<記事転載>
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「すべては心のうちにある」
近藤洋一
30歳の頃、お酒を飲みすぎたり、意に添わないことをやらざるを得ない羽目におちいったり、などの反自然行為をくりかえしたのがたたって、すっかり体をこわしてしまいました。そこで病院に行って検査をしてもらったのですが、胃カメラを飲んだり、レントゲンを撮ったりと、これが難行・苦行のオンパレードです。
挙句の果てに、タバコはやめろ、酒はひかえろ、朝食はパンなど消化の良いものにしろ、薬はきちんと飲むように、などなどの指導を受け、四六時中、体のことに気を使わねばならない毎日が始まりました。
そんな真面目な(?)生活を半年も続けたでしょうか、気がついてみると、胃がそこにあることが明確に自覚できるようになりました。いつも体のことを気にしていると、きっと、その部分に違和感を抱くようになるものなのでしょう。
その時はじめて、「自分は“気”を病んでいるのだ。これが病気の原因なのだ」ということに気づいたのでした。そこで薬を全部やめて、タバコを吸うわ、お酒は飲むわ、の昔の生活に戻したところ、すっかり健康を取り戻しました。
「病気とは何か」、そして「元気になれば病気は治る」ということが自分なりにわかり、それ以来40年間お医者さんのお世話になることなく、今日にいたっています(最近、眼の上を5針縫うケガをして、残念ながら記録が途絶えてしまいましたが…)。
もちろん、病院が不要であるということを申し上げたいのではありません。気にすればするほど、病気は発見されるし、それが慢性病の種になると思うのです。
そんなことがあって20年後、[フィンランド症候群]と呼ばれている出来事があったのを知りました。ご紹介しておきましょう。
フィンランドの保健局が、40歳から45歳の上級管理職600人を対象に健康指導を行いました。対象となる人々は、ストレスがたまりやすいポジションにあり、日ごろから健康に留意しなければならない立場にある人々です。そんな人々を対象に、タバコやお酒、食事や睡眠のあり方など日常生活の様々な点に関して、お上(保健局)が「健康に良い」と認定した生活習慣を身につけるよう指導をしたのです。
その一方で、やはり40歳から45歳の上級管理職600人の人を選んで、その人たちには、何の制約も、何の指導も行わず、自由な生活を送ってもらうことにしました。
さて15年後、実験結果をまとめてみると、なんと!思惑に反して、自由気ままな生活を送っていた人のほうが、健康だったという結論がでたのでした。
生活指導を受けたグループのほうが、自殺も含めて死亡率、病気になる人の割合などが多かったというのです。
驚いたフィンランド保健局はしばらく公表を差し控えていたということですから、きっとショックは大きかったのでしょう。
外から内へ
医療技術の進歩は著しく、多くの医療関係者は、20世紀には人類から病気を駆逐できると考えていたのではないでしょうか? たしかに現代医療は、ペストやコレラなど、外部に原因のある感染症などの病気に対しては目覚ましい効力を発揮したのでした。
劇的に進化したかに見える現代医療ですが、その一方で、医療費が増加の一途をたどっているのはどうしてなのでしょうか?
どこか体の調子が悪くて病院にいくと、まず検査を受け、多くのデータと直面することになります。基準値をもとに、やれ肝臓だ、高血圧だ、糖尿病だと診断が下され、患者はお医者さんの意見を拝聴せざるを得ない弱い立場に置かれることになります。
インフォームド・コンセントという概念が普及して、患者の意向もしっかり聞き届けてもらえるようになったようですが、社会全般のムードは唯物論です。
「すべては心がつくり出している。“心”は現代科学の手におえる代物ではない。だから慢性病は薬では治らない」とはなかなか思えないのではないでしょうか?
難病治療で目覚ましい成果をあげておられる柳原能婦子(やなぎはらのぶこ)さんは「食事をして“ご馳走様”と言ったら、その後30分はお茶などを飲むと、消化の妨げになる」と言っておられます。
食事のとき様々な料理が胃袋の中に入り込んできますが、体はそのすべてを円滑に消化するために必要なプログラムを設定し、そのプログラムにしたがって酵素やホルモンなどが的確に分泌され、消化活動が行われることになるといってよいと思います。
すべての細胞は耳を澄まして、ご主人様の声を聞き、その意思にしたがっているのだと思われます。“ご馳走様”と言ったときから、心と体が用意したプログラムにそって完璧な消化活動が始まることになります。その後すぐに、お茶やコーヒーなどを飲むと、消化液が薄まるというわけです。
私たちの細胞の一つ一つに心があるのですね。「本屋さんに行こう」と思ったら、即、体中の細胞は、本屋さんへ行くための体制を整えます。反対する細胞など、どこにもいないように思われます。
現代人に求められるのは「すべては心のうちにある」ことを認識し、そのために必要な叡智を結集することと言えそうです。
<転載終わり>
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自由気ままに生きている方々のほうが、身体に良いとされる規則を守って生活している人々より健康だったというのは、何とも皮肉な話しだと思います。人間は縛られることが、相当ストレスになってしまい、結局身体にも悪いということが分かりました。
唯物論も唯心論も共に片手落ちですが、心が主体で身体がそれに従っているという状態だと理解すべきだと思います。
私は30年間、「風邪を引く予定はない」と決めていますので、ほとんど風邪を引きません。30年間で1度か2度引いたかも知れませんが、少なくともこの10年間は一度も引いていません。喉が少し痛かったり、鼻水が出ることはありますが、寝込むことはありません。お陰様で、その他の病気も一切ありませんので、病院に行ったのは歯の治療以外はほとんどありません。「風邪を引く予定はない」と普段から当たり前のように想っていますので、身体も良く理解してくれていて、風邪を引く予定は無いようです。ずっと不思議だとは思ってましたが、この近藤氏の記事を読んで納得できました。
●船井幸雄.com
http://www.funaiyukio.com/shinjidai/index_0911.asp
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「すべては心のうちにある」
近藤洋一
30歳の頃、お酒を飲みすぎたり、意に添わないことをやらざるを得ない羽目におちいったり、などの反自然行為をくりかえしたのがたたって、すっかり体をこわしてしまいました。そこで病院に行って検査をしてもらったのですが、胃カメラを飲んだり、レントゲンを撮ったりと、これが難行・苦行のオンパレードです。
挙句の果てに、タバコはやめろ、酒はひかえろ、朝食はパンなど消化の良いものにしろ、薬はきちんと飲むように、などなどの指導を受け、四六時中、体のことに気を使わねばならない毎日が始まりました。
そんな真面目な(?)生活を半年も続けたでしょうか、気がついてみると、胃がそこにあることが明確に自覚できるようになりました。いつも体のことを気にしていると、きっと、その部分に違和感を抱くようになるものなのでしょう。
その時はじめて、「自分は“気”を病んでいるのだ。これが病気の原因なのだ」ということに気づいたのでした。そこで薬を全部やめて、タバコを吸うわ、お酒は飲むわ、の昔の生活に戻したところ、すっかり健康を取り戻しました。
「病気とは何か」、そして「元気になれば病気は治る」ということが自分なりにわかり、それ以来40年間お医者さんのお世話になることなく、今日にいたっています(最近、眼の上を5針縫うケガをして、残念ながら記録が途絶えてしまいましたが…)。
もちろん、病院が不要であるということを申し上げたいのではありません。気にすればするほど、病気は発見されるし、それが慢性病の種になると思うのです。
そんなことがあって20年後、[フィンランド症候群]と呼ばれている出来事があったのを知りました。ご紹介しておきましょう。
フィンランドの保健局が、40歳から45歳の上級管理職600人を対象に健康指導を行いました。対象となる人々は、ストレスがたまりやすいポジションにあり、日ごろから健康に留意しなければならない立場にある人々です。そんな人々を対象に、タバコやお酒、食事や睡眠のあり方など日常生活の様々な点に関して、お上(保健局)が「健康に良い」と認定した生活習慣を身につけるよう指導をしたのです。
その一方で、やはり40歳から45歳の上級管理職600人の人を選んで、その人たちには、何の制約も、何の指導も行わず、自由な生活を送ってもらうことにしました。
さて15年後、実験結果をまとめてみると、なんと!思惑に反して、自由気ままな生活を送っていた人のほうが、健康だったという結論がでたのでした。
生活指導を受けたグループのほうが、自殺も含めて死亡率、病気になる人の割合などが多かったというのです。
驚いたフィンランド保健局はしばらく公表を差し控えていたということですから、きっとショックは大きかったのでしょう。
外から内へ
医療技術の進歩は著しく、多くの医療関係者は、20世紀には人類から病気を駆逐できると考えていたのではないでしょうか? たしかに現代医療は、ペストやコレラなど、外部に原因のある感染症などの病気に対しては目覚ましい効力を発揮したのでした。
劇的に進化したかに見える現代医療ですが、その一方で、医療費が増加の一途をたどっているのはどうしてなのでしょうか?
どこか体の調子が悪くて病院にいくと、まず検査を受け、多くのデータと直面することになります。基準値をもとに、やれ肝臓だ、高血圧だ、糖尿病だと診断が下され、患者はお医者さんの意見を拝聴せざるを得ない弱い立場に置かれることになります。
インフォームド・コンセントという概念が普及して、患者の意向もしっかり聞き届けてもらえるようになったようですが、社会全般のムードは唯物論です。
「すべては心がつくり出している。“心”は現代科学の手におえる代物ではない。だから慢性病は薬では治らない」とはなかなか思えないのではないでしょうか?
難病治療で目覚ましい成果をあげておられる柳原能婦子(やなぎはらのぶこ)さんは「食事をして“ご馳走様”と言ったら、その後30分はお茶などを飲むと、消化の妨げになる」と言っておられます。
食事のとき様々な料理が胃袋の中に入り込んできますが、体はそのすべてを円滑に消化するために必要なプログラムを設定し、そのプログラムにしたがって酵素やホルモンなどが的確に分泌され、消化活動が行われることになるといってよいと思います。
すべての細胞は耳を澄まして、ご主人様の声を聞き、その意思にしたがっているのだと思われます。“ご馳走様”と言ったときから、心と体が用意したプログラムにそって完璧な消化活動が始まることになります。その後すぐに、お茶やコーヒーなどを飲むと、消化液が薄まるというわけです。
私たちの細胞の一つ一つに心があるのですね。「本屋さんに行こう」と思ったら、即、体中の細胞は、本屋さんへ行くための体制を整えます。反対する細胞など、どこにもいないように思われます。
現代人に求められるのは「すべては心のうちにある」ことを認識し、そのために必要な叡智を結集することと言えそうです。
<転載終わり>
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自由気ままに生きている方々のほうが、身体に良いとされる規則を守って生活している人々より健康だったというのは、何とも皮肉な話しだと思います。人間は縛られることが、相当ストレスになってしまい、結局身体にも悪いということが分かりました。
唯物論も唯心論も共に片手落ちですが、心が主体で身体がそれに従っているという状態だと理解すべきだと思います。
私は30年間、「風邪を引く予定はない」と決めていますので、ほとんど風邪を引きません。30年間で1度か2度引いたかも知れませんが、少なくともこの10年間は一度も引いていません。喉が少し痛かったり、鼻水が出ることはありますが、寝込むことはありません。お陰様で、その他の病気も一切ありませんので、病院に行ったのは歯の治療以外はほとんどありません。「風邪を引く予定はない」と普段から当たり前のように想っていますので、身体も良く理解してくれていて、風邪を引く予定は無いようです。ずっと不思議だとは思ってましたが、この近藤氏の記事を読んで納得できました。
●船井幸雄.com
http://www.funaiyukio.com/shinjidai/index_0911.asp