西の空は晴れている

絶望の向こうに希望がある............、はず!

姉倉比賣神社

2018-03-25 19:39:21 | 神社 古代

富山県最古の神社。姉倉比賣神社。第十一代垂仁天皇の御世というから、かなり古い。姉倉比賣命は、この地に機織りの技術を伝えたと言われる女神様。

優しいけども、厳しい女神様。太古、だんなの伊須流伎比古が能登比咩と不倫をしたもんだから、船倉山の石を投げ尽くして、この辺りは大混乱になったとか。裁定を行ったのが、国津神系のトップというか、日本海側の大将である大国主命様。何故だか、姉倉比賣命が悪い(!?)ということで、能登の方からこちら(呉羽山)に流罪となったとか。流石、大国主命様!須勢理毘売命、八上比売命、奴奈川姫命等、日本海側の綺麗どころを総なめにしただけのことはある。スサノオさんの娘を正室にしておきながら・・・。女性側からすれば、理不尽な裁定ではありますな。(笑)

この神社は古墳の上にある。姉倉比賣を埋葬した古墳なのかもしれない。小高い丘の上に社殿があり、側には小さい公園がある。昔は子供らがここで遊んでいたんだろうなって思わせる雰囲気。優しい女神さまに見守られてね。近くには呉羽駅。20年くらい前に、一度だけ利用したことがある。その時に、”この駅を中心にそこそこの賑わいがあったんだろうな”って何となく感じたのを思い出した。自分が高校生の頃にそこそこ人々の中心となっていた駅って、今は無人駅の場合が多々。仕事や観光で他府県へ行っても、あるのはしま○ら、す△や、ガ□ト、青×。ホント、地方はどこも全く一緒の風景。何かにつけ富山マンセーな地元テレビや新聞、県民性が大々嫌いな自分が言うもの何ですが、小さい小さい集落や商店街の独自性と歴史は継承されて欲しいものだと切に思いました。


白山比咩神社

2018-03-11 13:40:29 | 神社 古代

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。白山本宮、加賀一宮。霊峰・白山を仰ぐ白山信仰の総本宮です。

ご祭神は、白山比咩大神、伊弉諾命、伊弉冉命。白山比咩大神は菊理媛命(くくりひめのみこと)と同一神とされている。記紀本文には登場せず、「日本書紀」の一書(第十)に一度だけ出てきます。一般的に縁結びの神として有名ですが、シャーマンとも、この世とあの世を取り持つ神とも。黄泉の国で、伊弉冉命を追ってきた伊弉諾命に何かを囁いたそうですが、何と言ったのかは不明とのこと。謎多き女神様です。

 っで、ここを参拝させて頂くのは三度目なのですが、三度目で漸く。正直、前回、前々回、特に何ともという感じだったのですわ。今回は、”いい感じやな~、優しいな~。”って思いました。他のメジャーな神社の場合でも、自分の中で、”ん~、特に・・・”と感じた所はこれまでもブログに載せていません。考え様によっては、俺ごときが失礼な話ではありますが。今回、漸く受け入れて頂いたという感じですかね。女神様だから、雰囲気が柔らか過ぎるんかな~。

もっとも、神宮であっても、初めて訪れた時は、入社一年目の慰安旅行で、バスの中でグダグダに飲んでいて崇敬の念も知識も無いままに参拝。当然に感慨も感謝の念も無し。結果がこの二十数年のサラリーマン人生というか、俺のブラック歴史ですがね。(笑)要は、自分の心の持ち様ですねえ。抜け出さねば!

 ここの表参道は、良いですよ。今はまだ雪が残っていましたが、夏とかはこんな感じです。↓↓↓

 川の近くということもあるのでしょうけど、雄山神社・前立社壇の参道に似ている感じ。そちらは明らかに男神の雰囲気が漂っていますが。


劔神社 19年ぶり

2018-03-04 17:36:31 | 神社 古代

劔神社(つるぎじんじゃ)。別名は織田明神。織田信長というか、織田一族発祥の地です。福井県丹生郡越前町織田にある。

19年前、自分が今の様な神社ヲタでは無かった頃、生後6ヶ月の息子を連れて参拝しました。そんな赤ちゃんを連れて、何で態々ここまで来たのか、目的は覚えていません。今、愚息が春休みで帰郷しており、ここまで無事に成長したことへのお礼参りの思いで、19年ぶりに参拝しました。

織田氏がここの神官であったことは歴ヲタであれば割と当たり前に知っていること。織田氏は元々忌部氏。忌部氏と言えば古代国家では祭祀に関わる一族。”信長は神仏を信じない合理主義者”というのは、あまりにも薄っぺらで一方的な見方。この劔神社、熱田神宮他、多くの神社に寄進しているし、寧ろそっちの知識については他戦国大名より深かったのでは?

 当然、 五つ木瓜(織田家の家紋)が見られます。ご祭神は、素戔嗚大神、気比大神、忍熊王。第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王がこの地を治める時に、素戔嗚大神が夢枕に立ったとか。そこで、忍熊王が座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀ったのが劔神社の始まりということですが、要は古代日本各所に見られる神奈備信仰が元と推測。御霊代は第十一代垂仁天皇の御代に、伊部臣という人が造られた劔です。

 本殿も良い気が満ちていますが、拝殿から左横へ行った猿田彦大神を祀った社殿周辺の杉林がとても清々しい気でいっぱいでした。俺、こういう場所が好きなんですよ。神奈備(かなび)、神籬(ひもろぎ)、磐座(いわくら)、神道の原点ですわ。

 19年前、まだ自分は空手をやっていたので、息子には強い男に成って欲しいと願ったのか、或いは、信長にあやかって偉い人になって欲しいと思ったのか、そんな感じでこの劔神社を訪れたのでしょう。正直、何を願ったのか全く覚えていません。何はともあれ、彼は健康に健全に育ってくれて、有り難い事です。