「腹を抱える」(丸谷才一エッセイ傑作選1)(2015年1月 文春文庫)
丸谷才一(1925-2012)の書いたものは新聞・雑誌でかなり目にしてきたけれど、ここに特にその前半に所収されているような軽妙なものはあまり読んでいなかったように思う。おそらく掲載された雑誌と縁がなかったのかもしれない。そういう軽いものは、想像するに書かれた当時は面白かったのかもしれないが、今読むとそれほどでもない。もっともそう言ってはおしまいなのだが。
著者の名前を知ったのは、そして広く知られていたのは、ジョイスの「ユリシーズ」という難解で評判な小説が、確か河出書房の緑色の箱に入った世界文学全集だったと思うが、気鋭の三人の英文学者の翻訳で出た、ということからだった。その「ユリシーズ」は結局は敬遠したのか、読んでいない。
解説で鹿島茂が書いているように、この本の読みどころは、前記のように若くて優れた英文、仏文、独文などの学者がおおぜい集まっていた当時の国学院大学文学部の話、そして講師をしていた桐朋学園音楽科の話である。
後者では、「ユリシーズ」の中にスウェーリンクという1600年頃の作曲家のことが出てきて、どういうものかと同じ学科の作曲家柴田南雄に訊ねたら、まだこういう古い音楽のレコードは出てないが譜面ならあるから学生に弾かせようといって、しばらく後に出てきて弾いてくれたのが江戸京子だった、という。当時の桐朋、今からすればなんとも贅沢な話である。
ついでに言えば、私がスウェーリンクをはじめて聴いたのはグレン・グールドのピアノで、バード/ギボンスなどが入ったLPレコードに入っていなかったものが、CD化されたときに追加で加えられた「半音階的ファンタジア」であった。思い出して、今これを書きなが聴いている。なかなかいい。バッハが突然出たのではないことがよくわかる。
丸谷才一(1925-2012)の書いたものは新聞・雑誌でかなり目にしてきたけれど、ここに特にその前半に所収されているような軽妙なものはあまり読んでいなかったように思う。おそらく掲載された雑誌と縁がなかったのかもしれない。そういう軽いものは、想像するに書かれた当時は面白かったのかもしれないが、今読むとそれほどでもない。もっともそう言ってはおしまいなのだが。
著者の名前を知ったのは、そして広く知られていたのは、ジョイスの「ユリシーズ」という難解で評判な小説が、確か河出書房の緑色の箱に入った世界文学全集だったと思うが、気鋭の三人の英文学者の翻訳で出た、ということからだった。その「ユリシーズ」は結局は敬遠したのか、読んでいない。
解説で鹿島茂が書いているように、この本の読みどころは、前記のように若くて優れた英文、仏文、独文などの学者がおおぜい集まっていた当時の国学院大学文学部の話、そして講師をしていた桐朋学園音楽科の話である。
後者では、「ユリシーズ」の中にスウェーリンクという1600年頃の作曲家のことが出てきて、どういうものかと同じ学科の作曲家柴田南雄に訊ねたら、まだこういう古い音楽のレコードは出てないが譜面ならあるから学生に弾かせようといって、しばらく後に出てきて弾いてくれたのが江戸京子だった、という。当時の桐朋、今からすればなんとも贅沢な話である。
ついでに言えば、私がスウェーリンクをはじめて聴いたのはグレン・グールドのピアノで、バード/ギボンスなどが入ったLPレコードに入っていなかったものが、CD化されたときに追加で加えられた「半音階的ファンタジア」であった。思い出して、今これを書きなが聴いている。なかなかいい。バッハが突然出たのではないことがよくわかる。