メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

プリンセス・シシー

2010-09-15 22:02:17 | 映画

「プリンセス・シシー」 (SISSI、1955、オーストリア/西ドイツ、101分)
監督・脚本:エルンスト・マリシュカ
ロミー・シュナイダー(シシー)、カール=ハインツ・ベーム(フランツ・ヨーゼフ皇帝)、マグダ・シュナイダー(シシーの母)、グスタフ・クヌート(シシーの父、マックス公爵)、ウッター・フランツ(ネネ、シシーの姉)、フィルマ・デギッシャー(シシーの母の姉、フランツ・ヨーゼフの母)
 
ロミー・シュナイダー (1938-1982) の実質的デビュー作、この1年前に「女王様はお若い」というのあるらしいが、やはり有名になったのはこれだろう。
とはいえ、ロミー・シュナイダーの中期、晩年のファンであるのに、これを見るのは初めてである。
シシー(エリザベート)がオーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ(ハプスブルグ家)の妃になるまでの話で、その後二つの続編が作られ、オーストリアではクリスマスに長いこと毎年TV放送されたという。
 
オーストリアを愛する感情あふれたシンデレラストーリー、それも照れくさいくらい典型的なものである。バイエルン公爵の姉妹が伯母のところに行く。伯母の息子フランツ・ヨーゼフはすでに皇帝になっているが、親たちは上のネネを妃にと画策している。ところが行く途中で別行動になった妹のシシーと皇帝が出会ってしまい、見たところ泥臭く、まだしつけも行き届いてないが、自分の考えを持っており、正直で誠実なところが見初められ、どたばたのあげく結ばれる。
 
ロミー・シュナイダーは中肉中背、実の母が母親役で出ているが母より小さい。演技もそれほどどうということはない。けれども、こういうとき、つまり大根であっても将来を」見込んで何か認められることろはあるのだろう。こっちはその後を知っているけれど、そうでなければ気がついたかどうか。
 
コメディのしかけも典型的で、気軽にみられる。
シシーは動物好きで、実家でもいろいろと動物を飼っており、また乗馬が得意である。そういえば長じても「ルートヴィヒ」(ルキノ・ヴィスコンティ、1972)でやはり同じエリザベート(ルートヴィヒの義姉)を演じ、乗馬姿を見せていた。もちろん魅力ある大人の女として。
 
婚約がととのったお祝いのあいさつに出てくるのはラデツキー将軍で、その花火を背景に「ラデツキー行進曲」が流れる。時代としてこういう設定もおかしくはない。
また、結婚式のためにシシーがドナウ川を船でウイーンに入っていくところ、皇帝が迎えに出るときの音楽がハイドンの「皇帝」(弦楽四重奏曲)、もうこの時に国歌あつかいだったかどうかは知らないが。

カール=ハインツ・ベームは指揮者カール・ベームの息子で、ドイツ系の映画には結構出ている。


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シテール島への船出

2010-09-11 22:23:53 | 映画

「シテール島への船出」(Voyage to Cytherea、1983、ギリシャ・イタリア、140分)
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
ジュリオ・ブロージ、ヨルゴス・ネゾス、マノス・カトラキス、ドーラ・バラナキ
 
同じテオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」はまだ見ていないし、これも長い映画なのでちょっと見るのをためらっていたけれど、見だしたら案外最後まで見続けることができた。
 
主人公の映画監督とその愛人(?)役以外はおそらくほとんど素人を使っているのではないかと思うし、セリフは極端に少なく、一つ一つの場面は、できる限り途絶えないよう時間を使って映像が示される。次第にそれが自然になりそのテンポに慣れてくる。
 
人が歩く場面のゆっくりとしたところ、ウクライナ船籍のタラップが「きわめてゆっくり」と降りてくるところ。
32年間ロシアに亡命していた父が今帰ってくるのだ、映画が急いでどうする?とでもいった感じ。
 
主人公の映画監督、おそらく冒頭の兵士にちょっかいを出して逃げていく男の子が長じて彼になったということだろう。ギリシャの戦時、軍事政権を経てということか。
 
主人公はシテール島にロケ・ハンする映画を作っているらしい。その映画の主人公で、抵抗運動をやりロシアに亡命した彼の父親役をオーディションしていて、いかにもの素人がたくさん応募している。今一つ気に入らないでその場を離れたところにラヴェンダー売りの老人が出てきて、この人にしようかと思ったのだろうが、後を追いかけていくと見失う。がそこからなぜかもう映画の中の映画になって、その老人が彼の父親で、32年ぶりに帰ってくるところになる。
このしかけが必然だったのかは、よくわからない。
 
そのあとは老人が元の妻、家族がいる家に帰るのだが、彼の持っている土地が再開発計画の一部であり、昔からの隣人たちは皆はそれを認め彼にもサインしてほしいのだが、彼はそうしない。
彼の妻も、夫がロシアで3人も子供を作ったというし、あきれるのだが、最後はいうことをきかない亡命帰国者を公海に出してしまうという当局が夫をブイに乗せて出してしまうのに同乗して行ってしまう。おそらくこれがシテール島への船出(!)なのだろう。
 
さて、この映画の主役は「不在」であり「空白」ある。話が続きそうなところで途絶えるのはこれだ。
不在も空白も人の業ではどうしようもない。これを独特のテンポで後半理解させていく、それは見事というより、唖然とする。
 
妻にそうさせたのも、やはりよみがえった夫への愛情などというものではなく、夫が一度帰ってきてわかってしまった不在、空白を受け入れるということなのだろうか。
この映画からあまり政治的な主張は受け取れない。
 
老人はロシアに32年間いたからというのではないけれど、イメージとしてはロシア人の風貌に近い。そして妻もロシアの母親に見える。二人ともギリシャ人のはずだが。
 


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マン・レイ展

2010-09-06 17:40:48 | 美術

マン・レイ展 知られざる創作の秘密
2010年7月14日(水)-9月13日(月)、国立新美術館
Unconcerned But Not Indifferent (無頓着、しかし無関心ではない)
 
マン・レイ(Man Ray) (1890-1976)について、名前のほかはあまり知らなくて、写真家というイメージを持っていた。こうしてみる、写真について多くの仕事はしているものの、写真家とは言えないようだ。
ニューヨーク、パリ、戦争を逃れてロサンゼルス、そして再度パリという活動拠点の変遷にあわせて展示されている400点あまりの作品は、多様なジャンル、形式、様式で、写真の対象(モデル、作品)をはじめとして、20世紀のアートにおける実に多くの人たちとの交流が表現されている。

一つ一つの作品は、たとえばウォーホルや交流のあったピカビアのものなどと比べてもそうインパクトはない。
 
アーチストたちが撮られている写真は確かに面白い。なぜか横向きのポーズが多いけれど。
 
そして、彼は他人の作品を写真にとるばかりでなく、自分の作品も写真とともに記録し、検索カードのようなものを作り続けていたようで、会場にはその一部の複製があり、手に取って見ることができる。
ロスアンゼルス時代には、評価も定まりよく売れるようになったからでもあろうが、自作のリトグラフを多く作っていて、多くのコピーが世に出れば、自作のオリジナルはなくなってもいいという極論を吐いたこともあったという。
 
つまり、自分の周りに現れた様々なアート、その中で自分が創ったもの、それらを自分の目の届くところに常に置き続け、そうしてまた何か作っていく、そういう創作スタイルになっていったのではないか。最初から意識的かどうかは別として。

アート・シーンを感じながら、参加しながら、その中で泳ぎ続ける?

写真というものがそういうことを可能にする技術、媒体として位置づけられてきたということも確かだ。その後、写真に加えて様々なものが出現し、いまやすべてデジタルデータ化、データベース化が可能になり、それをネットワーク上に出すことも可能、となってみれば、このマン・レイの始めたこと、というのは何か大きな意味を持っている。先駆性とは言えないが。
 
感動というほどではなくても、一度見ておくといい展覧会。


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ワルキューレ (バイロイト 2010)

2010-09-01 22:39:32 | 音楽

ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」
2010年8月21日 バイロイト祝祭劇場
指揮:クリスティアン・ティーレマン、演出:タンクレート・ドルスト、美術:フランク・フィリップ・シュレースマン
(ジークムント)ヨハン・ボータ、(ジークリンデ)エディット・ハラー、(フンディング)ヨン・クワンチュル、(ウォータン)アルベルト・ドーメン、(ブリュンヒルデ)リンダ・ワトソン、(フリッカ)藤村実穂子
  
NHK BS2で録画して見た。確かハイビジョンでは世界初のバイロイト生中継だったはず。なぜ「ワルキューレ」なのか、というのはわからないが、ニーベルングの指輪のなかでも最も面白い、またワーグナー全作品の中でも最も見どころ、聴きどころがある作品だから、この選択は納得がいく。それにこれを見れば指輪全体の見通しがきく。
  
バイロイトの映像作品というのは実はそんなになんども見たわけではなくて、指輪も1970年代パトリス・シェローの演出、ブーレーズの指揮のものは見たことはあったが、記憶では比較的暗い照明ではなかったか。そしてこれも写真や文章でしか想像できないが1960年代のウィーラント・ワーグナーの象徴主義ともいうべき演出も細かいものを排していたと想像する。また昔のメモを見ると、実演では唯一1974年10月12日(土)に来日していたミュンヘン・オペラでウォルフガング・サヴァリッシュ指揮、ギュンター・レンネルト演出の「ワルキューレ」を見ている。ただもったいないことにレンネルトの演出はほとんど覚えていない。残っているプログラムの写真を見ると、今回よりはシンプルで暗い舞台だったようである。まあとにかく、このときのミュンヘン・オペラではカルロス・クライバー指揮、オットー・シェンク演出のリヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」ばかりに夢中になっていて、記憶もそっちがほとんどだ。
 
今回、幕開きの前に明るいところで舞台が示されたが、縦横比があまりないこともあるのか、昔のテレビのような小じんまりしているには驚いた。随分昔から続いているものだからやむを得ないのではあるけれど。
 
さて、演出、演奏であるけれども、まず問題は第1幕、ジークムントが逃げ込むフンディングとジークリンデ夫婦の家、これがなんとも野暮ったい家で、田舎とはいえ力を持っているフンディングのものとは思えないし、ジークリンデとジークムントがお互いの素性を次第に解きほぐし結ばれるというこの美しい音楽にはそぐわない。
「冬の嵐が過ぎ去って」、正面のドアがあき、さっと風が入ってきて、「それは春(レンツ)」というところ、これがこの装置では台なしだ。
婚礼の日に不思議な老人(ウォータン)が現れ、予言してトネリコの幹に突き刺した剣(ノートゥング)もおもちゃのようで、これではこれから「ジークフリート」、「神々の黄昏」へと長く中心となる道具としてふさわしくない。
もっともジークフリートは己の力を試し、見せるためにノートゥングを引き抜いて見せるのだが、この剣ではワーグナーがこれにこめたもう一つの意味、すなわち男性の象徴しか感じ取れない。
 
第2幕はそれほど違和感はないが、第3幕のブリュンヒルデが横たわるこれまた安っぽい傾斜したすのこ状のもの、彼女と父ウォータンとの長大なやり取り、ウォータンのこれまた長い「さらば愛する娘よ」、このワーグナーの中でも最も素晴らしい音楽の背景としてはいかがなものか。ローゲの火が近くにくるとあっという間に燃えてしまいそうだ。
 
歌手は目をつむって聴けばまずまずといったところだが、どうしてこんなにメタボな歌手ばかりなんだろうか。まともなのはウォータンくらい。ジークリンデとジークムントはやはりリリックな雰囲気にマッチしてほしいし、ブリュンヒルデはこれから指輪の終幕までの長丁場、これでは息切れになりそうである。
 
フンディングは韓国人、フリッカは日本人、1970年ころ、年末のNHK FM放送でバイロイトの多くの演目が放送され、カール・ベーム指揮の指輪を聴いていたころからすれば、隔世の感である。
ちなみのこのころの放送解説は柴田南雄(作曲家)で、ライト・モチーフを流しながらの詳細な解説はとても有難かった。
 
ティーレマンの指揮は多少早めのテンポ、その可否はあの劇場スペースで聴かないとなんともいえないが、全体としてはわかりやすい。ただ確かめようはないけれど、楽器特に管楽器はここでも作曲当時のものに最近はなっているのだろうか。ワーグナーくらいの天才の作品であれば、楽器も演奏もより高度なものでこそその潜在的な価値が出てくるのではと思うのだが。
 
演出は上記のように美術も含め、何をしたいのかわからないところが多い。余計な動きがある上に、これでいいんだろうかとうのが、ジークムントが倒れる場面。これまでの脚本解説などからは、ジークムントの剣(ノートゥング)をウォータンの槍が打ち砕いたために、フンディンクに刺されて死ぬ、ということだったと思うけれど、ここではウォータンが槍で刺したように見える。そしてノートゥングは砕かれている。あの刺す動作では砕けないだろう。
実質的には「ウォータン、殺したのはお前だ」ということだが、それは見る者にはわかるわけで、舞台上の演技でやってはおしまいだ。

とはいえ、長時間見ていて損をしたかというとそうでもなくて、それはこの作品の力である。


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