あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

梅咲きて暦取り出す慌てもの  あきオジ

2011-01-02 17:39:34 | 日記
元旦を初雪降るや二三寸   放哉

酒もうる煙草もうる店となじみになった  放哉

(俳句として意識して作った句もあれば、俳句にする前というか、そのつもりもないままにメモしたものもある。それが混在しているようにも思えるし、そんなことおかまいなしにすべては俳句として作られたものだと主張する人もいるでしょう。
それにしても前句の「いかにも俳句」という作品もあれば「えっ、これでも俳句」と素人が驚いてしまうような作品もあります。俳人であったのですから鑑賞する人を意識したのでしょうし、発表することを前提にしているのですが仕分けもしていたと思うのですが、どうなのでしょうか。全てが俳句です。という言い方が一番穏やかですが、どうも分かりませんね。)

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雪深き富士が浮かび空高し あきオジ 

2011-01-02 17:21:56 | 日記
元旦やおもへばさびし秋の暮  芭蕉

元旦は田ごとの日こそ恋しけれ  芭蕉

年どしや猿に着せたる猿の面  芭蕉

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芭蕉の句とはいえ普遍性があるかどうかは、時代を越えた素材を扱わなければ、時代のもので終わってしまいます。時代を区切り浮かび上がらせるとしても、当時の風俗習慣がなくなってしまえば、句の評価もできなくなってしまいますね。特に、他の説明がない俳句の場合は、脆くなってしまい、考古学的対象になっても文学の対象となるのは大変ですね。どのように評価するのでしょうか。子規が蕪村を発掘したように、新しい学者が掘り出したり、再評価したりするのでしょうな。江戸時代の大家が今の時代ではそのままの評価を受けていないこともあります。それだけたよりないものなのですね。だから、面白いのか、頼りないのか?私には分かりません。

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「レオナルド・ダ・ビンチの指紋」をいう興味ある番組を見ました。
スリリングな展開で面白かったですね。

寒牡丹おめでとうがぎこちなく  あきオジ

2011-01-02 17:10:41 | 日記
穴蔵の中で物いふ春の雨  一茶

春雨や窓も一人に一つづつ  一茶

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今日は神代植物公園に出かけました。
蝋梅だけは咲き始めていました。
白梅も咲き始めです。
いよいよ
梅から櫻に流れる春ですね・
もう少しだけ我慢しなくてはいけません。
それも春なのです。

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南天を飾りし門の灯り消え  あきオジ

2011-01-02 05:53:29 | 日記
みなとみらいで発見したポスター
ウオフォールのシルクスクリーンのように
大量に並べることで新しいものを表現する。
あるいは提示する。
そんな意味合いがあるのでhそうか。

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たばこが消えて居る淋しさをなげすてる  放哉

古き家のひと間灯されて客となり居る  放哉

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大きなテレビを手に入れハイビジュン放送を見ている。
そんなこと想像もしていなかったですね。
昔なら老後は読書三昧だったのでしょうが
このごろはテレビ三昧ですね。

それはけっこう楽しいですね。

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ハイビジュンで放映された「桂離宮の四季」を見ました。
かつて、一度だけ秋に拝観したことがあります。
全部が溶け込むようにできている素晴らしいものでした。

雪ふりを炬燵で驚く横着さ  あきオジ

2011-01-02 05:47:27 | 日記
みなとみらいのオブジェ
不気味ですね。
「こんなものなくてもいい」と言いたい人がいたら
このオブジェの作者は「しめしめ」ですね。

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等閑(なおざり)に香たく春の夕かな 蕪村

春の夕たへなむとする香をつぐ  蕪村

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言葉ではなく
映像の時代なのかもしれませんね。

俳句は表現形式としては現代と馴染まなくなっているのですね。
きっと、そうだと思います。

俳句は茶道、華道と同じような教養人の芸事に納まっているのですね。
それもいいかもしれませんね。