西の空は晴れている

絶望の向こうに希望がある............、はず!

倭姫宮

2017-12-31 12:38:29 | 神社 古代

過ぎてしまえばアッという間の一年間。会社は厳しい状態ですが、僕個人としては、10数年ぶりぐらいに平穏な気持ちで過ごすことが出来た年でした。あと数年、目立たず、騒がず、注目されずにフェイドアウトしていくことを望むばかりです。今年も、数々の神社を参らせて頂く機会に恵まれました。八百万の神々を詣でることで平穏に過ごすことが出来た、いや、そもそも、神社へ行ける時間が得られたこと自体、天神地祇のご加護に感謝です。ので、今年最後も神社のお話で締め。

倭姫宮です。倭姫命を祀ってある。内宮の別宮であり、外宮と内宮を結ぶ御幸通りに面しており、側には皇學館大學、神宮徴古館がある。

崇神天皇の時代に国中に疫病が流行り、それまで宮中に祀ってあった天照大神の御魂を恐れ多いとして、豊鍬入姫命が笠縫村に磯堅城の神籬を建てる。その跡を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国、近江等をまわり、御神託によって現在の伊勢神宮・内宮の地に天照大神を祀った皇女。伊勢に鎮座するまでに、天照大神のご神体を奉じた場所を元伊勢というわけです。

12月初旬の夕方。静かで優しげな感じでした。倭姫命の旅が斎王制度の起源とも言われています。某神社関係の有名な方の講演で、”壬申の乱で 大海人皇子(後の天武天皇)が進軍した道順が、倭姫命の順路と丁度逆である”なんて裏話を聞きました。日本武尊命が東征の際に、神剣(天叢雲剣/草薙剣)を渡したのも倭姫命。神宮皇后等に比べれば、華奢で優しいお姉さま的な女性を連想してしまうのだけど、古代史において重要人物であったろうと思わる。倭迹迹日百襲姫命同様に、倭姫命に古き良き大和撫子を想像してしまうのは自分だけだろうか。 

っとまあ、ここ1.2年で訪れた場所に絡む部分はリンクにしてみたのだけど、結構、行かせてもらったな~って思います。ありがたいや(笑)。


ホント、最後まで運転ばかり

2017-12-27 22:14:13 | 日記

「東部湯の丸」というサービスエリアです。”真田ゆかりの・・・”と書いてある通り、信州・上田の辺りのお客さんに製品持ち込み。毎度急な話で、昼休み中に突然に依頼され、PM4:00までに着けろとのこと。普段通りの天候であれば、3時過ぎには着く距離なんだけど、本日の空は荒れ模様。日本海側を走っている時は風が強くて、車が揺れる揺れる!上越高田から信濃町は凄い暴風雪!!!ノロノロ運転の上、時々吹く突風に舞う雪で上下左右が見えなくなる。そりゃあ、これだけの豪雪であれば、謙信も冬の間は戦はせんわ。松平忠輝も飛ばされるわ。

常に緊張感いっぱいで、”なんの修行よ!”って思いながらの運転。

往復8時間、自分も車も無傷で戻ってこれただけで今日は良しとしておこう。それにしても、今年はこんなんばかりの年でした。本来のエンジニアとしての仕事は全くアレだったな~。

SK風に言えば、”運転するだけ!”

まさかこの年末に製品持ち込みは無いと思っていたので、自宅の前を除雪した時のデカい長靴のまま出社。当然、それを履いての運転となったのだが、途中で寄ったサービスエリアで、いかにもトンキン風なねーちゃんが、俺の長靴をじ~っと見てから、それこそ顔から足元まで舐めるように見るのよ。わざわざ振り返ってさあ。恥ずかしいというよりは、ちょっと腹立ったよな~。こっちは仕事だっつうの!


皇大神宮

2017-12-11 22:12:42 | 神社 古代

皇大神宮。観光客が伊勢神宮と呼ぶのは、ほぼこの内宮。”神宮”と言えば伊勢神宮を示し、外宮内宮をはじめ、倭姫宮、伊雑宮月夜見宮、他摂社、末社を含めて125社の総称である。太陽神・天照大御神様を祀る。これまでに何度も参拝させて頂いているので、もう写真撮るのは止めようと思って参ったのですが、日の光が余りにも神々しいので・・・。

この時期、宇治橋から登る日を撮る観光客が多いって聞いていたもんだから、少し時間をずらして行きました。それでも凄かった。平日の参拝者は少なく、澄み切った空間に神秘的に陽が射しこむ。

毎度、御正殿と荒祭宮しかお参りしないのですが、今日は風日祈宮や大山祇神社等、ゆっくりと時間をかけて全部、参拝しました。

風日祈宮橋から。

御正殿の近く。やっぱ、人間は陽の光を浴びて天地の神秘を感じるというか、こういう時間を頂いたことに感謝です。


神都にて

2017-12-10 19:19:48 | 神社 古代

浅見光彦シリーズで有名な内田康夫さんの推理小説で、「夏泊殺人岬」というのがある。もう何十年も前の作品ではあるが。これは、伊勢にある皇學館大学・雅楽部の夏合宿で殺人事件が起きるという話。(作品中では”皇習館大学”としている。”精華寮”はそのままで書かれているけどね。)

皇學館大学。私の知る限り、太平洋戦争後にGHQによってお取り潰しにあった唯一の大学のはず。柔道、剣道は武道からスポーツに化けることで何とか生き残ったのだが、神道についてはそういう訳にもいかなかったのでしょう。1962年に吉田茂を学長として私立大学として再興する。”小さくても良いから、日本の良き精神を伝える大学であってほしい”的なことを吉田茂が言ったとか。

外宮、内宮を結ぶ道路の丁度真ん中辺りに、皇學館大学はある。この道、大学駅伝の時は大盛り上がりだったんだろうな。

小説の中では、---伊勢神宮に隣接する倉田山という台地の広大な敷地に建てられている。緑に囲まれた立地条件はもちろんだが、伊勢という土地柄そのものが、きわめて「教育的」であるといえる。-途中略- 卒業後の就職先が教育者であり神職であることを考えれば、そういうまじめ人間であってもらわないと困るのだけれど・・・・・・。その「きびしさ」の象徴のひとつに寮規則がある。---と書かれている。では、今現在の皇學館大学は、雅楽部は、リアルどうなんだろう。ということで、本日、皇學館大学・雅楽部の第41回定期演奏会を拝聴。

初めて雅楽というものを拝聴しましたが、あっと言う間の2時間でした。良いです。俺は好きになりました。難しい事は解らなくても、なんつ~か日本人の心に響く音色というか。皆、姿勢正しくきびきびと動き、且つ、優美です。旋律というのか、メロディーラインっていうのか、正式には何と呼ぶのか知らないけれども、予想していた以上に普通に入って行けました。

 蘭陵王。”かっこいい!”の一言に尽きる。剣指って言うのだったっけ?人差し指と中指を立てるやつ。安倍 晴明が”急急如律令!”ってやる時とか、中国の剣舞とかでもやるよね。剣指を立てながら雅楽に合わせて舞う姿は、何度も言うけど、ホント、”かっこいい!!”だってばよ。

最後の部長さん?(委員長さん?)のあいさつが、年甲斐にも無く聞いていて私も貰い泣きしそうになった。吉田茂の時代とも違う、「夏泊殺人岬」の時代とも違う。でも、彼ら彼女らは、確実に日本の良き精神を受け継ぎ、育てていっているなって感じました。伊勢は、やはり神都です。神が住まう都。演奏会終了後、倭姫宮、外宮と参拝。明日は内宮を詣でてから、名古屋での仕事に向かう予定ですが、もう、伊勢に来るだけで幸せというか、ありがたい気持ちになりますねえ。

地ビール・神都。美味し。ありがたや。

これで止めておけばいいのに、地ハイボール・イセシマ&ステーキ。やっぱ、酒飲みは人間のクズということで(笑)。