あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

山茶花がおおう墓に煙立ち  あきオジ

2011-01-06 19:22:18 | 日記
昭和記念公園の山茶花です。
何か、しまりのない咲き方をする花ですね。
色もセルロイドのような不思議な色合いです。

・・・・・・・

行春にわかの浦にて追付たり  芭蕉

行はるや鳥啼きうをの目に涙  芭蕉

(「奥の細道」の出発地である千住で作った句ですね。あまりに有名ですが、私は擬人的な表現はあまり好きではありません。素朴で技巧が見えない句が好きなのです。)

行春を近江の人とおしみける  芭蕉

・・・・・・

NHKで放映していたレオナルド・ダ・ビンチを見ました。
20年以上前にBBCが制作した「レオナルド・ダ・ビンチの生涯」というドキュメントがありましたが
なかなかの内容で、このドキュメントで勉強しました。
ダ・ビンチは左ききで、当時、左利きは悪魔の手と言われていたことも、ドキュメントを見て知りました。
そんな下地があったので、楽しく見ることができました。
このごろは毎日、そのような番組を見ています。

・・・・・・

水仙が花もつころとなりにけり  あきオジ

2011-01-06 18:52:08 | 日記
誰がためのひくき枕ぞはるのくれ  蕪村

閉帳の錦たれたり春の夕   蕪村

(春の日暮れどき、寺ではご開帳が終わって錦の緞帳がおろされている。そんな風景をとらえているのでが、きっと、大きな権威ある寺なのでしょうか。蕪村は傍観的にみているだけで、関わりをもっているようには思われません。画家の視点ですね。)

・・・・・・

カラバッジョやミケランジェロを紹介する番組が立てつづけに放映されています。
こまめに、そして熱心に見ています。
こんな好奇心があったのですね。

・・・・・・

キンチョウの看板磨く冬休み  あきオジ

2011-01-06 06:07:56 | 日記
時代は増幅するだけでなく
不要なものは、どんどん切り捨てて行くのですね。
そうでなければやってられないのかもしれません。
それが時代と言うものでしょうか。

・・・・・

春雨や小磯の小貝のぬるるほど  蕪村

はるさめや暮れなんとしてけふも有り 蕪村

(もう、こんな句が気になりはじめましたね。俳句(もどき)を初めて半年経ちました。今年あたり、その気になる予定なのですが、いまだにその気になりません。でも、続けていくうちに欲も出て来るでしょう。)


カラバッジョ猥雑隠す日の光り   あきオジ

2011-01-06 05:45:59 | 日記
やぶ入の夢や小豆の煮えるうち  蕪村

やぶいりのまたいで過ぎぬ几巾(いか)の糸  蕪村

(江戸時代の気分が伝わってきますね。まだ、幼い子が奉公先から家に戻ってきても、楽しい時もあっと言う間、そんな江戸時代の習慣が見えるようですね。でも時代は確実に変化し、「やぶいり」という言葉そのものが消えて行きそうです。俳句なども同じ運命なのでしょうね。そして、新しい表現形式が誕生するのですね。今の時代、ロック、ラップなどが新しい表現形式として重宝がられているのでしょう。今は、饒舌の時代なのですね。)

・・・・・・

NHKがイタリアを特集した番組を放映していました。
かつて放映した番組を組み合わせるという横着な番組でしたが
ルネサンスの画家等を特集しており
映像を見ているだけで楽しかったです。
ハイビジュン映像のいいところですね。
あわせてカラバッジオを特集したドキュメントを放映していたので
しっかり、録画しました。「マタイの招命」についての論争が興味深かったです。
単に画面の中にあるイエスが指さしているのは誰かという論争です。

どうでもいいような気がしますが、興味をもって注目しようかなどとつまらないことを考えていました。


茶を呑みて「じゃあね」と残す里の冬  あきオジ

2011-01-06 05:32:27 | 日記
荒海へ脚投げだして旅のあとさき  山頭火

ずんぶりと濡れてへふも旅ゆく  山頭火

(山頭火の旅の厳しさは、それなりのものがあり、緊張が緩んだ時の弛緩も楽しい。そして、暖房の効いたマンションの一室で冬の寒さを句にして「まあ、いいか」と言い訳している自分もそれなりにいいかもしれません。厳格さだけが人生ではあるまいと思います。)

・・・・・・・

「いのち・ぼうにふろう」(小林正樹監督)を見て
山本周五郎の圧倒的なエネルギーと
権力に対する思いを知るような気がしました。
「赤ひげ」にしても、そのようなシーンが出てきます。
この映画なかなか面白いですね。
知りませんでした。