ドストエフスキー: 賭博者
亀山郁夫 訳 光文社古典新訳文庫
ドストエフスキー (1821-1881) の主要作品はもうかなり前つまり20代に読みずっしりとしたものが残った。ただその後は何も読んでおらず、数年前だったか「カラマーゾフの兄弟」の映画だったか何回かのTVドラマだったかを見ただけである。
それがこの数年、ロシア文学を続けて読んでいるうちプーシキンあたりからギャンブルがよく出てきて、どうもロシアにおける賭博の根づき方は本質的なものではないか、と思うようになった。
この「賭博者」は1866年の作、他の作品に比べると短いがそれでも300頁はある。
ある将軍のところで家庭教師を務めているアレクセイが主人公、将軍の義理の娘に恋している。将軍の伯母が死にそうだといわれていてその遺産がどうなるかということと、その金と娘をめぐる何人かのいくつかの国籍の男女、かれらがドイツの架空の町の賭博場でギャンブル、そして男女間のあてつけ、それらが続いていく。
しばらくはアレクセイの語り(この小説は彼の一人称)の内容がよくわからないが、死にそうといわれていた伯母が突然やってきて、素人なのだが賭場で無謀な賭けを続け莫大な儲けになりだすところからようやくこの小説の世界に入っていけるようになった。
それにしても賭博というものが人間にとって本質的なものなのか、人によるのか、ドストエフスキーの他の作品に描かれる人間の欲、悪、政治、宗教、人間の内面の本質、苦悩などなど、に加えてというかそれらをつらぬきまた底に存在して、作者にとっては書かなければならないものだったのだろう。人間が生きていくということはこういうことと説得されそうになることもある。
読んでいてわかりにくいところはかなりあって、それが訳のせいなのか、もともと今の日本人にはわかりにくいものなのか、ちょっと苦労した。ただそれとは別にこの本の校正はレベルが低いと思う。読んでいて、日本語の文章でこれはないだろうというところがいくつかあった。
亀山郁夫 訳 光文社古典新訳文庫
ドストエフスキー (1821-1881) の主要作品はもうかなり前つまり20代に読みずっしりとしたものが残った。ただその後は何も読んでおらず、数年前だったか「カラマーゾフの兄弟」の映画だったか何回かのTVドラマだったかを見ただけである。
それがこの数年、ロシア文学を続けて読んでいるうちプーシキンあたりからギャンブルがよく出てきて、どうもロシアにおける賭博の根づき方は本質的なものではないか、と思うようになった。
この「賭博者」は1866年の作、他の作品に比べると短いがそれでも300頁はある。
ある将軍のところで家庭教師を務めているアレクセイが主人公、将軍の義理の娘に恋している。将軍の伯母が死にそうだといわれていてその遺産がどうなるかということと、その金と娘をめぐる何人かのいくつかの国籍の男女、かれらがドイツの架空の町の賭博場でギャンブル、そして男女間のあてつけ、それらが続いていく。
しばらくはアレクセイの語り(この小説は彼の一人称)の内容がよくわからないが、死にそうといわれていた伯母が突然やってきて、素人なのだが賭場で無謀な賭けを続け莫大な儲けになりだすところからようやくこの小説の世界に入っていけるようになった。
それにしても賭博というものが人間にとって本質的なものなのか、人によるのか、ドストエフスキーの他の作品に描かれる人間の欲、悪、政治、宗教、人間の内面の本質、苦悩などなど、に加えてというかそれらをつらぬきまた底に存在して、作者にとっては書かなければならないものだったのだろう。人間が生きていくということはこういうことと説得されそうになることもある。
読んでいてわかりにくいところはかなりあって、それが訳のせいなのか、もともと今の日本人にはわかりにくいものなのか、ちょっと苦労した。ただそれとは別にこの本の校正はレベルが低いと思う。読んでいて、日本語の文章でこれはないだろうというところがいくつかあった。