あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

霜柱撮れたオジサンよかったね   あきオジ

2011-02-26 06:44:20 | 日記
はつ時雨俳諧流布の世也けり  一茶

(文化年間、俳諧が庶民の上等な遊びと言うか、教養だったのですね。この江戸時代の遊びや趣味の延長での競い合いが芸術を生んだところが面白いですね。今の時代の独りよがりの芸術のための芸術とは違った構造が面白いですね。)

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「新岩波古典文学大系」が古本屋に並んでいたので何冊か手に入れてしまいました。
せっかく、不要な本を大量に処分したのに・・・・
これって、これからも続くのでしょうかね。
手持ちの金で買える。
この値段に誘われたのですね。
「阿弥陀堂だより」に登場する先生の人生の終わり方を真似ているのですがね。

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「わかれ唄」口にしながら冬を踏む   あきオジ

2011-02-25 16:40:15 | 日記
灰捨て白梅うるむ垣ねかな  凡兆

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私は「岩波古典文学大系」「現代語訳 日本の古典」「新潮日本古典集成」などを利用しえいるのですが
いつも不思議に思うのは、俳句と短歌に限ったことなのでしょうが、一行の俳句や短歌に数行というより相当のスペースをさいて解説にしていることです。そのような編集方針でまとめているのですから当然なのですが、もっと、読者に「丸投げ」したらどうなのでしょうかね。素人で研究するなど考えていない私には、疲れますね。そんなことまで知ってどうなるの?などと、諦め開き直りをしてしまいます。

福寿草見過ごす人にも春の音  あきオジ

2011-02-25 06:02:16 | 日記
俳句
いまだに「もどき」にこだわります。
俳句ではありませんから、内容のよしあしなどどうでもよく
とにかく、日記代わりに作る
そんな気楽さが身につきました。
ありがたいことです。

でも、大胆さが足りませんね。
おっかなびっくりです。
写真も「笑い」がありませんね。
妙に真面目になっています。

まあ、ぼちぼち

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水に浮く柄杓の上の春の雪  高浜虚子

(こんな句ができるほどの、品のある感性で表現できたらいいですね。茶会でも話題になりそうですね。でも、上品さの中には何もないと思っているので、苦手です。もっともっと野暮ったく、ときには野卑になってしまう。そんな句がいいですね。このような句はまだまだ先で十分です。)

スガシカオ聴いて寝入る夜長し  あきオジ  

2011-02-24 17:22:29 | 日記
なぜかスガシカオのライブを流していました。
この軽快な音楽を聴いていると
自分の時代にはなかったなと思いますね。

中島みゆきの「蕎麦屋」が私の二十代でしたね。

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血潮湧き出て雑念なし  放哉

(放哉もひらがな俳句に向かうために、ずい分、苦労したのでしょうね。)

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雪消えて気づかぬところに福寿草  あきオジ

2011-02-24 17:15:02 | 日記
ニュージーランドで地震があったとか。
遠い国だと思ったのですが、語学留学生いっぱい行っているのですね。

報道が流す情報はバランスが悪いですね。

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冬木の月あかり寝るとする  山頭火

(山頭火の句には、自分だけ納得して、読む人を置き去りにする技法がある。そこが面白い。放哉にも自分だけが分かっている。それでいいじゃないかという句があります。それが新鮮ですね。読む人に「これどうですか」「分かりますか」そんな思わせぶりが多い俳句の中では面白いですね。芸術とは形式の破壊が重要な意味がありますから、そんな意味でも山頭火は面白いですね。)