「ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い」 (Io, Don Giovanni 2009年、伊・西、127分
監督:カルロス・サウラ
ロレンツォ・バルドゥッチ(ロレンツォ・ダ・ポンテ)、リノ・グアンチャーレ(モーツァルト)、エミリア・ヴェルジネッリ(アンネッタ)、とビアス・モレッティ(カサノヴァ)、エンニオ・ファンタスティキーニ(サリエリ)、フランチェスカ・イナウディ(コンスタンツア)
モーツァルトよりは劇作家のダ・ポンテに少しシフトした物語。ヴェネチアでユダヤ教から改宗した聖職者だったが、放蕩をつくしたため異端審問で追放され、先生格のカサノヴァからウイーンに行くことを勧められ紹介状を持ってサリエリのところに行き、そこでモーツァルトと出会い、「フィガロの結婚」で成功、「ドン・ジョヴァンニ」にとりかかる。ここからが映画の本題。
ドン・ジョヴァンニの製作過程は面白い。ダ・ポンテの放蕩、女性関係、カサノヴァによる「永遠より今」、モーツァルトの激しい創作意欲、生き急ぎ、そして彼のファザー・コンプレックスなどがからまって、かの傑作の場面、音楽を思い出しながら見ていると飽きない。
ドン・ジョヴァンと騎士長は、モーツアルトと父だった、なるほど。
この3年後、同じコンビによる「コジ・ファン・トゥッテ」(女はみんなこうしたもの)の後、モーツァルトは死んでしまう。
いまさらながらドン・ジョヴァンニは傑作である。なによりこの主人公の音楽表現にモーツァルトが全精力をつぎ込んでいて、しかも主人公は死んでしまう。これはモーツァルトの作品でも他にないだろう。
前にも書いたように「魔笛」でモーツァルトの集中は若い二人の主人公ではなくパパゲーノだし、「フィガロの結婚」でも彼の集中はフィガロ、伯爵それぞれのカップルよりはケルビーノだ。この映画でもケルビーノの「恋とはどんなものかしら」が何度か効果的に使われている。
放蕩者ダ・ポンテであったが、その後長生きし、なんと米国で成功して、ニューヨークで死んだらしい(87歳)。