メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ハイドンの交響曲

2020-04-17 09:20:30 | 音楽
ハイドン(1732-1809)の交響曲をかなりまとめて聴いた。
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団で88番、95番、101番(時計)、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団で92番、93番、94番(驚愕)、95番、96番(奇跡)、97番、カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で103番(太鼓連打)、104番(ロンドン),95番だけ重複している。
 
この順番で、毎日一曲ずつ、続けて聴いてみた。なにしろ「自粛」でできるだけ在宅、それは納得しているが、ではどうやって過ごすかというと、家事の一部や、音楽の練習、この際不要なものの整理などやっても、時間はあり、読書、音楽鑑賞、ビデオなども毎日となれば、何に手を伸ばすか、思いつきだけだと対象は尽きてしまう。
 
そこで、何か法則というか、順番を決めて、ともかくそのとおりやってみれば、迷わないし、普段あまり手がのびない、買ってはあったが聴いてないかもしれないものを試すことができる、というわけである。
 
そこで、私のイメージからするとちょっと地味なハイドンを選んでみた。何か発見できるかもしれない。
そうしてみると、まずハイドンは耳にさわらず、メロディーラインは魅力あるものが少ないけれど、フレーズの響き、各楽器の分担、調和がよく、その進行は聴いていて耳が心地よく、聴感、気持ちが整ってくる。
これは儲けもので、ハイドンに感謝しなければならない。
 
モーツアルト(1756-1791)ほど人気がないのも、失礼というべきで、上記の曲群とモーツアルトの後期6曲を比べたって、いまにして思うと、決してひけをとらない。ハイドンが損しているのは、あの40番、41番(ジュピター)のような、文学的になにかと言及されるものを持っていないからで、それ以外はハイドンの方が、例えばオーケストラの団員など心地よいのではないだろうか。
 
演奏としては、ライナーは「時計」なんか絶品で、シカゴもやりすぎない限界の色彩感を出しているし、この人得意のにらみのきいたリズム感、テンポ感は、ハイドンでも活きている。
 
いくつもまとめて続けて聴くと、セルは今回の私の狙いにぴったりで、クリーヴランドもこういう曲のためにトレーニングを積んだか、と思わせる。今回、特にセルに感謝である。
 
カラヤンは1960年ころウィーン・フィルと英デッカに録れた9枚にたまたま入っていたのを見つけたもので、、上記二人のものと比べると作曲時期も少しちがうのかどうかわからないが、より重厚で、ベートーヴェンに近い感じがする。それともウィーンのオーケストラの感覚だとこうなのだろうか。カラヤンはあまりハイドンをやらないけれど、同じ時期にロンドンのフィルハーモニアも指揮しているから、こっちでやっていたら、もっとフィットしていたかもしれない。



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