ジェーン・エア(Jane Eyre、2011英・米、120分)
監督:キャリー・ジョージ・フクナガ、原作:シャーロット・ブロンテ
ミア・ワシコウスカ(ジェーン・エア)、マイケル・ファスベンダー(ロチェスター)、ジェイミー・ベル(リバース)、ジュディ・デンチ(フェアファックス夫人)
原作者妹エミリーの「嵐が丘」ほど読む方がきりきり舞いはしないが、それでもより長編であり、やはり波乱万丈、これを2時間の映画にするのは簡単ではないだろう。もちろん何に焦点をあてるか、それにしたがって何を省略するかということになる。それでもこれほど有名なものであれば、思い切ってばっさりとはいかないと想像したが、ここではジェーンとロチェスター二人の交流、魂の会話とでもいうのだろうか、それに焦点をしぼり、幼いジェーンが長じて家庭教師になるまでや、一度ロチェスターと別れて最後に再会するまでなどの部分は思い切りがよすぎるほど飛ばされている。
それでも、二人の会話の背景を推察するのにそれほど困ることはない。それは私が幸いにも原作を読んでいる、しかもかなり歳をとってから、というわけでもないだろう。むしろ忘れてしまっていて、映画の進行とともに思い出したことが多い。
ストーリーは、女性が仕事を持ち自分で人生を切り開いていくことが困難な時代に、それを忍耐強く、しかも誇り高く行っていき、最後に幸福と魂の平安を得るというものである。
この映画では、主人公のそういう生き方が、女性に限らない普遍的なものにしっかり通じていて、後味のいいものになっている。
映画としての映像展開の魅力という点からは地味ではあるけれど、イギリスの田舎、草原、屋敷の室内はうまくとらえられている。特に室内の映像は逆光の多用で、フェルメール調というか、、、
最初の寄宿学校の場面もそう大がかりでないし、とにかく街の場面はばっさり切られていて、製作費もそうかかっていないだろうと思われる。
そして主演のミア・ワシコウスカ、一見地味な顔立ちの人だけれど、この人が演じてこそのこの映画、と見終わって思う。
ロチェスター役は、登場するときはこういうちょっと高慢な感じがいいのだろうが、最後はちょっと貧相になりすぎか。演技としては、特に二人のやりとりはいい。
屋敷をしきる夫人、わざわざジュディ・デンチでなくてもという役だけれど、映画興行という観点からは、これでいいのだろう。そして確かにひきしまる。
監督は日系米国人らしい。