秋風の石を拾ふ 山頭火
寒くなった。秋もずい分と深まった。冷たい風が、身を吹き抜けてゆく。法衣をひるがえしす強風。あたりの枯葉が、はらはらと落ちる。秋はさみしい。心の中も秋風が通りぬけていく。人は所詮さみしいものではあるが、このころになると、やけにそのわびしさが身にしみて感じられる。路端の白い石ころ、秋風にふさわしい石ころを、ひとつひろってながめる。形も自分の頭に似ているようで、妙に親しさを感じた。袋にひとつ治める。(昭和6年)
(丸谷才一の「横しぐれ」では、あれこれの学者などが言いたい放題。山頭火の欺瞞性を暴いています。もうすこし体裁のいい言葉であるのですが、「善意の俳句仲間に無心するとか宿泊する場所を提供させる等の事実を取りあげています。だから、どうこうという話ではありません。そんな事実をとり上げなくても、透かし見ることは容易です。むしろ、日記でもそれらしいことを書いてしまう山頭火が面白いですね。出家などちっとも考えておらず、演じている自分を日記に書いている。それが面白い。いやいや、あれこれ余計なことを書きました。後一年、お付き合いをして、「飽きたら捨てる」興味があったら、一歩前に、そんなつもりです。素人はいつでもファンであることを止めることができますからね。)
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世の中には学歴自慢、会社自慢、健康自慢。そして多彩な趣味自慢などを「恥ずかしさを感じない」ままでいる人が多いですね。そんな人とはそっと。離れていることにしています。でも、近づこうとして痛い目にあうものですね。悔しいけれど、しかたありません。
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