夢の中では
大野さんはなぜか普通の女の子で
その事実を知ってやったーと喜んでいる。
別にバツイチだっていいと(バツイチじゃないけど)
子持ちだって全然構わないと(子持ちでもないけど)
自分は何でこんな小さい事にくよくよと悩んで
何もできずにいたんだろうと、
そう思いながらバンザーイとやってると
夢から一気に覚める。
現実の大野さんは、男の人で
バツイチでも子持ちでもないけど
それはどんなハードルよりも高くて大きくて
そのどうしようもない現実に途方に暮れる。
でも。
「大野さん」
呼びかけると大野さんが振り向く。
「大野さん、こないだのお礼に、何かごちそうさせて下さい」
「ふふっ櫻井の手料理?」
そう言うと大野さんがふふっと笑う。
やっぱり綺麗な顔をしているなと思う。
「あ、いや、俺は何も作れないのでどこかでって思ったんですけど…」
「……」
大野さんの表情が一瞬曇った。
「あっぜひ、カズナリくんも一緒に」
「……だったら家で鍋はどう?」
カズナリくんの事を思い出し慌ててそう言うと
大野さんが家で鍋はどうかと言った。
「ずっと鍋をしたいと思ってたんだけどカズと二人じゃなって
思ってたから丁度いいと思ったんだけどダメかな?」
また大野さんの家で食事ができる。
あの優しい空気の中に自分も入れるのだと嬉しく思う反面、
やっぱりいくらなんでも図々しいだろうと思って
困惑していると大野さんがそう言った。
「わかりました。じゃあ、俺何かいい食材を買っていきます」
「ふふっ期待してる」
そう言って大野さんはふふっと笑った。
悪いなと思いながらも、また大野さんの家で食事ができる。
あの空間の中に自分もまた入れるとそう思うとやっぱり嬉しかった。
「あーやっぱり家庭料理っていいですよね」
「って、鍋だけど…」
そんなこんなで結局また大野さんの家でご馳走になっていた。
いい食材を選んで買って言ったつもりだけど
本当に良かったのかと不安だけが残る。
「でも、いつも俺外食か弁当なんで、こんなに野菜が食べられるなんて幸せです」
「ふふっだったら自分で作ればいいのに」
でも、他愛もない話をしながらもやっぱり幸せな気分だった。
「本当に俺、何も作れないんですよ。それに一人鍋ほどむなしいものはないですから」
「まあね~」
大野さんとカズナリくんと自分。
たいして盛り上がるわけでもない。
笑いで溢れる感じでもない。
でもここには穏やかな空気が流れていて、優しく温かい気持ちになる。
そこに自分が入れることが嬉しかった。
「だったらまた食べに来れば?」
「え?」
思いがけないその言葉に大野さんの顔を見つめた。
「まあ、櫻井が嫌じゃなければの話だけど」
嫌なはずない。
今日だってどんなにこの日を待ちわびていたか。
一緒に鍋をしようと言われてどんなに嬉しかったか。
あのカレーを食べた日から。
ずっとあの優しい空気の中に自分も入りたいと思っていた。
「でも…」
こんなに甘えっぱなしでいいのかなとも思った。
「カズも大人の男の人に慣れるには丁度いいから
来てくれた方が助かるんだよ」
「え?」
大野さんはそう言ってくすっと笑った。
言ってることがよくわからなくて大野さんの顔を見たけど
大野さんはそれ以上は何も言わなかった。
カズナリくんは食事を終えると一人で絵を描いて遊んでいた。
その姿を大野さんは優しく慈しむような眼差しで
そして少し悲しそうな目で見つめていた。
カズナリくんを寝かしつけると大野さんが戻ってきて
ビールを渡してくれた。
「ありがとうございます」
「……」
「……?」
「……カズ、話せなくなっちゃったんだよね」
「……え?」
大野さんがビールを飲みながらそう小さくつぶやいた。
「姉ちゃんの旦那だった人…
子供が嫌いな人だったみたいでカズがうるさくしたり
話しかけると怒ってたみたいで」
「……え?」
そんな自分の子なのにそんなことあり得るのだろうか。
信じられないような気持で大野さんを見た。
「だからカズは普通の子供みたいに無邪気に騒いだり
話したりできない子になっちゃった」
「そんな……」
確かにおとなしい子だなと思っていた。
あまり話さない子だなと思っていた。
でもそんな理由があったなんて。
「信じらんないよね?」
「……カズナリくんのお母さんは?」
ずっと聞きたかった。
「姉ちゃんはそれでメンタルやられちゃった」
だからお姉さんの調子が悪い時は大野さんが見ていると言っていたのか。
「あんなに可愛らしいのに」
そう言うと大野さんは、ね、と小さく笑って
ビールをごくっと飲んだ。
「……」
「……」
「…俺、前に協力したいって言いましたよね?
やっぱ、それ、変わんないです」
「へ?」
大野さんが突然何を言い出すのだろうという顔をした。
「カズナリくんの事も可愛くて、俺大好きなんです」
「 ? ありがと」
大野さんが不思議そうな顔をしている。
またとんでもない事を言い出したと思われているだろうか。
想像の斜め上をいっていると笑われるだろうか。
でも。
「俺カズナリくんのために、ここに来ます。いや来たいです」
「 ? うん?」
そう言うと大野さんがきょとんとした顔をした。
「カズナリくんが大人の男の人に慣れるためにいいって言ってましたよね?」
「まあ」
「だったらカズナリくんのリハビリのために来たいです」
「ふふっ そ? じゃあ野菜不足になったらここに来る?」
そう言うと大野さんは、おかしそうにその綺麗な顔で笑った。
そんな約束をした数日後。
また大野さんが三日ほど仕事を休んでいた。
どうしたのだろうか。
連絡をしてもつながらない。
会社には体調不良だと言っているようだ。
まさかまたカズナリくんが何かあったのだろうか。
明日は土曜日だし様子見に行ってみようか。
ピンポンを押すが返事はない。
どこかに出かけているのだろうか。
何だか胸がソワソワして落ち着かなかった。
何度か鳴らすと大野さんが具合悪そうな顔で出てきた。
「大丈夫ですか?」
カズナリくんじゃない。大野さんが具合が悪かったんだ。
「ごめんちょっと調子悪くて。ご飯はまた今度にしてくれる?」
大野さんが今にも倒れそうな感じでそう言った。顔色も凄く悪い。
後ろからついてきたカズナリくんも不安そうな顔をしている。
はい、そうですか、と言ってとても帰れるような雰囲気ではなかった。
「ちょっと失礼します」
そう言って半ば無理やりに部屋の中に入り込んだ。
いつもきれいに片付いている部屋は雑然としていて
体調が悪いのにカズナリくんのために必死にご飯だけはと思って
作っていたのだろう、キッチンはぐちゃぐちゃだった。
具合の悪そうな大野さんをベッドに休ませると
ここは任せて下さいと言って襖を閉めた。
心配そうにしているカズナリくんにも大丈夫だよ言って
洗い物をし、部屋も軽く片づけた。
もともとそんなに物もない部屋だったから部屋はすぐに綺麗になった。
ふとカズナリ君を見ると大野さんがあんな状態では
とても外に出られていなかったのだろう。
暇を持て余しているようだった。
「一緒に買い物行く?」
そうカズナリくんに尋ねるとカズナリくんは、うんと小さく頷いた。
大野さんはよほど体調が悪いのだろうか。熱もあるようだ。
目をぎゅっと閉じたまま苦しそうな顔をしていた。
大野さんにスーパーに行ってきますと声をかけ
玄関で靴を履きカズナリくんに手を差し伸べる。
カズナリくんはおずおずとその小さい手を差し出した。
その小さく可愛らしい手をぎゅっと握った。
「じゃあ行こうか?」
そう言うと手をつないだままカズナリくんは、うんと頷いた。
カズナリくんはスーパーまでの道のりを
きょろきょろあっちをみたりこっちを見たり
ずっと家にいて飽きていたのだろう嬉しそうにしていた。
そして買い物に付き合わせてしまったお詫びにと
何か一つおやつを選んでいいよとお菓子売り場に行くと
カズナリくんの顔がぱっと輝いた。
おとなしくてもやっぱり子供だなと思う。可愛いなと思った。
目をキラキラさせてお菓子を選んでいる姿が
嬉しそうでこちらまで嬉しくなってくる。
こんなに嬉しそうな顔が見られるなら
来るときに小さい公園があったからそこも寄ってみるか。
そう思いながら買い物を終えると小さな公園に寄った。
カズナリくんは最初戸惑っていたけどブランコに乗るとゆっくりとこぎ始めた。
カズナリくんを乗せたブランコがブランブランと揺れる。
その姿を見ながら昔よく公園に家族で来た事を思い出す。
ブランコをこいでいると父や母が背中を押してくれた。
父や母が背中を押してくれると自分の力では
上がらない高いところまで上がった。
それが凄く嬉しかった。
スーパーの袋を置く。
そっとカズナリくんの背中を押した。
カズナリくんがびっくりした顔で後ろを見た。
「怖い?」
そう聞くと、ブランコにゆらゆら揺られながら、ううんと首を振った。
「じゃあもう少し強く押してみよっか?」
そう言うとカズナリくんは嬉しそうに、うんと頷いた。
ブランコが大きく揺れる。
カズナリくんの顔がだんだん紅潮してくる。
嬉しそうな表情をしている。
カズナリくんはブランコが飽きると滑り台に上った。
一人だとつまらないかなと思って軽く追いかけるふりをすると
嬉しそうにキャッキャ言いながら上っては滑る。
可愛いなと思った。
まだ遊びたそうにしていたけど大野さんの事も心配になり
そろそろ帰ろうとカズナリくんに告げる。
カズナリくんはちょっと寂しそうな顔をした。
だから、また来ようなと約束すると嬉しそうに手をぎゅっと握ってうんと頷いた。
やっぱり可愛いなと思った。
家に帰ると大野さんがすうすうと眠っていた。
カズナリくんにちょっと待っててねと言って台所に立つ。
スーパーで買ってきた野菜と肉を使って鍋を作る。
今まで作ったことなんてなかったけど意外と簡単なんだなと思った。
鍋のもとを入れ野菜を適当な大きさに切って入れて肉と一緒に煮込んでいく。
出来上がったところで大野さんに声をかけたけど
とても食欲はないみたいだった。
カズナリくんと二人で一緒に並んで鍋を食べる。
自分の子でもなく他人の子と一緒にこうして鍋を食べているのが
何だか不思議な気分だった。
公園で走り回ったせいかカズナリくんはたくさん食べた。
最後に残ったご飯を入れてタマゴを一つ落とし雑炊を作った。
その雑炊もカズナリくんはぺろりと平らげた。
大野さんはあまり食欲はなさそうだったけど
ベッドに運ぶと少しだけ食べてくれた。
そしてありがとというとまた眠った。
カズナリくんの事が心配でよく眠れていなかったのだろうか。
体調がすごく悪いのだろうか。大野さんはずっと眠っていた。
食事の片づけをしどうしようと思う。
大野さんは眠り続けている。
カズナリくんも疲れたのか片づけをしている間に眠ってしまっていた。
だから隣の部屋からカズナリくんの布団を運んできてそこに優しく寝かせた。
よく朝目覚めると大野さんが困り果てた顔でそこにいた。
カズナリくんはまだ隣で眠っている。
そう言えばカズナリくんの布団をリビングに運んで
寝かしつけてそのまま自分も一緒に眠ってしまったんだった。
「体調は大丈夫ですか?」
「ごめん」
大野さんが申し訳なさそうな顔で謝った。
「何で、謝らなくてはいけないのは俺の方です。
勝手に来て勝手な事をしてしまってすみませんでした」
その言葉に大野さんが首を振る。
「ずっとカズをどうしようって思ってたから…」
大野さんは泣きそうな顔をしていた。
確かにあの状態だったら自分の事はどうにかしても
子供の事はどうにもならないからどうしようと思うだろう。
「ありがと…」
大野さんがやっぱり泣きそうな顔でそう言った。
「そんな、俺、ずっとお礼がしたかったから嬉しかったんです。
それに、何作ろうかなとか。カズナリくんと今度は何して
遊ぼうかなとか考えてて楽しかったんです。
スマホで公園検索してたら近くに大きい滑り台があるっていう公園が
見つかったからそこに行ってみようかなとか思ってて」
そういい終わるか終わらないうちに
大野さんの腕がふわっと伸びてきて
ぎゅっと抱きしめられる。
そして
「ごめん、ありがと…」
そう、大野さんが震える声で言って
胸に顔をうずめた。