<日本弥栄の会より記事転載>
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「日月神示原理主義者に要注意」
中矢伸一
ここ数年、日月神示がすごい勢いで知られるようになり、大勢の方が原典を読まれるように
なってきました。
これは私が初めて日月神示に接した時代(20年以上前)からすると考えられないことで、
本当に嬉しいことと喜んでおります。
ただそういう人たちが増える一方で、気になることもあります。
これは嫌な話ですが、私の経験上、書いておかねばなりません。
日月神示が世に広まる上でもっとも邪魔になる存在は何か?
それは「闇の組織」でも「無知な一般大衆」でも「マスコミ」でもありません。
日月神示を絶対視し、金科玉条のごとく崇拝する原理主義者のような人たちです。
こういう輩に私は一番手を焼いてきました。
彼らは、日月神示に書かれてあることは「絶対」だと頑(かたく)なに信じています。
いわゆる日月神示“不謬(ふびゅう)”説です。
彼らはすべての原理は日月神示に置かねばならないとし、何事も「神示」に始まり「神示」
に終わると考えています。
日月神示の、それも原文(原典)から読まなければ何も始まらないという考えです。
何をするにしても、日月神示を読みこなして「肚に入れる」ことからまずやらないと、何も
できないというのです。
世の中に広める上で、こういうextreme(極端)な考えが一番邪魔になります。
それはたんなる「日月神示カルト」にしか過ぎません。
日月神示を深く知れば知るほど、その内容には普遍性があり、人類にあまねく通用する真理
が含まれていることがわかります。
自由で、大らかで、信じてもいいし信じなくてもいい。
自分の判断で人生を歩む中でいろいろ気づかされる。
行き詰まった時に振り返ってみると、そういえば日月神示にこんなことが書いてあったなあ
と思い返す。
そんなふうに、自分なりの受けとめ方で心の杖とか人生の指針になればいいのです。
それが日月神示の特長だろうと思います。
せっかくそのように度量の深い神示なのに、彼らのお蔭で非常に狭い視野の人たちにしか
わからないような「カルト」の一つにされてしまうのです。
私のスタンスは、日月神示という霊的書物に込められた“神的意志”を理解することに
あります。
日本に太古から受け継がれている“霊脈”と言ってもいいかもしれません。
日本という固有の国土から、岡本天明氏の身体を通して噴出した「古(いにしえ)の叡智」
こそが「日月神示」と今日呼ばれる文書なのです。
真理はいろいろな形をもって現れるわけですから、日月神示だけが優れていて、他が全部
劣っているなどという考えそのものが間違っています。
日月神示をよく知ろうともせず、ただ痛罵を浴びせることに執心する偏狭な輩も多いですが、
それと同じくらい、あるいはそれ以上にやっかいな存在が「日月神示カルト」です。
10年以上前と比べると、だいぶその数は少なくなりましたが、一部はまだネットなどで暗躍
しているようです。
もし、日月神示原理主義者に接触されたら、相手にしない方が賢明です。ブログに侵入して
くれば、ブログを荒らされます。
彼らは独善的な考えを一方的に押し付けたり、揚げ足を取ったりするだけで、多くの人と
協力し合って良い世の中を作り上げていこうとする意志はありません。
ですので、相手にするだけ時間の無駄です。
最近、日月神示に親しむようになった人たちが、こういう狂信めいた連中にふりまわされる
のは見るに忍びません。
その人が日月神示を高く評価しているからといって、話が通じる人とは限らないのです。
お気をつけください。
私としてもこのようなことは書きたくないのですが・・・参考にして頂ければ幸いです。
<転載終わり>
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「真理はいろいろな形をもって現れるわけですから、日月神示だけが優れていて、他が全部
劣っているなどという考えそのものが間違っています。」
中矢氏のこの言葉は、正に正しいと思います。日月神示だけが正しいなどというのは、とても偏狭な考え方だと思います。そもそも日月神示には、「キリスト大神、釈迦大神、マホメット大神を拝めよ」と書いてありますので、こんなに懐の深い考え方には今まで会ったことはありません。
どの宗教も自分の宗教だけ正しいという独善的な姿勢を持っていますが、日月神示には全くそれがありません。私は日月神示の懐の深さと度量の広さが大変気に入っています。
中矢氏が言われる日月神示原理主義者は、日月神示にはこのような度量の広いことがたくさん書かれているにもかかわらず、偏狭な独善に走るということは、日月神示をそもそも研究しておらず、ただ日月神示だけが正しいと妄信しているにすぎないと思います。
私のブログにも色々な独善的で命令口調のコメントが寄せられますが、なるべくそのまま掲載するようにしてきましたが、昨日のコメントは特にヒドイ内容でしたので、コメントの掲載はしないことにしました。あしからず。読んだ人も気分がよくないコメントは、載せないことが一番だと、中矢氏の記事を読んで感じました。
日月神示原理主義者も、日月神示をきちんと勉強して、そのおおらかさを学ぶべきだと思います。せっかく日月神示に出会ったのですから、もったいないと思います。どんな宝も捉え方次第で、毒にもなると思いました。残念ですね。
●日本弥栄の会
http://www.nihoniyasaka.com/
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「日月神示原理主義者に要注意」
中矢伸一
ここ数年、日月神示がすごい勢いで知られるようになり、大勢の方が原典を読まれるように
なってきました。
これは私が初めて日月神示に接した時代(20年以上前)からすると考えられないことで、
本当に嬉しいことと喜んでおります。
ただそういう人たちが増える一方で、気になることもあります。
これは嫌な話ですが、私の経験上、書いておかねばなりません。
日月神示が世に広まる上でもっとも邪魔になる存在は何か?
それは「闇の組織」でも「無知な一般大衆」でも「マスコミ」でもありません。
日月神示を絶対視し、金科玉条のごとく崇拝する原理主義者のような人たちです。
こういう輩に私は一番手を焼いてきました。
彼らは、日月神示に書かれてあることは「絶対」だと頑(かたく)なに信じています。
いわゆる日月神示“不謬(ふびゅう)”説です。
彼らはすべての原理は日月神示に置かねばならないとし、何事も「神示」に始まり「神示」
に終わると考えています。
日月神示の、それも原文(原典)から読まなければ何も始まらないという考えです。
何をするにしても、日月神示を読みこなして「肚に入れる」ことからまずやらないと、何も
できないというのです。
世の中に広める上で、こういうextreme(極端)な考えが一番邪魔になります。
それはたんなる「日月神示カルト」にしか過ぎません。
日月神示を深く知れば知るほど、その内容には普遍性があり、人類にあまねく通用する真理
が含まれていることがわかります。
自由で、大らかで、信じてもいいし信じなくてもいい。
自分の判断で人生を歩む中でいろいろ気づかされる。
行き詰まった時に振り返ってみると、そういえば日月神示にこんなことが書いてあったなあ
と思い返す。
そんなふうに、自分なりの受けとめ方で心の杖とか人生の指針になればいいのです。
それが日月神示の特長だろうと思います。
せっかくそのように度量の深い神示なのに、彼らのお蔭で非常に狭い視野の人たちにしか
わからないような「カルト」の一つにされてしまうのです。
私のスタンスは、日月神示という霊的書物に込められた“神的意志”を理解することに
あります。
日本に太古から受け継がれている“霊脈”と言ってもいいかもしれません。
日本という固有の国土から、岡本天明氏の身体を通して噴出した「古(いにしえ)の叡智」
こそが「日月神示」と今日呼ばれる文書なのです。
真理はいろいろな形をもって現れるわけですから、日月神示だけが優れていて、他が全部
劣っているなどという考えそのものが間違っています。
日月神示をよく知ろうともせず、ただ痛罵を浴びせることに執心する偏狭な輩も多いですが、
それと同じくらい、あるいはそれ以上にやっかいな存在が「日月神示カルト」です。
10年以上前と比べると、だいぶその数は少なくなりましたが、一部はまだネットなどで暗躍
しているようです。
もし、日月神示原理主義者に接触されたら、相手にしない方が賢明です。ブログに侵入して
くれば、ブログを荒らされます。
彼らは独善的な考えを一方的に押し付けたり、揚げ足を取ったりするだけで、多くの人と
協力し合って良い世の中を作り上げていこうとする意志はありません。
ですので、相手にするだけ時間の無駄です。
最近、日月神示に親しむようになった人たちが、こういう狂信めいた連中にふりまわされる
のは見るに忍びません。
その人が日月神示を高く評価しているからといって、話が通じる人とは限らないのです。
お気をつけください。
私としてもこのようなことは書きたくないのですが・・・参考にして頂ければ幸いです。
<転載終わり>
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「真理はいろいろな形をもって現れるわけですから、日月神示だけが優れていて、他が全部
劣っているなどという考えそのものが間違っています。」
中矢氏のこの言葉は、正に正しいと思います。日月神示だけが正しいなどというのは、とても偏狭な考え方だと思います。そもそも日月神示には、「キリスト大神、釈迦大神、マホメット大神を拝めよ」と書いてありますので、こんなに懐の深い考え方には今まで会ったことはありません。
どの宗教も自分の宗教だけ正しいという独善的な姿勢を持っていますが、日月神示には全くそれがありません。私は日月神示の懐の深さと度量の広さが大変気に入っています。
中矢氏が言われる日月神示原理主義者は、日月神示にはこのような度量の広いことがたくさん書かれているにもかかわらず、偏狭な独善に走るということは、日月神示をそもそも研究しておらず、ただ日月神示だけが正しいと妄信しているにすぎないと思います。
私のブログにも色々な独善的で命令口調のコメントが寄せられますが、なるべくそのまま掲載するようにしてきましたが、昨日のコメントは特にヒドイ内容でしたので、コメントの掲載はしないことにしました。あしからず。読んだ人も気分がよくないコメントは、載せないことが一番だと、中矢氏の記事を読んで感じました。
日月神示原理主義者も、日月神示をきちんと勉強して、そのおおらかさを学ぶべきだと思います。せっかく日月神示に出会ったのですから、もったいないと思います。どんな宝も捉え方次第で、毒にもなると思いました。残念ですね。
●日本弥栄の会
http://www.nihoniyasaka.com/