<船井幸雄.comより記事転載>
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日本人は昔から倹約家、質素倹約は日本人の本性
大伴家持の食膳(季刊誌『おたふく』より
資料:因幡万葉歴史館提供)
私がここ何十年間か尊敬しつづけている日本の会社が三つあります。一つは広島に本社のあるオタフクソース(株)です。二つめは名古屋に本拠を置く名古屋製酪(株)です。
そして三つめが徳島県美馬市に本拠のある(株)河野メリクロンです。
それぞれが専門分野では日本一というか世界一の会社ですから、会社の説明や、なぜ大好きで尊敬しているかなどは、ここでは述べませんが、あえていうと会社全体が明るく前向きで、全社員が人間的に信頼できると言えるくらい良い会社だと言っておきます。これらそれぞれの会社に私は永年いろいろ教えられてきました。
ところで年に4回オタフクソース(株)から季刊誌『おたふく』という食文化を取り上げる広報誌が送られてきます。
最近、その2010年春号(Vol.39)が送られてきました。この本の特集は『時代を創った「人」と「食」』の第1回分として、「卑弥呼、聖徳太子、大伴家持の食卓」がカラー図入りで実に分りやすく解説されていました。これを見ると、いまのような日本人が飽食をしているのは、ごく最近のことで、本来質素倹約を旨としたのが、日本人の特性というか本性だというのがよく分ります。
以下はその中の「万葉歌人も好んだウナギ」という題で、8世紀の豪族であった大伴家持の食事を中心に、うまくまとめています。つぎにそれを紹介します。
左は庶民の食膳、右は役人の食膳
(季刊誌『おたふく』より
資料:因幡万葉歴史館提供)
~『時代を創った「人」と「食」』 大伴家持の食卓~
万葉歌人も好んだウナギ
万葉集全二十巻の編者と言われる大伴家持。
歌人であり、官人でもあった家持の食卓には、どんなものが並んでいたのでしょうか。
石麻呂に吾れもの申す夏痩せによしといふものぞむなぎ(鰻)とり召せ (巻一六)
(石麻呂に私は申し上げます。夏やせによいというウナギをとってお食べください)
これは、万葉集に収められている歌です。「むなぎ」とはウナギのことで、自然の川でとれる、おいしい旬のウナギは、脂がのっていて胸のあたりが黄色いことから、こう呼ばれました。この歌から、万葉の時代に既にウナギが体に良いと知られ、スタミナ食として珍重されていたことが分かります。また、乱獲を避け、成長した胸の黄色いウナギだけをとって、限りある資源を大事にしようとした古代人の考え方も読み取れます。
この歌の作者は大伴家持。「土用の丑の日」は江戸時代に平賀源内が考えたと言われていますが、それより千年以上も前のことです。
政争に巻き込まれながら万葉集を編纂(へんさん)
大伴家持(718ごろ~785)は、「万葉集」の代表歌人で、官人。父は、同じく有名な歌人の大伴旅人です。
大伴氏は代々朝廷に仕えた大豪族でしたが、藤原氏の勢力に押され、次第に力を失っていきました。家持は、746年から越中の守(富山県の国司)として北陸で5年間を過ごしていますが、その間に四季折々の風物を素材として多くの歌を詠み、自分の思いを歌う王朝和歌的な独自の歌風を作り上げました。
その後、藤原氏との政権争いに巻き込まれ、薩摩守(鹿児島県の国司)に左遷されるなど、官人としては晩年近くまで不遇でした。
万葉集は7世紀後半から8世紀半ばごろにかけて作られた約4500首の歌が収められていますが、家持の歌が473首と最も多く、そのため、家持が編者ではないかと言われています。
質素倹約を旨とした日常の食卓
奈良時代には、いろいろな地方の特産物が税として都に集まりました。家持のような位の高い役人や朝廷で働く貴族は、こうした庶民が税として納めた稲や食べ物を支給され、地方の特産物を食べることができました。一般に食事は朝夕の二回でしたが、役人は給食制で、昼食を与えられました。箸が広まっていくのも奈良時代ですが、この当時はまだ貴族や役人たちのものでした。
庶民の食事は主に蒸したり炊いたりした玄米や雑穀のご飯を主食とし、野菜や山菜、海藻などの汁物や煮物をおかずとする質素なものでした。塩もおかずでした。イヌやブタ、シカの肉も時々は食べていましたが、肉食禁止令がたびたび発せられ、だんだん肉を食べなくなって、穀物と魚類、野菜が中心の食事になっていきました。
ご飯と汁とおかずの一汁一菜のパターンは奈良時代に出来上がり、庶民は精白度の低い飯と漬物だけということもありました。貴族たちも、日常の食卓にはそんなに多くの料理が並んだわけではなく、質素倹約を旨としていたようです。自然の変化や四季の移ろいを敏感に感じとり、それを歌に詠んでいた家持は、自分が日々食べるものの季節感を大事にし、自然の恵みによってもたらされた味わいを楽しんでいたのではないでしょうか(転載ここまで)。(『おたふく』(オタフクソース株式会社発行)より引用)
これを見ると、「やはり質素倹約がいいな」と私は思います。やはり、これが日本人らしいようです。
ぜひ読者も自分の食生活を考えて、きょうから、いろんな物を上手に喰べてほしいと思います。
とともに、オタフクソース(株)という会社や、この季刊誌『おたふく』にも興味を持ってください。よろしく。
=以上=
<転載終わり>
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当時の人の食事は朝夕の1日2食とありますが、これはご存知の通り日月神示でも云われています。人間の食べるものは五穀・野菜であると日月神示にはあります。また、四つ足食べてはならぬとあるように肉食は禁止されています。
私は2008年7月に初めて日月神示を読んでから、8月からは五穀・野菜中心にし、肉類は一切止めました。(実は元々嫌いだったのです 笑)。また、精白して胚芽という一番栄養の詰まった部分を、敢えて取り除いた人工の米では栄養が足りないので、発芽玄米を白米に1割くらい交ぜて食べています。
発芽玄米を交ぜてご飯を炊くと(といっても炊飯器ですが)、炊き上がりに米本来の香りが漂ってきて、何ともいえぬいい香りです。古い時代が何故か思い出されるような香りです。これはたまらないです(笑)。
しかも美味しいので、以前はご飯よりお酒とつまみ中心にして、最後に軽くご飯を1杯食べるとうスタイルでしたが、今は発芽玄米入りご飯があまりに美味しいので、2杯食べてしまいます。
しかも、玄米と野菜中心にして、動物性の食物を止めた効果で、7Kg痩せました。天ぷらなどの油ものも平気で食べていても、痩せました。今は60Kgです。1年前からは玉子や乳製品もほとんどたべていません。
ただ、お客さんとの会食などの席では、肉は食べませんが小魚や貝類、いか、たこなどは食べてます。マヨネーズがかかっているサラダも食べます。ある意味仕方ないですので。100%は無理でもまあ80%くらいできればいいといういい加減な感じでやってます。お陰で負担がないので、続いているのかと思います。
万葉集の時代の人々は良い食事をしていたので、すぐに怒る人もおらず、みんな仲良くできる土壌が食事によって出来ていたのかも知れません。今の時代はみんな何かに不満を持っていて、イライラする社会に感じます。春だということもあって、ブツブツ言いながら歩いている人や、電車の中で独り言を言ってる人も多く見られます。(明るく元気な人も多いですが)
戦後65年間、アメリカの占領政策と3Sで、すっかり「キ」の抜けた社会になってしまいました。アメリカの戦略である肉食と精製された穀物、農薬、化学肥料作物により、日本は根底から弱くされてしまったようです。
正に食べ物から崩されてしまいました。食べ物から崩壊させられると、元の食に戻るのは大変な時間と努力と、思想改善が必要です。万葉の人々は今の日本を見て、どんなふうに思っているのでしょうか。ふと考えてしまいました。
●船井幸雄.com
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/
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日本人は昔から倹約家、質素倹約は日本人の本性
大伴家持の食膳(季刊誌『おたふく』より
資料:因幡万葉歴史館提供)
私がここ何十年間か尊敬しつづけている日本の会社が三つあります。一つは広島に本社のあるオタフクソース(株)です。二つめは名古屋に本拠を置く名古屋製酪(株)です。
そして三つめが徳島県美馬市に本拠のある(株)河野メリクロンです。
それぞれが専門分野では日本一というか世界一の会社ですから、会社の説明や、なぜ大好きで尊敬しているかなどは、ここでは述べませんが、あえていうと会社全体が明るく前向きで、全社員が人間的に信頼できると言えるくらい良い会社だと言っておきます。これらそれぞれの会社に私は永年いろいろ教えられてきました。
ところで年に4回オタフクソース(株)から季刊誌『おたふく』という食文化を取り上げる広報誌が送られてきます。
最近、その2010年春号(Vol.39)が送られてきました。この本の特集は『時代を創った「人」と「食」』の第1回分として、「卑弥呼、聖徳太子、大伴家持の食卓」がカラー図入りで実に分りやすく解説されていました。これを見ると、いまのような日本人が飽食をしているのは、ごく最近のことで、本来質素倹約を旨としたのが、日本人の特性というか本性だというのがよく分ります。
以下はその中の「万葉歌人も好んだウナギ」という題で、8世紀の豪族であった大伴家持の食事を中心に、うまくまとめています。つぎにそれを紹介します。
左は庶民の食膳、右は役人の食膳
(季刊誌『おたふく』より
資料:因幡万葉歴史館提供)
~『時代を創った「人」と「食」』 大伴家持の食卓~
万葉歌人も好んだウナギ
万葉集全二十巻の編者と言われる大伴家持。
歌人であり、官人でもあった家持の食卓には、どんなものが並んでいたのでしょうか。
石麻呂に吾れもの申す夏痩せによしといふものぞむなぎ(鰻)とり召せ (巻一六)
(石麻呂に私は申し上げます。夏やせによいというウナギをとってお食べください)
これは、万葉集に収められている歌です。「むなぎ」とはウナギのことで、自然の川でとれる、おいしい旬のウナギは、脂がのっていて胸のあたりが黄色いことから、こう呼ばれました。この歌から、万葉の時代に既にウナギが体に良いと知られ、スタミナ食として珍重されていたことが分かります。また、乱獲を避け、成長した胸の黄色いウナギだけをとって、限りある資源を大事にしようとした古代人の考え方も読み取れます。
この歌の作者は大伴家持。「土用の丑の日」は江戸時代に平賀源内が考えたと言われていますが、それより千年以上も前のことです。
政争に巻き込まれながら万葉集を編纂(へんさん)
大伴家持(718ごろ~785)は、「万葉集」の代表歌人で、官人。父は、同じく有名な歌人の大伴旅人です。
大伴氏は代々朝廷に仕えた大豪族でしたが、藤原氏の勢力に押され、次第に力を失っていきました。家持は、746年から越中の守(富山県の国司)として北陸で5年間を過ごしていますが、その間に四季折々の風物を素材として多くの歌を詠み、自分の思いを歌う王朝和歌的な独自の歌風を作り上げました。
その後、藤原氏との政権争いに巻き込まれ、薩摩守(鹿児島県の国司)に左遷されるなど、官人としては晩年近くまで不遇でした。
万葉集は7世紀後半から8世紀半ばごろにかけて作られた約4500首の歌が収められていますが、家持の歌が473首と最も多く、そのため、家持が編者ではないかと言われています。
質素倹約を旨とした日常の食卓
奈良時代には、いろいろな地方の特産物が税として都に集まりました。家持のような位の高い役人や朝廷で働く貴族は、こうした庶民が税として納めた稲や食べ物を支給され、地方の特産物を食べることができました。一般に食事は朝夕の二回でしたが、役人は給食制で、昼食を与えられました。箸が広まっていくのも奈良時代ですが、この当時はまだ貴族や役人たちのものでした。
庶民の食事は主に蒸したり炊いたりした玄米や雑穀のご飯を主食とし、野菜や山菜、海藻などの汁物や煮物をおかずとする質素なものでした。塩もおかずでした。イヌやブタ、シカの肉も時々は食べていましたが、肉食禁止令がたびたび発せられ、だんだん肉を食べなくなって、穀物と魚類、野菜が中心の食事になっていきました。
ご飯と汁とおかずの一汁一菜のパターンは奈良時代に出来上がり、庶民は精白度の低い飯と漬物だけということもありました。貴族たちも、日常の食卓にはそんなに多くの料理が並んだわけではなく、質素倹約を旨としていたようです。自然の変化や四季の移ろいを敏感に感じとり、それを歌に詠んでいた家持は、自分が日々食べるものの季節感を大事にし、自然の恵みによってもたらされた味わいを楽しんでいたのではないでしょうか(転載ここまで)。(『おたふく』(オタフクソース株式会社発行)より引用)
これを見ると、「やはり質素倹約がいいな」と私は思います。やはり、これが日本人らしいようです。
ぜひ読者も自分の食生活を考えて、きょうから、いろんな物を上手に喰べてほしいと思います。
とともに、オタフクソース(株)という会社や、この季刊誌『おたふく』にも興味を持ってください。よろしく。
=以上=
<転載終わり>
----------------------------
当時の人の食事は朝夕の1日2食とありますが、これはご存知の通り日月神示でも云われています。人間の食べるものは五穀・野菜であると日月神示にはあります。また、四つ足食べてはならぬとあるように肉食は禁止されています。
私は2008年7月に初めて日月神示を読んでから、8月からは五穀・野菜中心にし、肉類は一切止めました。(実は元々嫌いだったのです 笑)。また、精白して胚芽という一番栄養の詰まった部分を、敢えて取り除いた人工の米では栄養が足りないので、発芽玄米を白米に1割くらい交ぜて食べています。
発芽玄米を交ぜてご飯を炊くと(といっても炊飯器ですが)、炊き上がりに米本来の香りが漂ってきて、何ともいえぬいい香りです。古い時代が何故か思い出されるような香りです。これはたまらないです(笑)。
しかも美味しいので、以前はご飯よりお酒とつまみ中心にして、最後に軽くご飯を1杯食べるとうスタイルでしたが、今は発芽玄米入りご飯があまりに美味しいので、2杯食べてしまいます。
しかも、玄米と野菜中心にして、動物性の食物を止めた効果で、7Kg痩せました。天ぷらなどの油ものも平気で食べていても、痩せました。今は60Kgです。1年前からは玉子や乳製品もほとんどたべていません。
ただ、お客さんとの会食などの席では、肉は食べませんが小魚や貝類、いか、たこなどは食べてます。マヨネーズがかかっているサラダも食べます。ある意味仕方ないですので。100%は無理でもまあ80%くらいできればいいといういい加減な感じでやってます。お陰で負担がないので、続いているのかと思います。
万葉集の時代の人々は良い食事をしていたので、すぐに怒る人もおらず、みんな仲良くできる土壌が食事によって出来ていたのかも知れません。今の時代はみんな何かに不満を持っていて、イライラする社会に感じます。春だということもあって、ブツブツ言いながら歩いている人や、電車の中で独り言を言ってる人も多く見られます。(明るく元気な人も多いですが)
戦後65年間、アメリカの占領政策と3Sで、すっかり「キ」の抜けた社会になってしまいました。アメリカの戦略である肉食と精製された穀物、農薬、化学肥料作物により、日本は根底から弱くされてしまったようです。
正に食べ物から崩されてしまいました。食べ物から崩壊させられると、元の食に戻るのは大変な時間と努力と、思想改善が必要です。万葉の人々は今の日本を見て、どんなふうに思っているのでしょうか。ふと考えてしまいました。
●船井幸雄.com
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/