毎週、小学1年のAくんに空手を教えている。今日の練習は、ほぼスパーリングだけ。(普段は、全然違うことをやっている。)各段に強くなった。見学していたAくんのお父さんも、
「急に強くなったって感じですね。」
と言われるのだけど、
「ええ。これとミットばかりやってりゃ、強くはなるでしょうけど、中学生になる頃にはろくなモンになっていないですよ。」
と答える。ホント、小1から人を殴る蹴る術(すべ)に長けたところで、ろくなモンにはならないと思う。普段は、2人だけで長時間は集中力が持たないこともあり、結構、僕の与太話の時間が長い。それでも、”こんな小さい子に空手ってどうよ”という思いはいつもある。
さて、僕らが練習しているフロアーで、スポ少(たぶん卓球?)の練習を終えた小学生がグダグダ屯っており、しまいにゃ、菓子を喰いながら走り回り出したので、叱りつけた。スポーツをやっている子が心身共に健全であるなんてことは、全然ありえないことで、寧ろ、堪え性も無く、礼儀正しくも無い。集団スポーツになると、陰湿ないじめもある。”スポーツをやらせておけば立派な子に”なんて思っている親とかは、何処まで御めでたいんだよと思ってしまう。
僕は、格闘技以外のスポーツを観るのも行うのも好きだけど、昨今のスポーツに対する異常な賛美には、どうしても抵抗感がある。
”健全な体に健全な精神が宿る”
というのは、どうも誤訳だそうで、正しくは
”健全な体には健全な精神が宿ればいいなあ”
だそうだ。真に、そう思う。