小説伊勢物語 業平:高樹のぶ子 著 日本経済新聞出版
日経新聞に連載されていたのは覚えていて、本になったら読んでみてもいいと思っていた。評判もよく、このところ日本古典の新訳に親しみ、「方丈記」、「堤中納言物語」と和歌がよく出てくるものが続き、しかも後者は恋物語ということから、自然に本書ということになった。
これは伊勢物語の現代語訳ではなく、小説化したもので、作者が推理したり想像したりしたものが入っているが、結果としてより在原業平の生涯が、そして業平が読んだ歌が、いきいきとしてくる。
和歌のつらなりで話が展開していくが、歌はもちろん原文どおり、それに解説相当の文章がついて、そのまま話が続いていくから、歌をあじわいながら読み進んでいくことができる。
在原業平(825-880)は皇族が故あって名字を持つ傍系の出で、少年のころから歌の才があり、多くの女性との間に交情があった。
物語に語られているように、この時代特に業平に関しては、その交わりは歌を介して展開するもので、男女双方とも優しさ、思いやり(忖度といってもいいが)、そして思いのほかの大胆さがあって、あとの時代に比べるとより自由であり、人間的といってもよいように思われる。
多くの女性の中で、作者によれば男としての業平にとってのファム・ファタルは藤原高子(たかいこ)、人間として長く寄り添い続けたのは斎宮の恬子(やすこ)で、この二人との間の描き方は、交わされたいくつもの歌とあいまって深く感ずるところがあった。
そしてならぬ恋の相手であった高子は宮中で歌のサロン振興に務めたようで、現在まで続く和歌の流れにとって業平とともに功が大きいといえるだろう。
この時代、もちろん男性にとって大切なのは漢学、漢詩であって、かの菅原道真も業平より一世代あとである。いかに業平がある意味で先をいっていたか、ということだろう。
つひに行く道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを
(在原業平)
まだ健康ではあるが、このご時勢では身に染みる。
日経新聞に連載されていたのは覚えていて、本になったら読んでみてもいいと思っていた。評判もよく、このところ日本古典の新訳に親しみ、「方丈記」、「堤中納言物語」と和歌がよく出てくるものが続き、しかも後者は恋物語ということから、自然に本書ということになった。
これは伊勢物語の現代語訳ではなく、小説化したもので、作者が推理したり想像したりしたものが入っているが、結果としてより在原業平の生涯が、そして業平が読んだ歌が、いきいきとしてくる。
和歌のつらなりで話が展開していくが、歌はもちろん原文どおり、それに解説相当の文章がついて、そのまま話が続いていくから、歌をあじわいながら読み進んでいくことができる。
在原業平(825-880)は皇族が故あって名字を持つ傍系の出で、少年のころから歌の才があり、多くの女性との間に交情があった。
物語に語られているように、この時代特に業平に関しては、その交わりは歌を介して展開するもので、男女双方とも優しさ、思いやり(忖度といってもいいが)、そして思いのほかの大胆さがあって、あとの時代に比べるとより自由であり、人間的といってもよいように思われる。
多くの女性の中で、作者によれば男としての業平にとってのファム・ファタルは藤原高子(たかいこ)、人間として長く寄り添い続けたのは斎宮の恬子(やすこ)で、この二人との間の描き方は、交わされたいくつもの歌とあいまって深く感ずるところがあった。
そしてならぬ恋の相手であった高子は宮中で歌のサロン振興に務めたようで、現在まで続く和歌の流れにとって業平とともに功が大きいといえるだろう。
この時代、もちろん男性にとって大切なのは漢学、漢詩であって、かの菅原道真も業平より一世代あとである。いかに業平がある意味で先をいっていたか、ということだろう。
つひに行く道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを
(在原業平)
まだ健康ではあるが、このご時勢では身に染みる。