「グラン・ブルー 完全版‐デジタル・レストア・バージョン 」
(LE GRAND BLEU : VERSION LONGUE、1988仏・伊、169分)
監督:リュック・ベッソン、撮影:カルロ・ヴァリーニ、音楽:エリック・セラ、製作顧問:ジャック・マイヨール
ジャン=マルク・バール(ジャック)、ジャン・レノ(エンゾ)、ロザンナ・アークエット(ジョアンナ)
公開されてからしばらくして、随分評判が高い映画だったようだが、タイトル名以外特に記憶はなかった。
フリー・ダイヴィングで有名な実在の人物ジャック・マイヨールとその好敵手で友人のエンゾ・モリナーリの交流をもとにして、脚色された物語。
完全版はかなり長いが、やはり海のシーンを存分に見せたいということだろうし、そうであれば劇場でということにはなるのだろう。特に素もぐりの深度記録を競うところは、ルールが決まっていて、それに厳しく沿って行われるせいか、垂直の動きが装置と支援ダイヴァーとともに出てくるだけで、イルカと戯れるシーンに比べると、いささかインパクトに欠ける。
二人は子どものころにギリシャの島で、それぞれフランス人とイタリア人として出会う。そしてそのとき、その時代だからか古い機材を使うダイヴァーであった父親が目の前で事故で死んでしまう。それを助けるために飛び込もうとしたジャックは大人たちに抑えられ、それをエンゾは見ている。
このシーンはまた最後に思い出されるが、冒頭からここまでだけは(このあと二人は大人として出てくる)、モノクロで撮られていて、こういうギリシャの海と港町の空気を実に雄弁に表出している。
父と別れたジャックの母親(登場しない)はアメリカ人で、母国へ帰ったという設定。そしてジャックが南米の凍った湖での仕事でアメリカ人ジョアンナと出会うシーンがいい。
ジョアンナからすると、好きなジャック、その友人エンゾ、ジャックを最後までとらえて離さない海とイルカ、これが問題で、この関係でドラマと事件は起こっていく。
ラストシーンは、よくわからない。見る人が考えればいい、というしかないのだろう。表現者としてのベッソンはそこまでしかやっていないが、一つ踏み込んでもよかったのではないか。
ジャックからすると、母なる海ではなく、海は彼の父であって、母とジョアンナがむしろ人間社会、他人とのコミュニケーションの象徴である。と考えれば、面白い映画である。
ジャック役のバールは異星人的な雰囲気で、このキャラクターに合っている。それに対して俗人という雰囲気のジャン・レノもいいが体のスタイル、風采がダイヴァーというにはちょっと違和感もある。
ジョアンナのアークエット、ここで求められているアメリカ女の役には、終幕まで見てぴったりだなと気づかされた。