メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

リヒャルト・シュトラウス 「ばらの騎士」

2021-04-19 09:33:50 | 音楽一般
リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」
指揮:ズービン・メータ、演出:アンドレ・ヘラー
カミッラ・ニールント(侯爵夫人マルシャリン)ギュンター・クロイスベック(オックス男爵)、
ミシェル・ロジェ(オクタヴィアン伯爵)、ネイディーン・シェラ(ソフィー)、ローマン・トレーゲル(ファニナル)
2020年2月13、16、19日 ベルリン国立歌劇場 
            2021年4月 NHK BSP
 
「細雪」の次に「ばらの騎士」、「時」が主人公の一人という点では出来すぎの順になってしまった。
舞台、映像をあわせると一番多く観ているオペラかもしれない。
 
今回見ていて、第一幕からマルシャリンが感じる時の流れが強く感じられた。それは登場人物の配置、動きにも出ているし、その意図を受けたカメラワークにも出ている。この作品、最初に観た時からしばらくは第二幕のオクタヴィアンとソフィー、銀のばらといった陶酔するような美しさ、それに敵対するオックス男爵を機知でやりこめ二人は一緒になるが、それを見送るマルシャリン、といった受け取り方であった。
その後次第にいろいろわかってきて、オックスの立派な背中の悲しさとか、時代、世代の交代の哀歓とか加わってきた。
 
今回、ますこれまでのの他の演出とくらべ、あのハプスブルグ時代の豪華な背景装置、衣装ではないことが一つ、そしてオックスを中心とした騒ぎはあるが、これも舞台上の動きと見え方よりはオックスの歌と演技に集中しているようだ。
 
映像では各幕の冒頭に台本作者ホーフマンスタールのコメントが流れ、これは興味深かった。第三幕では、オックス男爵の内面も見てほしい、オクタヴィアンと全くちがうというわけではないのだ、ということだった。
 
そう、オックスは没落を感じつつ、つかみ取りかけたものをあきらめるのだが、オクタヴィアンは時間的には逆にマルシャリンとその世界を失うわけで、そういわれるとこの次は初めからそこに注意してもいい。
 
指揮はズービン・メータ(1936-)、最初から椅子に座っているけれど、考えてみたらこのとき83歳、20代でLAのオーケストラにデビューして評判になり、NHK第2放送(旧いね)でブラームスだったか聴いた記憶があるが、いつの間にかこんな歳になってしまった。でもこれは素晴らしい指揮、シュトラウスの交響詩は若いころからよく指揮していて、レコードもベストセラーになっていた。カラヤンのあとシュトラウスではこの人といってもいいのかもしれない。「ばらの騎士」もカルロス・クライバーのあと、これだけ充実したオケは久しぶりで、メータに感謝したい。
 
歌手ではニールントとクロイスベックが、上記の位置づけからしてもぴったりしていたし、楽しめた。
久しぶりに思い出したが、はじめて観たのははじめての海外旅行、パリのオペラ座だった。たしか到着した日で、睡魔と闘いながらだったと思う。指揮はシルヴィオ・ヴァルヴィーソ、マルシャリンがクリスタ・ルートヴィッヒ、オックスはハンス・ゾーティンとメモに書いてあった。
 

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