ベッリーニ:歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家」
指揮:ファビオ・ルイージ、演出:クリストフ・ロイ
ジョイス・ディドナート(ロメオ)、オルガ・クルチェンスカ(ジュリエッタ)、バンジャマン・ベルネーム(デバルド ジュリエッタの婚約者)、アレクセイ・ボトナルチューク(カペッリオ ジュリエッタの父)、ロベルト・ロレンツィ(ロレンツォ 医師・カッペリオの親友)、ゲオルギー・プチャルスキ(同伴者)
2015年6月21日 チューリッヒ歌劇場 2015年7月 NHK BS
このオペラの存在は知っていたが、見るのも聴くのも初めてである。ようやくだが聴けてよかった。
いわゆるロメオとジュリエット(イタリア語だからここではジュリエット)の話、イタリアに古くから伝えられた話で、この台本はシェークスピアの有名な劇とは違っている。
ドラマに影響があるところでは、二人は最初から恋仲であり、舞踏会もバルコニーの場面もない。もっとも劇や映画やバレーなら目に見えるところの影響が大きいからそれも有効だろうが、オペラだと音楽よりそっちに目が行ってしまうかもしれないから、無いほうがいいという考え方もあるだろう。そして両家の対立がより表に出ているから、群集劇の要素も強い。
そのほか、薬を飲ませる神父がここでは医者だったり、乳母がおらず、というよりか女性は背景の大勢の中を別にすればジュリエッタだけである。それがロメオをメゾ・ソプラノに歌わせることが多い、ということにつながるのかもしれない。
そしてなんといっても今回のロメオはディドナートである。いわゆるズボンもやるメゾとしてはトップだし、皆がききたい人である。そしてジュリエッタのクルチェンスカ(ウクライナ出身)は知らなかった人だが、とっても澄んだ声に力強さを兼ねそなえて、情感の表出にもたっぷり入っていける。この二人の長いデュオ、よくハモッってうっとりする時間が多かった。
こういう歌にオーケストラの見事な効果は、イタリア・ベルカントの魅力そのものという感じで、今回聴くと、ヴェルディでも「椿姫」あたりまではその流れといっていい。
ファビオ・ルイージの指揮は手堅い。
さてクリストフ・ロイの演出はかなり凝ったもので、全体を回り舞台に、そしてそれを壁で3~4分割にし、時に回転させて今の場景の前後を暗示したりする。たとえばジュリエッタについてはその幼時、老後など。ついでだが、これからするとジュリエッタはロメオのあとを追わなかったということか。
そしてロメオとジュリエッタにしか見えないと思われる同伴者というキャラクターを設定していて、黒い衣装で長身の中性的な風貌、小道具を動かす黒子相当、主人公が見る自身や相手の幻影、ドラマの動きの引導、といった役割をさせている。
これを見ていて思い出したのが2006年ザルツブルク「フィガロの結婚」のグート演出で、ケルビーノに添えてケルビムという天使を設定、これをつかって大胆な解釈をしていた。
ロイの頭にはこれがあったかもしれない。たまにはこういことも、そしてうまくいけば、いいだろう。
指揮:ファビオ・ルイージ、演出:クリストフ・ロイ
ジョイス・ディドナート(ロメオ)、オルガ・クルチェンスカ(ジュリエッタ)、バンジャマン・ベルネーム(デバルド ジュリエッタの婚約者)、アレクセイ・ボトナルチューク(カペッリオ ジュリエッタの父)、ロベルト・ロレンツィ(ロレンツォ 医師・カッペリオの親友)、ゲオルギー・プチャルスキ(同伴者)
2015年6月21日 チューリッヒ歌劇場 2015年7月 NHK BS
このオペラの存在は知っていたが、見るのも聴くのも初めてである。ようやくだが聴けてよかった。
いわゆるロメオとジュリエット(イタリア語だからここではジュリエット)の話、イタリアに古くから伝えられた話で、この台本はシェークスピアの有名な劇とは違っている。
ドラマに影響があるところでは、二人は最初から恋仲であり、舞踏会もバルコニーの場面もない。もっとも劇や映画やバレーなら目に見えるところの影響が大きいからそれも有効だろうが、オペラだと音楽よりそっちに目が行ってしまうかもしれないから、無いほうがいいという考え方もあるだろう。そして両家の対立がより表に出ているから、群集劇の要素も強い。
そのほか、薬を飲ませる神父がここでは医者だったり、乳母がおらず、というよりか女性は背景の大勢の中を別にすればジュリエッタだけである。それがロメオをメゾ・ソプラノに歌わせることが多い、ということにつながるのかもしれない。
そしてなんといっても今回のロメオはディドナートである。いわゆるズボンもやるメゾとしてはトップだし、皆がききたい人である。そしてジュリエッタのクルチェンスカ(ウクライナ出身)は知らなかった人だが、とっても澄んだ声に力強さを兼ねそなえて、情感の表出にもたっぷり入っていける。この二人の長いデュオ、よくハモッってうっとりする時間が多かった。
こういう歌にオーケストラの見事な効果は、イタリア・ベルカントの魅力そのものという感じで、今回聴くと、ヴェルディでも「椿姫」あたりまではその流れといっていい。
ファビオ・ルイージの指揮は手堅い。
さてクリストフ・ロイの演出はかなり凝ったもので、全体を回り舞台に、そしてそれを壁で3~4分割にし、時に回転させて今の場景の前後を暗示したりする。たとえばジュリエッタについてはその幼時、老後など。ついでだが、これからするとジュリエッタはロメオのあとを追わなかったということか。
そしてロメオとジュリエッタにしか見えないと思われる同伴者というキャラクターを設定していて、黒い衣装で長身の中性的な風貌、小道具を動かす黒子相当、主人公が見る自身や相手の幻影、ドラマの動きの引導、といった役割をさせている。
これを見ていて思い出したのが2006年ザルツブルク「フィガロの結婚」のグート演出で、ケルビーノに添えてケルビムという天使を設定、これをつかって大胆な解釈をしていた。
ロイの頭にはこれがあったかもしれない。たまにはこういことも、そしてうまくいけば、いいだろう。