日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

中国人は「バカ」なので元を切り上げた方が得なのに元安で貿易赤字。株式日記

2010-04-14 12:48:34 | 政治・社会
 <株式日記より記事転載>  
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 【記事のみ転載】

中国政府が発表する数字はあてにはならないのですが、朝日新聞の記事によれば3月は6年ぶりの赤字になったそうです。貿易は相手国がある数字なので誤魔化しはきかないから確かなのだろう。鉄鉱石上がっているし石炭も値上がりしている。石油も85ドルまで値上がりしてきた。にもかかわらず中国政府は人民元をドルにリンクしたまま安く保っている。

「株式日記」では人民元を切り上げた方が中国にとっても得だと何度も書いて来ました。しかしながら中国が元を切り上げないのは三橋貴明氏が書いているように中国製品の競争力が上がってこないからだろう。中国製品の輸出の多くは外資系企業の製品であり自力によるものではないようだ。自動車にしてもアフリカやロシアのような国でないと売れないからだ。

最近では韓国企業がすごいとよく言われますが、サムスンにしてもLGにしても韓国企業ではあっても資本から見れば外資系企業だ。だから韓国企業が上げた利益は外資に流れて行ってしまう。中国の輸出も同じでありグローバル企業を誘致して格安の労働賃金で働かせて製品をアメリカに輸出してきた。だから中国には中国発のブランド企業がない。

中国にしても韓国にしても、日本や欧米で売り出された新製品をばらして同じようなものをこしらえて国内や東南アジアなどで売っている。開発コストがかからないから安く売ることが出来るし元安やウォン安で手取りが多くなるから会社の利益率が高い。2007年頃は日本も120円台の円安でトヨタなどは空前の利益を出していた。だから確かに通貨が安ければ輸出企業は手取りが多くなり有利になる。

しかし鉄も石炭も石油も値上がりしてくれば通貨安政策は総合的に見てマイナス効果になる。国内ではインフレとコスト高に直面する。70年代に日本がオイルショックを克服できたのは円高によるものであり、製品の高付加価値化で高度成長が実現できた。円が安いままだったならばインフレが酷くなり産業の高度化も進まなかっただろう。

おそらく中国は人民元を切り上げなければ4月以降も経常赤字が続く事だろう。原材料を高く買って製品を安く売っていればコスト高とインフレで人件費も上がって行って競争力が落ちる事になりますが人民元を切り上げたのと同じ結果をもたらすだろう。中国人は馬鹿だから実際にそのような状況に直面しないと為替と言うものが理解できないのだろう。

中国政府の当局は切り上げた方がいい事は分かってはいるが、中国共産党の国営企業の幹部を説得するのは至難の業だろう。元を切り上げれば外国からそれだけ安い物が入ってくるから競争力が弱いと負けてしまう。中国の富裕層は安い中国製品よりも高い輸入物を買いたがる。品質がよければ高くても買う層が出来ているから日本は富裕層に売っていけばいいのだろう。

オバマ大統領のドルを安くして製造業を復活させようとする政策も、通貨政策では産業を復活させる事は難しい。一度製造基盤が失われてしまえばそれを取り戻す事は不可能に近い。だから中国も人民元を切り上げてもアメリカの輸入はそれほど減らないだろう。人民元を切り上げしただけ手取りが増えるから有利なはずだ。

日本の場合は変動相場制に移行して輸出企業に輸出競争力をつけさせることに成功した。今では1ドル=95円ぐらいで儲けが出るような体勢になっている。日本が恐れなければならないのは円高よりも突発的な円安だ。中東で戦争が起きて石油が入ってこなくなればドルが暴騰して円が暴落するだろう。日本は軍事力がないから何の手も打てない。

しかし投機的な資源高などには日本の省エネ製品が売れるのでプラスですが、中国や韓国の安い製品は原材料高の直撃で厳しくなる。2008年に石油が147ドルまで上がった時は韓国経済がアウトになるところだった。中国経済にも同じ事がおきるようになり原材料高が直撃すれば中国は2兆ドルもの外貨準備高の蓄積もあっという間に消えるかもしれない。輸入量も中国爆食で半端な量ではないからだ。

中国のような統制経済では途中までは上手くいっても、産業が高度化するにしたがって政府のコントロールが上手く行かなくなる事はソ連崩壊でも明らかだ。為替相場も自由化しても急激に人民元が上がることもないだろう。中国は数年前に20%切り上げただけで輸出競争力が無くなってしまった。外資もインドやベトナムなどにシフトしていますが、その為には元が高くなってくれなければ困る。

いつまでも日本や欧米の新製品をばらして同じ物を作っていたのでは、いつまでたっても高付加価値の物は出来ない。中国はロシアのジェット戦闘機までコピーして海外に売ろうとしている。日本の新幹線もコピーされてアメリカに売込みを図っていますが、中国人の考え方にはついていけない。ロシアも中国への武器輸出は止めましたが、中国人は今までのような商売が出来なくなることが理解できないのだろうか?




 ●株式日記
  http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
コメント (2)
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 「人を差別したり、断定して見るなかれ」 船井幸雄氏

2010-04-14 07:17:12 | 船井幸雄氏
 <船井幸雄.comより記事転載>
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 「人を差別したり、断定して見るなかれ」

                 船井幸雄

 私には人を差別できないクセ(?)があります。1990年ごろから、よく私の批判本が出ましたが、そのどれにも、「船井は暴力団と親しい。船井はオカルト好きだ。変な霊能者の友人が多い」と書いていました。たしかに暴力団員の友人もいたし、霊能者という商売をしている知人もいました。が、私くらい暴力団員的なことのない人間もいないし、オカルトとまったく無縁な人間もいないと自分では思っています。
 最近は時々、逮捕されたと、友人の名前が掲載されたり、人をだましてお金を集めたといってマスコミの話題になります。
 そのたびに社員や友人たちが心配して「あんな人とは今後は付き合わない方がいいよ」と言ってくれます。
 ただ私は、ムリにこちらから「君とは今後付き合わないよ」なんて宣言したくもないし、ほとんど無関心で放りっぱなしです。それで何ら実害はありません。ただ私は逮捕されたこともないし、人をだましてお金を集めるなんてことはしたことがありません。
 ともかく私の性格は、来る者はきらいな人や物は別にして、だれとでも付き合うし、しかも平等に付き合うというだけで、区別や差別することが大きらいなんです。
だからよく誤解されます。
 いろんな種類の人が「船井さんと親しい」と言って一緒に撮った写真などを見せることもあるもようです。「それもいいわい」と気にしていません。
 私は、こんな性格ですが、あんがい人にだまされません。若い時は別として最近は、「特別なところ以外は寄付はしない」「お金も貸さない」「いやなことははっきりNOという」などに徹しているからですし、押しつけがましい手紙や変な手紙は、返事を出しません(多分秘書が集めて保管していてくれるのだろう…と思いますが)、というより読みません。一方的に送られてくるから別に読む必要もないでしょう。
 とはいえ、そういう人を特別に差別もしていません。
 ともかく世評や、いろんなことで他人さまを区別したり、特別の対応をするのは、いまのややこしい世の中では仕方がないのでしょうが、もう77才、欲もないし、人さまからよく思われたいとも思わなくなった私にはできれば多くの人に「できるだけ差別、区別をやめてごらん」と奨めたいのです。まあほどほどにやって上手に生きてください。

 <転載終わり>
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 船井氏の差別のない対応には、同感する点がとても多いです。私もどちらかというと、昔から分け隔てなく、誰とも、どの組織とも付き合うほうです。

 高校時代は民生(民主青年同盟、共産党の下部組織)の同級生とも仲が良かったですし、大学ではプロテスタント、カソリック、共産党党員、創価学会、統一教会、革マル派、空手部、柔道部、剣道部、少林寺拳法部、レスリング部、バトン部、自動車部、ボクシング部、応援団、大学体育会執行部、バスケ部、陸上部、野球部、大学学長先生、合気道養神館、元レンジャー部隊隊員、元空挺部隊隊員など、多くの知人・友人がいました。学生時代は頭デッカチでしたので、何度となく互いの持論・理論を語り合いましたし、目黒や五反田の安い居酒屋で何度も飲みながら語り合いました。(多分1000回以上)

 革マル派が授業中に、演説といって邪魔しに来た時も、「今は授業中なので、後でラウンジで待ってるから、語り合おう。とにかく今は出て行ってくれ。」と言いました。どうせ来ないだろうと思って、いちおうラウンジで待ってると、その革マル派は一人で来ました。約束を守るとは、たいしたもんだと思ったものでした(笑)。

 学生時代でも今でも、たとえ創価学会や共産党、統一教会の人でも、この日本や世界の将来について結構真剣に真面目に考えてる人が多いです。思想・宗教団体の人は特に真面目な人が多いです。ただ、私とは意見がかなり違うというだけです。人間としては自己中心ではない人が多いですね。社会のためになりたいという精神は立派だと思います。ただ、思想・哲学・理論が私とは違います。勿論同意できる点もありますが、創価学会中心の社会を作るというのには大反対です。

 今年に入ってからも、仕事関係で知り合った創価学会の2人の人と、立川の高田屋で飲んだことがありました。2人とも、とても良い人で、政治については結構よく知ってました。普通の人(宗教団体に入ってない人)よりは、政治や社会に関しては意識は高いと感じました。
 ただ、話しの最後は池田大作氏の社会貢献などの自慢話しだったので、閉口しました。
こういう話しになると、聞くに堪えられないですね。
 教祖や宗教団体というのは私は今はいらないと思います。というか、宗教そのものが良くても、宗教団体がダメにしていると思います。

 日月神示にも、集団(まどい)作ってはならん、とあるように、宗教団体の役目は今の時代はもう終わったということのようです。私も心底そう思います。

 また、教祖がいるのもよくないと思います。個人崇拝になってしまうので、それこそ人間信仰だと思います。(立派な人もいますし、その人間に神性が宿っていることも十分解ってはいますが)。教祖や教団があると、お布施や献金などお金が相当かかります。高い宗教はダメだと思います。神社のさい銭程度がいいと思いますが、仏壇200万円、壷500万円、印鑑30万円、多宝塔1000万円などというのは、普通じゃないと思います。

 そういう意味では、神道というのは教祖もいないし、経典も無いというのが、私は気に入っています。教団に押し付けられるのではなく、自分で考え、自分で決めて行動することが私は好きです。唯一「完訳 日月神示」が私の先生です。
 日月神示には、「神と相談せよ」とあります。そして、「神と相談するとは、神示読むことぞ」とあります。日月神示を読むと、その時求めていたことが与えられることがよくあります。また、方向性について検討していても、なかなか決められないときに、日月神示から大きなヒントをもらったことも多くありました。
 何より、自分勝手な日月神示的解釈や生活が間違っていたことに気づかされることが大きいです。神示を読めば、謙虚にさせられますし、初心に還ることができます。定期的に読み、自分の解釈や生活、方向性などをチェックする必要があると思います。そういう意味で週に最低でも2回は神示を読むようにしています。(本当は毎日がよいのでしょうが。)

 普通に仕事をして、社会の一員として人並みに認められた上で、自分で研究・実践することが私はよいと思っています。社会から隔離され、集団生活するのは、カルトになりやすいように思います。そうではなくて、あくまで仕事に家庭に日月神示が活かされてこそ、その意味があるのだと考えています。また、日月神示にはそれだけの実力があると最近は実感しています(笑)。



 ●船井幸雄.com
  http://www.funaiyukio.com/funa_ima/

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