西の空は晴れている

絶望の向こうに希望がある............、はず!

泰然とありたいものです

2013-02-22 23:42:35 | 日記

先日、嫁の伯父さんが亡くなられた。息子さんが柔道でかなり良いところまでいっており、私が柔道・空手経験者ということで、結婚当初は、わりと親しげにお声を掛けて頂いた。ここ数年は、すっかりご無沙汰していました。

お通夜の時、その柔道青年である息子さんが挨拶。

”父は、何事にも口を出さず、好きなようにさせてくれた。実際、自分も親になってみて、それがどれだけ凄いことかが解った。”とのこと。

この、”好きなようにさせる”というのが微妙なところ。

自分も子供に対して、ついつい口を出してしまう。

もっとも、僕が若い頃は、反抗することや人と違う生き方をすることを美化し、寧ろ、そういう生き方を声高に押し付ける大人は随分といた。今は、変な意味で、自由や個性を強要する親や年長者がいっぱい居る。それも、何か息苦しいし、そういう人達は、大概、胡散臭い。必要以上に自由を押し付ける人に対しては、”あんた、本当は弱くて自信が無いのだろう”と感じてしまう(更に、頭も弱いのだろうって思う)。

僕自身も親になり、また、まだまだ半人前であるのだけど、本当に凄いと感じる人は、一切、口を出さず、見守り続けれる人。伯父さんは、そういう感じの方であった。

子供を信頼することが出来て、何かあれば全て背負ってやれる自信があったのでしょう。

僕も、少しでも泰然とした大人でありたいものです。

伯父さんのご冥福をお祈り致します。


”とんび”のようにはいかず

2013-02-20 22:24:47 | 日記

嫁さんの親戚で不幸があり、急遽、彼女は午後から実家へ。

最近、仕事が溜まってきており、5時ダッシュというわけにもいかないのだけど、

息子に夕ご飯を食べさせなければならず、早めに帰宅。

御惣菜でもと思ってスーパーに寄ったのだけど、お休み。

家から近めのラーメン屋さんを何軒か見たけど、何処もお休み。

水曜日って、そういう日なの?そういうことに疎い。

仕方なしに某コンビニに寄ったのだけど、弁当類が殆どなく、

何も買わないのも悪いと思い、ワンカップのお酒だけ購入。

次に、別のコンビニに行って、漸く適当なお弁当を買う。

息子と二人、”とんび”の世界なのだが、

TVを見ながら、息子はコンビニ弁当をガッツき、私はワンカップをチビチビと・・・。

別段、これと言った会話も無し。

現実はこんなものです。


ちょっと鎌倉へ

2013-02-14 21:48:49 | 神社 古代

12日に大船で打ち合わせの為、11日から大船に入っていたのですが、平塚に高校時代の友人がおり、茅ヶ崎で飲みました。電話やメールは時々アレしていたんだけど、彼と会うのは13年ぶり。飲むのは、20年ぶりぐらいかな。不思議と、思い出話は全く出ず、お互いの近況を含んだ話に終始。次の日が仕事なんでちょっとだけにしておこうと思っていたのだけど、6時過ぎから飲み始めて、楽しくて酒が美味くて、11時過ぎに、しぶしぶ杯を置きました。

次の日の朝、年に数回の”犬散歩”から解放される日であり、惰眠を貪りたかったのですが(正直、酒も体に残っていたし)、折角、大船まで来たんだからと思い、早めにホテルを出て、鎌倉へ。

鎌倉も、中学生の頃に家族と来たことがあるんだけど、大仏の前で家族やら神奈川の伯母夫婦や従兄弟と写真を撮ったのと江ノ電に乗ったことぐらいしか覚えていない。1時間半で大船に戻ってお客様と会わなければいけなかったので、鶴岡八幡宮のみへ。

鶴岡八幡宮と言えば、歴ヲタにとっても、神社ヲタにとってもベタベタなスポットではあります。源頼朝が鎌倉を整備した時に最初にアレした場所。鎌倉駅から歩いて10分ちょっとでしょうか。遠くから見ても、”どうだ!”と言わんばかりの風格。ん~、なかなかパワフルですわ。

鶴岡八幡宮は、仕事運や出世運等の御利益(そりゃ~源氏のアレだもんね)で有名ですが、我が望むのは、”アレもコレもでバタバタ&グダグダの開発業務の中で、少しでもしっかりとした仕様の確立と、じっくり誠実に仕事に取り組める環境”ですね。

前者は、自分の自覚が第一ですが、後者は、ホント、神様、お願い申し上げます。


15年ぶりの墓参り

2013-02-12 23:06:44 | 日記

今日、大船でお客様との技術打ち合わせがあり、昨日から上京しておりました。

ちょっと寄りたい所があったので午後イチぐらいに東京に。行きたかった場所は堀之内の妙法寺。やくよけ祖師・妙法寺として、そこそこにメジャーなお寺さんです。

そこに、祖父のお墓があるのです。僕が子供の頃は、毎年、お盆に上京し祖父のお墓参りをするのが我が家の行事でした。休日の少ない父でしたが、お盆だけは1週間以上の休みをとって上京し、東京観光とお墓参り。自分が2歳の頃から高校卒業まで続いたのかな。青い空と広い墓地が夏のイメージの一つとして、自分の中に残っている。その後も、数年に1回ぐらいは、上京する際は別の用事と組み合わせてお墓参りはしていたのですが、自分で家庭を持ってからは途絶えていました。たぶん、50回忌の法事に出て以降、来てなのでは?

ずっと、心にひっかかっていたんですよね。墓と言っても、祖父は太平洋戦争で亡くなったので、どこかの南の島の土しか入っていないんですが。

さて、妙法寺。15年ぶりに訪れると、ちょっと変わった感はありましたが、裏の墓地へ行くと不思議と迷わず祖父のお墓へ行けました。体が覚えているという感じ。肌寒い日ではありましたが、空は真っ青。お墓の前に立つと、その瞬間に、小学生だったか、中学生だったかの自分に意識が飛んでしまって、何とも表現できない安らぎの中にいました。ドロドロした悩み事も無く、明日のことなんて考えもしていない少年の頃の自分。

お墓参りなんて、生きている側の自己満足でしかないのですが、いや~、スッキリしたし、周りは今現在の風景、俺自身はおっさんになってしまって、たぶん、祖父が無くなった年齢よりもいってしまっているのだけど、心だけが30年前の状態というか、何というか、

”じいさん、ありがとう!”っていう気分。

まあ、でも、手を合わせるということは、そういうことなんだろうな。


白ける

2013-02-05 23:11:40 | 社会

柔道暴力問題に文科相「スポーツ史上最大の危機」 競技ごとに通報窓口(産経新聞) - goo ニュース

オリンピックに出たりする人って、

人には言えない苦労とか葛藤を背負ってがんばっているものだと思っていたが、

最高に恵まれた環境で、国に保護してもらって、悩み事とかも聞いてもらって・・・、

そういう人達同士の競い合いを見て、どう感動すれってえの。

スポーツなんて、生産も営業も販売も運送もサービスもしてないんだぜ。

生き様見せてナンボだと思うけど。

体を動かす競技に置き換えただけで、やっていることはガリ勉と一緒じゃん。

ガリ勉は、周りからバカにされ蔑まれること前提で自分の目標もってやってんだから、

保護されまくりのアスリートよりも、ナンボか侍だわ。

 

いじめ問題、体罰問題等の対策だなんだと言っているうちに、

数年後に中央管理による異常な監視国家になっていたりなんてことが有りませんように。


休まない

2013-02-04 23:18:12 | 親バカ

息子の剣道部でもインフルエンザが流行ってきており、先週は1年生が全員ダウン。

今日は、2年生が1人ダウン、2人が熱と関節痛で、明日からほぼ駄目状態。

息子は至って元気。

我が子ながら凄いと思うのは、小学1年の入学式から中2の現在まで1日も、早退&欠席がないこと。

特に健康に気を付けているわけでも、規則正しい生活をしているわけでもないのだが。

ホント、休まないよね~。

好きで学校へ通っている風でもない。

剣道以外、中学で楽しいことは無いそうで、同世代に対しては白けている。

意外に面白い者になるかもしれない。


今日は節分

2013-02-03 19:07:31 | 日記

今朝、ご近所さんから(失礼ながら)奇声が聞こえてきて、

”ん?夫婦喧嘩?”等と思ったのですが、よくよく聞くと、奥さんが

”鬼は外ー!”と大声て豆をまいていらした様です。

そっかー、今日は節分かぁ。

昼には、太巻きを黙して食しました。まっ、特に願い事もありませんが。

そうそう、昼食後、買い物へ行ったついでにスクラッチを買った(200円×3枚)のですが、

1万円と200円が当たりまして、ちょっと嬉しい

あぶく銭なんで、ヱ○スビール(少し割高)を買って帰宅。

昨年は、ほぼ毎日、発砲酒を飲んでいたのですが、

今年に入ってからは、平日は禁酒、土日のみ、ビールを頂いています。

いつまで持つかはわからないですが。


なーらには解るまい!

2013-02-02 09:24:06 | テレビ

「火怨 北の英雄・アテルイ伝」の最終回を見た。4話で終わるには惜しい秀作でした。

学校で、蝦夷について最初に習うのが、征夷大将軍・坂上田村麻呂の蝦夷征伐。その名の通り、蝦夷を征討する人だから”征夷”。その後、鎌倉、足利、江戸と幕府を開くには征夷大将軍の官位を得ることが習わしとなっていくのだが、男の子的に、坂上田村麻呂って、歴史で出てくる最初のメジャーな英雄というイメージだった。なんで、蝦夷を討伐しなければならなかったのか?そんな疑問は、中学生だった僕の脳内に出てくるわけもなく、また、授業でも全く触れられない。討伐ではなく、侵略でしかなかったというのが真実でしょう。

蝦夷の阿弖流為にしろ、飛騨の両面宿儺にしろ、自ら大和に戦を吹っ掛けたわけでは無いだろう。唯、平和に暮らしていたのに、大和が侵略してきて、やむを得ず戦ったということ。別番組で苅谷俊介さんが語っておられたが、”縄文時代の日本は1万年、変わらない文明が続いた”と。西洋人には、それが信じられないらしい。彼らの歴史は”力が正義”というか、戦争と略奪と強制の歴史だから。

たぶん、アフリカあたりで興った人類の中で、弱い連中が東へ東へと逃げて来て、落ち着いた場所が日本なんじゃないかと思う。最初に来たのが縄文人、その次に来たのが弥生人。出雲の国譲り等から想像すると、縄文人と弥生人との交わりは、多少の争いはあったにしても、そこは弱い者同士、いい感じで自然調和していったんじゃないかな。和を持って尊しとなしたんでしょ。(だから、弱いモン、能力のない奴は振り落せ的な現代のやり方で、この国が上手くいくとは思えないのだが・・・。)

さて、「アテルイ伝」。アテルイは、「続日本紀」と「日本紀略」にちょっと載っているだけで、資料が少ないらしいが、話的には良くまとめてあったと思う。アテルイとモレが田村麻呂に、

「なーら(お前ら)が、山や野に火を付けるのを止めさせる為に、わーら(俺ら)は投降する。」

と言うと、田村麻呂は、負け惜しみにしか聞こえんと言う。それに対して、アテルイ、モレは、

「この人には、解るまい!」

というシーンが、溜飲が下がると同時に、悔しいというか泣けてくるというか。番組内での大和や田村麻呂に対する思いと同時に、このご時世でも、未だ”力が正義”だと思っている連中に対しても、いつまでたっても、なーらにはわかるまい!ですよ。

この種のドラマや映画を見ていて、いつも感じるのは”一番の罪人は大勢に流される庶民だ”ということ。アテルイ側に立ってみると、敵であり悪であるのは田村麻呂や桓武天皇なんだけど、それ以上に馬鹿で罪深いと思えて嫌悪感を覚えるのは、さらし者にされているアテルイやモレを物珍しそうに眺める京の庶民だよ。自分の意志では何も考えない、感じない奴ってホント・・・。

大沢たかおさんも、北村一輝さんも、流石に良い。北村さんって、昔は”濃い顔やな~”って感じであまり好きでは無かったのだが、「天地人」以降、好感をもって見ている。

それにしても、4話で終わるのは惜しい。

アテルイとモレのお墓が枚方市にあるそうで、うちの会社の大阪営業所の近くなんだよな。今度、関西方面に出張の際は、なんとかお墓参りが出来るように組み込んでやろうと狙っている。