あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

遅刻した饒舌女の赤い嘘  あきオジ

2011-01-03 17:55:27 | 日記
伝法院どおりから見たスカイツリーです。

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冬木の月あかり寝ることにする  山頭火

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気骨があり背筋を伸ばした姿勢はいいですね。
現代詩人の中でただ一人「なるほど」と思えます。

「わたしが一番きれいだったとき」

   茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね


手を握り御神籤探すたよりなさ  あきオジ

2011-01-03 17:24:41 | 日記
西洋美術館ではデューラーを紹介する展示かが行われました。

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世ににほへ梅花一枝みそさざい  芭蕉

(みそさざいの故事について解説書はあれこれ書いてありましたが、学者ではあるまいし、あれこれ確かめながら俳句を鑑賞すると言うのも不思議な感じですね。)

梅の木に猶やどり木や梅の花  芭蕉

(親の風雅を子が引き継いだことはめでたいことだという挨拶俳句なのですね。芭蕉と言えでも言葉遊ぶを利用して世渡りしたことは当時としては当たり前のことだったろうし、それをあれこれいうつもりはありません。)

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「悪い奴ほどよく眠る」「天国と地獄」(黒沢明監督作品を見ました。さすがですね。いつも感心するのは画面構成であり、群衆を処理の巧みさです。
一つの画面に上手に収め、それぞれの訳に応じた動きを見せるのですが、俳優は大変だったでしょうね。

夜は「赤ひげ」が放映されます。
楽しみです。

錠あれど風神雷神眠られず  あきオジ

2011-01-03 17:11:43 | 日記
今日は東京国立博物館で過ごしました。
俵屋宗達の「風神雷神図」などの作品が展示されていました。
楽しいひとときでした。

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門々の下駄の泥より春立ちぬ  一茶

はつ春やけぶり立つるも世間むき 一茶

(世間並みを願いながらそうはいかない。庶民の悲哀と見栄っ張りの気分が見えるような句ですね。普遍性を求めると定型的になる。意外性を表現しようとすると個別的な理解しか得られない。プロの俳諧師はその辺りのことで苦労したのでしょうね。)

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赤い実を欲しげに鳴けり冬の鳥   あきオジ

2011-01-03 06:48:07 | 日記
鶴の子や千代も一日はやへりぬ   一茶

(一茶は「おっとりかまえてとぼける」構えは苦手で、ついつい棘のある表現をしたり、慎むべき言葉を使ってしまったりする。それが魅力なのでしょうが、逆に言うと品格に欠けるという批判もあったのでしょうね。そんな気がします。「気がきいたことを言いたい」「人と違った表現したい」という思いがむき出しになったときの句はどうなのでしょうかね。こんな句はどうなのでしょうか。)

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さらさらと流れる先の牡丹哉  あきオジ

2011-01-03 06:36:55 | 日記
神代植物公園の牡丹です。
展示会が開催されていました。
会員はそれぞれの家で丹精込めて育てたのですね。

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にほひある衣も畳まず春の暮  蕪村

春の暮家露に遠き人斗(ばかり) 蕪村

(蕪村の色彩と香りが流れる世界は独特ですね。しかも、香りはなぜか上等な香り、ときには中国風。そんなことを感じるようになりました。ゆったりと時間をかけて楽しむのが私流。専門性に流れず、学問的にならず、我流の楽しみ方を見つける。それがいい。焦って理解するつもりなどない。)

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近づける人に噛みつく寒牡丹  あきオジ

2011-01-03 06:19:11 | 日記
夕べひよいと出た一本足の雀よ  放哉

名残の夕陽ある淋しさ山よ  放哉

(放哉の句を読んでいると、頑なで弱音を吐かないように思える放哉の漏らす「ため息」が聞こえるようなときがあります。それが楽しくなってきました。俳句を楽しむと言うより、俳句でしか語らない人のもらす人生に共感できるような気がしてきました。人生の破たん者と断定したがりますが、そんな形にも不思議な人生の秩序があるのですね。常識人であることを武器にして枠からはみ出した人を攻撃したがる人より、ずっと魅力的ですね。)

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