あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

あれれれれ苺の香り置きわすれ  あきオジ

2011-01-23 17:09:19 | 日記
キルト展のグランプリ作品
人がいっぱいで部分しか撮れませんでした。
今日もBSで放映されていましたが
制作に2年半かかったそうです。
いかにも日本人が好むしっとした色合いで
物語が凝縮されていて
誰もがなるほどと納得できるできばえでした。

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鶯がぎょっとするぞよ咳ばらひ  一茶

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山頭火は

「最初の不幸は母の自殺。第二の不幸は酒癖。第四の不幸は結婚、そして父になったこと」

と記している。
この簡潔にして核心をついた事実で全体が見えます。
私はとくに「そして父になったこと」と書いていますが
後年、山頭火の息子は成人して父親に仕送りをしている。
その意味合いを山頭火はどのように受け止めていたのか
興味深いですね。

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寒椿ひとり隠れて咲いており   あきオジ

2011-01-23 17:01:42 | 日記
栞して山家集あり西行忌  虚子

(西行の歌は私には難しいですね。屈折がありますし、自分だけ理解して読む人を置き去りにすることが多いからです。まあ、ぼちぼと読みましょう。この句のように昔からファンが多い人だったようですね。

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凧(いかのぼり)きのうの空のありどころ  蕪村

雪続く炬燵に並べる初ミカン   あきオジ

2011-01-23 16:50:26 | 日記
昭和記念公園に出かけました。
高校生のロードレース大会があったようです。
カメラマンは梅を狙っているようです。

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けふもいちにち風をあるいてきた  山頭火

(風の中を歩いているイメージは山頭火にふわさしいですね。勝手にそう思っています。読者は、勝手に自分でイメージを固めて、そのイメージに合わせようとするものです。それでは作者に対して失礼ですね。)

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「アイーダ」を聞いていました。
西欧音楽が勝手にエジプトを構築している。

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鶯すむあの梅畑にも家が建ち  あきオジ

2011-01-23 07:05:38 | 日記
そろそろ
写真一点
句一点
そんなスタイルに切り替えなくてはいけませんね。

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キルトのテーマが決まれば
ひたすら生地を集め
縫い合わせるだけ
そう思っていました。
でも、畳二畳ほどの大きさの作品をどのように保管しておくのか
できぐあいを確かめるのに
どのような工夫をするのでしょうかね。
おじさんとしては余計なことをあれこれ心配するのです。

本格的な藍染めを利用したりすることを思うと
気が遠くなるような長い時間があり
そして、制作にかかる費用がかかりますね。
でも、製作期間中の苦労も楽しみであり
喜びだとすれば

何とも贅沢な楽しみですね。

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自分を表現する場所をもつこと
これが大事ですね。
しゃべる以外ですけれどね。

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よびかけられふりかえつたら枯葉林  山頭火

雪へ足跡もがばがつちりとゆく  山頭火

(このような句は暖房のきいた部屋の中で観念的に作るタイプの人には生まれませんね。それにしても「吟行」という疑似体験をして句を作る。不思議な稽古ですね。まあ、いいか。それはそれなんだ。お茶やお花と同じ教養人の芸事なのだ。もし、そうだとすれば、ちょっと恥ずかしい気分。)

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何もないそれも冬の物語  あきオジ

2011-01-23 06:54:23 | 日記
可愛い。
こんな可愛い物語を喜ぶ人が多いですね。
私も可愛いと思いますが
声出して喜び
同意を求めるほどでもありません。

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キルト展を見ていると
何も物語がない
テーマがない。
それが美しい

物語があり
テーマがあり
季節があっても
仕組まれた物語がいっぱいあるものが楽しい

そんな気がしました。

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そう人もそうなのでしょうね。
淡々として存在が温かいそれもいいし

引き出しがいっぱいあって
どれを引っ張っても楽しい

そんな人がいいですね。

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朝焼や太き煙筒汽笛をならす  山口誓子

(煙筒は変換しても出てきません。汽笛もそうです。もう、言葉そのものが過去のものであり、現実味がありませんね。そして、歴史的な意味でしか残らない句になるのですね。俳句も消耗品なのですね。ちょっと淋しいですが、それでいいのですね。でも、古典芸能として残るとしても、文芸として残るのでしょうかね。)

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徹夜してキルト縫いてもそとは雪  あきオジ

2011-01-23 06:45:47 | 日記
グランプリに輝いたのは青森の人でした。
ひっそりとした雪国の暮らしの中で生まれた作品
そんなことがあってもいいですね。

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寒念仏月の古町ひとすじに  水原秋櫻子

(昭和20年代には団扇太鼓叩いて経を唱える集団が町中を歩いていたものです。そんな熱心な業も今の時代、「子どもが眠れないから止めてもらいたい」などの苦情が殺到するでしょうね。それと、気がねして計画もないのでしょうね。そんな宗教的なものも、風物詩になりファッションになり、単なるイベントになったのですね。それでいいのでしょう。でも、この句は絵になる美しさですね。)

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