年になったら、意図的に拾い出してアップできるようになりたいですね。半年過ぎましたが、いまのところは好奇心だけで続けています。)

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お茶の水身を投げし人あり夏終わる

2010-09-12 15:12:31 | 日記
人の声して山の青さよ  山頭火

ふるさとの山はいい。その青さも、一段と心に沁みとおる。すべてがなつかしい。
人の声のひびき、山の青さ、何とみずみずしいことだろう。旅の途中でも、人の声を聞き、山の青さをずい分と見つつ歩いた。が、ふるさとに帰って、落ち着いて聞き、見るのとは、まったくちがったものである。川棚あたりの風土は、自分のうまれたころの明るさそのままでなつかしい。(昭和7年)

笠をぬぎしみじみとぬれ  山頭火

ここで寝るとする草の実のこぼれる  山頭火

(句そのものが十分表現されていない。それが山頭火なのでしょうが、日記とセットになるとなるほどね。では、俳句としてどうなのでしょうか。そんな疑問をもっていながら、評価が定まっている?俳人の句には、ものを言わないのでしょうかね。それとも自分の読み方が足りない。きっと、そうなのでしょう。また、いい時期に考えてみましょう。)

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秋涼し小澤征爾のセレナーデ  あきオジ

2010-09-12 06:50:11 | 日記
ハリスト教会の紋章
仰々しくも、活気がないところでした。

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最上川秋風簗に吹きつどふ  水原秋櫻子

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きょろきょろ いつも嘘つきたそうな あんな綺麗な眼つき  よしたまえ 大熊信行

(こんな短歌表現もあるのですね。これって、分かります。こんな口語で非定形短歌も面白いですね。小難しいのは後回しです。俳句も、ここまで前進する一派があってもいいのではありませんか。きっと、まだ、私の目に入ってきていないのですね。ぼちぼち。)

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芋の露連山影を正しうす  飯田蛇笏

(この視点はカメラですね。カメラ目線でなければ見えません。でも俳句にすると上品で鋭角的な句にみえますが、写真の世界ではありきたりの切りとりかたなのです。そう、俳句は写真に追い越されている。今は、それほどでもないけれど、写真の表現できない心象風景を細くするような役割になるかもしれませんね。)

古典俳句は芭蕉、蕪村、一茶、現代俳句は、放哉、山頭火、子規にして、一年はその句をとにかく読んでみよう、そんな思いで読んでいたのですが、最近はわけがわからなくなっています。あちこちに手を伸ばしています。それを感想などもたないで、読みたいものだけを読もうと思っていたのですが、あれこれ「知ったかぶり」のようなコメントまでつけています。恥ずかしいことです。まだまだ、あれこれ読むことに専念します。でも、どうなることやら・・・。

ネットでは曼殊沙華は発芽とき   あきオジ  

2010-09-12 06:36:22 | 日記
お茶の水のハリスト教会です。
時代の化石のように建っていますが
いまでも現役です。

教会とか寺院が元気な間は「帰る場所がある」安心がありますね。

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はつ雪を煮喰けり隠居たち  一茶

煮て食うとは、なにかのまじないかな。
なつかしさというものかな。
雪は初もの、食うほうは皺くちゃ、
なんだか気味がわるいや。(金子兜太)

(現代語訳「日本の古典」の一茶に登場する金子の訳です。現代語訳と言うより、自分なり訳ですね。楽しいので取りあげてみました。)

大門や涼がてらの草むしり  一茶

(あれこれの解説を読みすぎると、鑑賞が臆病になりますね。)

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夢中になると飽きるぼちぼちやめないのがいい。

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飛び乗った中央線の涼しさよ  あきオジ

2010-09-12 06:20:46 | 日記
お茶の水駅に入る中央線です。
これから一気に秋になりますね。
でも、猛暑でした。

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お遍路木槿の花をほめる杖つく  放哉

道を教えてくれる煙管から煙が出てゐる  放哉

(そんなことあったなあの感想では俳句鑑賞にはなりませんが、素人の道楽、そんな難しいことは考えたくないですね。自分が分かる句を選ぶ。それがわたしの選び方です。)

畑のなかの近か道戻つて来よる  放哉

(放哉の鬱屈して言いたいことを我慢している奇妙な緊張感がありますが、この句には、穏やかな日々を象徴するように柔らかな気分があって好きです。)

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