メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ハーゲンのショスタコーヴィチ

2006-08-14 12:22:04 | 音楽一般
ショスタコーヴィチ(1906-1975):弦楽四重奏曲 第3番(1946)、第7番(1960)、第8番(1960)
ハーゲン弦楽四重奏団 (2005年録音)(DG)
 
思い切りよく切り込んで、気合と没入、展開になると自在、読みと技術と勇気とをもって臨んだ演奏は、聴くものをこの作品の深い世界に連れて行く。
この3曲、数年前ボロディン弦楽四重奏団のCD(メロディア)が激安セールで出ていたのを買って聴いたのがはじめてであるが、そのときも第8番は曲のよさを多少理解できた。ボロディンの演奏も良かった。
 
しかし今回は3曲とも、さらに細かいところに自信を持って入り、また自信を持って表現しており、この曲、作曲家との距離が一挙に近くなった思いがする。
ハーゲンの演奏はここ数年のベートーヴェン中期・後期の何枚かから想像できるものではあるが、さらに繊細・自在というべきだろうか。
  
ショスタコーヴィチは日本でも一部のクラシック愛好者には熱烈に愛され、今年は生誕100年ということから企画ものCDも多い。
しかし正直にいうとこの人は20世紀の作曲家でも苦手なほうで、有名な交響曲第5番「革命」は耳につきやすいけど辟易、ピアノのための前奏曲(24曲)は深そうだが晦渋でこれからも挑戦が続くといった感じであった。
2年くらい前に交響曲全15曲がルドルフ・バルシャイ指揮のよさそうな演奏・録音、しかも何故か11枚3000円という激安価格ででたので、とにかく買って見て、一番から順に少しずつ聴いた。第1番はやはり才能を感じさせ、第4番、第8番など何かありそうだなと、ようやく思い始めたところであった。
 
しかしジャンル別でいくと、弦楽四重奏から入るのもいいかもしれない。
ボロディンで聴いた第5番、第6番は何か仮面を被った中期ベートーヴェンといった趣で、ああこれがソビエト共産党との確執の表れか(そうでないかもしれないが)と思ったものだ。
この第7番は最初の妻ニーナの思い出にささげられている短い曲、第8番はファシズムと戦争の犠牲者にささげられている。後でそれを知ればそう思えなくもないが、それを意識しないで聴いても素晴らしい曲だし、第3番には、純粋に音楽の喜びとユーモアさえ聴き取ることが出来る。
 
録音は最近のベートーヴェンと同じバランス・エンジニアによるもののようで、これまで演奏のスケールの大きさに対し一部余裕の無い箇所があったのと比べ、今回はうまく収まっている。
ところでCDについているリーフレットを見ると、この英語バランス・エンジニア、ドイツ語ではトーン・マイスターというようである。「音の親方職人」、なるほど。

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アバウト・ア・ボーイ

2006-08-13 16:58:31 | 映画
「アバウト・ア・ボーイ(About A Boy)」(2002年、米、100分)
監督:クリス・ワイツ、ポール・ワイツ、原作:ニック・ホーンビィ
ヒュー・グラント、ニコラス・ホルト、トニ・コレット、レイチェル・ワイズ
 
原作が「ハイ・フィデリティ」、「2番目のキス」などと同じニック・ニック・ホーンビィなので、前にあまり注意しない状態で見ていたのだが、再度見た。
 
ここでも、仕事にも女性にも何か定まらない中年に入りかけた男(ヒュー)が主人公、しかし彼には一発屋の父親が残した音楽著作権があり、食べるのには困らない。ここらが生活感をさておいた作りになっている。
 
子持ちシングル女性にかかわろうとした下心が運のつきで、ちょっと変わった男の子と知り合いになり、嫌がりながらも付き合ううちに、人と人との関係、それも単位はペアばかりではないんだ、ということに気がついていく。
男の子の母親は鬱気味のヒッピー風(トニ・コレット)、後半に出てきてうそをついてまで付き合おうとするこれも子連れだがハイクラスの女性(レイチェル・ワイズ)、この人たちの交錯で面白いシーンが無いわけではないが、全体としては少しアクセントが弱い。それでも最後はそれなりに納得する結末になっている。
 
製作はアメリカだが、実質イギリス映画、子供を使ってうまく話をまわしていくのはよくあるけれども、映画全体としてまとめるのは簡単ではないだろう。
 
俳優は皆うまい。ヒュー・グラントは今回も裕福なのに惨めという彼にはよくある設定で、ジョークもいつものように効いている。
トニ・コレット、今回と「イン・ハー・シューズ」でのキャメロン・ディアスの姉役を比べると、随分役柄の幅が広い人だ。
レイチェル・ワイズは登場時間がそれほど長くなく、魅力的だが、彼女の演技力を見せるというほどではない。

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ロボコン

2006-08-12 22:13:54 | 映画
「ロボコン」(2003, 118分)
監督・脚本:古厩智之(ふるまや ともゆき)
長澤まさみ、小栗旬、伊藤淳史、塚本高史、鈴木一真、須藤理彩、うじきつよし、水野真紀、吉田日出子、荒川良々
NHK-BS録画で再度見たもの。
  
青春映画の傑作である。そして長澤まさみは初主演で本当にいい脚本に恵まれ、その後の日本映画を背負ってたつ素材であることを示した。
大げさでなく、この数年で、クラブ活動を背景とした青春映画にいいものが多いが、その中でも「ウォーターボーイズ」(2001)、「スウィングガールズ」(2004)、と並んでベスト3だろう。
 
全国の高専が参加するロボットコンテストを盛り上げる意味の映画でもあるのだろうか、そのコンテストに出るある高専の生徒長澤が単位をとれず、その代償としてロボット部のそれも2番目のBチームで活動するはめになる。
ここには天才と考えられているが協調性がまるでない小栗、主体性が無い部長の伊藤、工作技術はすごいが小栗の熱中に引いてしまっている塚本、というどこの組織にもありそうな組み合わせ、それでも無理でも全国大会を目指す。
 
そしてチームとしてまとまらないが故の合宿、地区予選、全国大会と、これら4人がどうぶつかり、小さくてもどこを理解し、ロボットの製作・改良と戦術・操縦につなげていくか、本当に丁寧に描いていく。この丁寧な細部が本当にいい、そしてそれを演じる若い彼ら、結果は見事である。
 
前記二つの傑作は最後みんなが一つになって一緒にパフォーマンスするが、これは結果を出すのはロボットであり、役割はばらばらであり、それだからそのやり取りと理解に達するということが、何か本当にコミュニケーションという感じがするのである。
いい設定だ。
 
この映画のある評に、もう一つの主役は敗れたものも含め登場するロボット達であるとあったが、本当にそのとおりで、実際の大会に出たいくつものチームから賢く楽しいロボットが登場している。彼らのレベルの高さに驚く。
 
長澤まさみは、じっくり準備し、存在感を作ってからの演技というより、すっと滑り込んでその場から白い紙に軌跡を描くように動いていく。自分が動いた、話した、それをそのまま今の現実として受け取り、場面で生きていく。それが先天的が出来るのだろうか。
 
印象的な場面はいくつもある。最初の保健室でのふてくされた長澤の登場、合宿に行く途中のトラックの荷台で歌う「夢先案内人」(山口百恵)、部室の窓の外からぴょこんと頭を下げ突然笑顔になってありがとうというところ。
大会の途中に4人で話しながらラーメンを食べるかなり長いショット。
やはり大会途中に長澤がロボットの操縦練習を屋外一人でやっているところの傍、階段で他校の応援バンドが「星の流れに」を練習しているその横を小栗が通り他の二人も離れており長澤だけがすり鉢の底みたいなところで動いている、それを俯瞰で捕らえるカメラ。このシーンは大会の終盤できいてくる。
高専ロボットの風景を含め、この時代の証人ともなりうる映画だろう。
 
それにしても、前記二作にも言えることだが、どうしてこういう作品を海外へ強力に売り込まないのだろうか。
 
今年も12月に高専ロボットの大会があるから、12月~1月にNHKのBSあたりで放送するだろう。

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海流のなかの島々(ヘミングウェイ)

2006-08-12 18:49:42 | フィクション
アーネスト・ヘミングウェイ「海流のなかの島々(Islands In The Stream)」 沼澤洽治 (新潮文庫 上下)
 
ヘミングウェイ(1899-1961)生前は未発表だった小説。おそらく第二次世界大戦中から一部構想執筆が始められ、1940年代後半から1950年過ぎあたりまでの間に書かれたと推定されている。舞台はバハマ、キューバ周辺、時代はドイツU ボートがこの周辺に現れる1940年前後である。
 
主人公は作者自身と思われる画家で、夏休みに訪ねてきた三人の息子(長男と後の二人は母親がちがう)との再開と、トローリングで遭遇する巨大なカジキと次男の死闘を描く第一話、キューバの酒場で画家の過去と現在が、延々と続く飲酒の中でそして出入りする人々とのやり取りの中で描かれる第二話、また彼はこの海域で対独掃海をやっている非正規軍みたいなグループの長なのだが、その厳しい戦いの行程を描く第三話、という構成になっている。
 
小説としてのダイナミックな動きは必ずしも多くないから、何か別の大きな小説を書くための準備、スケッチか、などど読みながら思ったものである。
後で読んだ解説によると、準備ではないが、大きな構想の作品の一部として書かれたという説が有力だそうだ。
 
面白くて読み進むというわけではないが、ヘミングウェイの他作品と同様、観念的なところはなく、描写にあいまいさはない。それに会話の比率が高いために、なおさら臨場感は高い。
 
それでも全体を通して表出されてくるのは、彼の周りをとりまく死であり、またこの画家にとっての死というもの、その受け取り方、というものだ。
死に対しじたばたはしないが、命には必死にすがりつく、男の仕事に比べれば命など安いものだが、厄介なのは命が無くては困る、と。 そう、ある程度ヘミングウェイを読んでいると、そうだなと思う。
 
息子との会話、カジキとの格闘の描写、猫との会話、酒場での下品なことも含む会話、海上での部隊にいる個性的な連中との会話、主人公の強さと抑制と、それでも入り込んでくる後悔、諦念と、これらをゆっくりと味わった。
 
カジキとの闘うのは次男であるが、これはどうしても「老人と海」(1952)のベースになったと考えてしまう。公開された「老人と海」がより作者の本心に近いと考えれば、作者はこの次男の闘いを書いたときより、何か死の甘美な誘惑に少しではあるが傾いていると受け取れる。
 
長男が小さい頃いっしょに暮らしたパリの話が出てくる。著名な作家、画家が実名で登場し、街路、店の説明も詳しい。作者は世界の都会の中ではパリが好きなようだ。
 
さて皆よく酒を飲む。出てくるのはやはりフローズン・ダイキリ、トム・コリンズなどヘミングウェイの定番が主だが、中にスコッチをペリエで割るのがあり、主人公はこれを推奨している。ハイボールより落ち着いているかも知れない、今度試してみよう。

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パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト

2006-08-05 23:02:20 | 映画
「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」(Pirates of The Caribbean Dead Man's Chest)(2006年、米、151分)
監督 ゴア・ヴァービンスキー
ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ、ステラン・スカルスガルド、ナオミ・ハリス、ビル・ナイ
 
大ヒットした海賊ジャック・スパロウものの第2作、夏休みにぴったりといいたいところだが、期待ほどではなかった。
2時間半というのはいかにも長いのだが、そこはうまく筋をつないでおり、途中で飽きるというわけではない。
だが、まずなによりカリブの海賊というわりには、カリブ海を思わせる海上のシーン、それも紺碧の海のシーンが少なく、暗くて半分イカ・タコ人間やそれが出すぬるぬる一杯の画面、それか島の中のジャングル・シーンが多い。つまり汚すぎる。
 
それから細かいところは、コメディ・アクションというよりアクション・コメディで、仕掛け、大げさな演技つきギャグの連続である。ディズニー・ランドのアトラクションでワン・ソース・マルチ・ユースをねらっているのだから、これは当然だろうか。そこそこ面白いのだが、それ中心の映画なんだろうか?
とにかく壮大なパートⅢ(来年公開予定)の予告編、まったく。
 
「呪い」について
このイカ人間デイヴィ・ジョーンズ、そしてジャック・スパロウ、ウイル・ターナーの父親など、呪いをかけられた人間達、その呪いの中でも「フライング・ダッチマン」すなわちワーグナーも題材にした「さまよえるオランダ人」という言葉が何度も出てくる。これ、欧米での位置づけは想像以上のものなんだろう。
 
ジョニー・デップは自然体、オーランド・ブルームもキーラ・ナイトレイも前編よりしっかりしてきたがそういう年齢なんだろうか。もっともキーラはこの間、「プライドと偏見」、「ドミノ」なんかに出ているから当然といえば当然。
 
クレジットを見るまでわからなかったのが、イカ人間デイヴィ・ジョーンズを演じていたのはなんとビル・ナイ、顔は見えないし英語の具合はそんなにわからないが、何かかなりな人がやっている感じはしていた。
もしあらかじめ知っていたら、あの「ラブ・アクチュアリー」の老いぼれロッカーを思い浮かべ、もっと笑ってしまっただろう。
 
島で水車が延々と転がる活劇シーンがあるけれども、ここでCGというか画面合成というか、とにかくそういうところでちょっとさぼっているところが見受けられた。

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