それぞれの居場所がありて蔦映ゆる あきオジ 2011-01-11 06:09:55 | 日記 法の世や蛇もそつくり捨衣 一茶 御仏や寝てござつても花と銭 一茶 ・・・・・・・・ 仏法や修行あるいは修行する姿を句にすることは多いでしょうね。いかにもという絵になりますし、物語も吹きこむことができますからね。
人影のなきビル風がほほ叩く あきオジ 2011-01-11 05:59:12 | 日記 お正月のまんまるいお月さんだ 山頭火 ひとり住んで捨てる物なし 山頭火 (一人であることを強調したり、すっかり捨ててしまって、何もありません。そこに、こだわっているのは、周囲の目を意識しているからなのでしょう。それはそれで面白いですね。山頭火には「ひとり」「さみしい」などと強調した句が多いのですが、「言葉にならないほど」せつない段階までいかないで、言葉にしてしまうところが、逆に嬉しいですね。自分たちと遠く離れたところにいるような俳人に興味をもてませんからね。) ・・・・・・ 暖房がきいた机の前で音楽CDを聞きながら、気のきいた句をつくろう等と思ってはいませんが、自分にも自分の世界を楽しむ手法があってもいいような気がします。毎日、爪でひっかいている。そんなことでいいのです。
梅が咲くひとなき広さよ間の悪さ あきオジ 2011-01-11 05:45:09 | 日記 マッチつかぬ夕風の涼しさに話す 放哉 山茶花やいぬころ死んで庭淋し 放哉 (俳句などをつくろうなどと思ったとき、素人は言葉が出てこないですね。出てきても気の利いた言葉が思いつかない。そして、推敲しようなどと思っても、浮かんでくるのは、いやらしい言葉になるばかりです。そこで当たり前なのに「なるほど、こんな言い方もあるのか」と思わせる句が浮かんでくるのが詩人なのでしょうね。ですから、技巧的な言葉と表現をする人は作家ではあっても詩人とは思えないのです。) ・・・・・・・