「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」(Bunkamura ザ・ミュージアム、8月30日~10月26日)
ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais)(1829-1896)の70点あまりを集めた展覧会というのは、まず日本で今後見る機会はないだろう。
有名な「オフィーリア」は前に見た記憶あがあるのだけれど、調べてみたら1998年に東京都美術館「テート・ギャラリー展」で来日している。ただ、実際に見たのか、放送番組で見たのか、覚えていない。手元に記録がないことを見ると後者かもしれない。
ミレイがロセッティ、ハントと結成したラファエル前派兄弟団というのは、なんともすごい名前であるが、今回説明を読んでみるとラファエル以降に確立された古典主義より前を重視する、テーマもキリスト教に基づくイコノロジーの世界に縛られない、ということのようだ。
確かこの美術館で「ロセッティ展」を見たはずだが、当時くだらない絵といわれたこともあるようなラファエル前派たるところはロセッティの方が強かったように思う。それではミレイは物足りないかといえばそうではなく、絵の基本的な技術自体おそらくミレイは飛びぬけてうまいので、そういう傾向をあまり意識させないのかもしれない。
ただそれが、若いころを過ぎると、耽美的ではあるもののうまさが目立つ英国の巨匠の絵となってくる。
さてその二十歳前後の一番個性的な時期であるが、やはりいくつか傑作がある。「オフィーリア」は小川に浮かぶ女の衣装、顔、水面の下から上に続く両手、周囲の花、植物など、長く見ていて飽きない。解説にもあるように、そういわれてみればこの顔はうっとりとして、性的な意味も見られそうだし、悲しいばかりでないし、手も不思議なものである。
「草枕」に出てくるけれども、漱石もロンドンでこれを見て衝撃を受けたことは想像できる。
それから「マリアナ」は、なんともエロティックである。見ればわかるとでも言うしかないのだが。
そして、この人は題名に会話のせりふが付いたものたとえば「信じてほしい」とか、それから物語を感じさせるもの、こういうものは大変うまい。こんなにポーズを決めることはないだろうと思うけれども、絵に描いて残す以上はこうでなければというポーズ、視線、そして全体のまとめ方、細部の詰め方、すべて見事である。
たとえば墓場の尼僧二人を描いた「安息の谷間「疲れし者の安らぎの場」」、「ローリーの少年時代」。
晩年の作品は俗っぽいといえばそうだが、それでも何か力強さが残っているのは、前半生の名残りなのだろうか。