本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

不動護摩祈願

2006-08-31 00:13:37 | 住職の活動日記
 毎月28日1時より護摩ご祈祷が行われます。
ご本尊のお不動様の前で火を焚いてお参りするのです。
 初めての方は少し驚かれます。そしてこの暑い日に火を焚いて大変暑いのではないかと心配もされます。夏場でも五枚ほど着物と衣を着ておりますので暑いには違いないのですが不思議と暑くないのです。妙なものでぼんやりテレビを見ている時はTシャツ一枚でも暑い暑いと、暑い事ばかりが気にかかります。
 護摩を焚く時は綿の衣を着ます。普段には化繊のテトロンとかが多いのですが、やはり綿の衣は一番体に馴染みます。たたむ時が大変ですが着てお参りするには綿の衣が一番です。色の派手さもありませんが、着慣れたジーンズのように皮膚の一部のようにしっくりきます。
 話はそれますが、東寺で行われている、天皇陛下の衣をご祈祷する時の管長様方が着る衣も綿の衣に麻の袈裟なんですよ。黄色の衣に麻のこげ茶色の袈裟、ほんとに質素なんですけど、祈ると言う姿はこれでなくてはと思います。
 綿の衣と袈裟をつけて、護摩壇に座ると不思議と体のほうも観念するのでしょうね。
一時間ほどですが、暑いとは思わないのですね。しかし汗は滝のように出ますし、仏具は持てないほど熱くなってます。その時、アッチと正気に戻ります。「熱いのだ」
そういう経験は皆さんもおありではないでしょうか。
高校野球もみごとな試合ばかりでしたが、その時、選手の皆さんはきっと暑いとは感じておられなかったと思います。集中力が暑さを吹っ飛ばすのですね。
「心頭滅却すれば 火もまた涼し」です。

護摩木という木のお札に、願い事と名前と歳を書き。その護摩木をお不動様の口である炉の中で焚いてゆきます。炎は激しかったり小さくなったりしながらまるで生きているようです。
火はお不動様そのものです。
みなさまの願いが炎となってお不動様の心に届いていくような気がします。
祖父の代からの方もいらっしゃいますし、初めての方もいらっしゃいます。
(少しご年配の方がホームページを見てと言う方がお参りされました。スゴイ。感激です。見ていただいてる方がいらっしゃるなんてとても嬉しくなります)
 祖父の代からの方は段々に願い事が変わってゆきます。お孫さんの身体健全から始まって、学業、就職、良縁、子宝、そしてお孫さんの安産と、最初は便箋一枚に書いてきておられた護摩木の願い事が継ぎ足し継ぎ足しで「巻物のようになってきましたね」と言うと「これが私達夫婦の宝物です」とおっしゃっておられた笑顔がとても素敵でした。
 自分の事はあとまわし 子ども孫の無事安全を願いつづけてこられた、そして今も願い続けておられるそのお姿は 見事 天晴れ ただただこちらが頭が下がります。
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名は単に名にあらず

2006-08-26 23:45:28 | 住職の活動日記
 先日、会社を設立されると言う事で、会社の名前の相談に見えられました。
 そのとき浮かんだ言葉が「名は単に名にあらず」ということです。
東寺にいるとき、師匠の三浦先生よりよく聞かされた言葉です。
 阿弥陀という名前には阿弥陀と言う働きがあり、薬師という名前には薬師如来としての働きがあるんだ、とよく聞かされました。
 だから名前を簡単に考えてはいけない。それから名前もそうですけど、言葉と言うものにこだわりをもつようになり、何故そういう名前があるのだろうか、なぜそういう言葉なのかと、考えさせられるようになりました。
 今回の相談も、新会社の名前をいろいろ考えてこられました。しかし、もう一歩考えてほしいと提案しました。そこのお宅は祖母にあたる方が大変熱心なお不動様のご信徒で毎月お参りにお見えでした。その折今の会社のご苦労話をされておられました。
 昨日お見えになったのはお孫さんにあたる方で、その祖母にあたる方の思いをお話し、そのお気持ちを少しでも表せないだろうかと提案しました。
 帰られた後、すごく幸せな気分でした。人生の岐路にあたってお寺に相談にこられる。
これが本当のお寺の働きではないか。
ある先生が「仏教は人間学だ。仏教が宗教になったところから堕落が始まった。」とおしゃっておられました。一瞬、?。仏教は宗教ではないのかと思われるでしょうが、よくよく考えてみて下さい。またお話できる機会もあると思います。
 ありとあらゆる場面でお寺が登場できる。このことは本当に有り難いことだと思います。またお待ちいたしております。
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御影供(みえく)

2006-08-21 23:26:41 | 住職の活動日記
「御影供」と書いて「みえく」と読みます。
毎月21日は御影供といって弘法大師のご命日にあたります。
私が若い頃過ごした「東寺」というお寺にはこの日には「市」が立ち並び
何万人というお参りの方でにぎわいます。その出店の数は1400軒ぐらいで
店の数でも人出でも日本一です。
なぜ弘法大師のご命日を「御影供」と言うのでしょうか。
「影」という字が大事です。
「おかげさま」普通に使う言葉ですが、よく見てみると、
「かげ」という言葉に「お」という敬語と「さま」という敬語がサンドイッチになった言葉です。
ほとけさまそのものは見ることは出来ない。
しかし、その影としてほとけさまを感じ取る事が出来たのでしょう。
それでその影の働きに対してこの上ない感謝と畏敬の念を持って、
「お」と言う敬語と「さま」という敬語をつけて「おかげさま」といったのでしょう。
弘法大師その人にはもはや会うことは出来ない、しかし弘法大師のそのはたらきを
「影」として私たちは感じ取る事ができるのではないでしょうか。
今日もご縁のある方が集まっていっしょにお参りをしました。
その後少し法話をしました。
一緒にお茶を飲み、楽しいひとときを過ごしました。
毎月21日1時からお参りをします。
また一緒にお参りして、いろいろ語りませんか。
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お盆のお参りスマート大活躍

2006-08-19 00:17:57 | 住職の活動日記
 熊本はお盆は7月と8月の2回あります。今回はスマートの軽が大活躍してくれました。
ご存知の方もおられると思いますが、「スマート」と二人乗りの軽自動車なんです。
今年の六月半ば我が寺へやってきました。前からあこがれていた車でしたので、首を長くして待っていました。
 ところが実に乗りにくい、今までの車とはすべてが勝手が違う。キーの位置も変なところにある。陸送の方から鍵を渡されたものの、最初はどこにキーの穴があるか分からない。
 ギア-もなんかギクシャクする。
しかし、乗りこなしていくと実に面白い。変に人間に妥協しない所がいい。
 今の日本の車は人間にへつらいすぎているのでは。すべてにおいていたれりつくせり。これでいいのだろうか。豪華な応接間がそのまま走っているようです。
 うちのお寺にも家相の相談によくおみえになります。みなさん自分の好き勝手に設計されてこられる。家相にそってで少しずつ手直しをしていく、たぶんなんでこんな面倒な事をいわれるのだろう、と思っておられるのではないでしょうか。
 家相に合った家を作られた方は、最初は首を傾げられる。しかしだんだん住んでいくうちに、「やはり相談してよかった」というお言葉を頂く事が多いのです。
 このことは仏教の言葉に「人間は否定されるものによって甦る」ということがあります。肯定だけされていては本当の自分は出てこないのです。
 飛躍するようですけど、スマートの車は最初から人間に迎合してないところが実にいいと思います。だんだん楽しくなっていきます。ハンドルも重い、半分マニュアルで走ってますがギア-のタイミングもエンジンの音と合わせながらチェンジ、バックの時もウンウンとギクシャクしながら車庫入れ、こっちが車に合わせなければいけない。よく考えてみるとこんな車も本当は大事なのかもしれない。
 片手でハンドル操作も出来ない、まして携帯片手に運転なんか絶対に出来ない(上手な方はされてるでしょうが)日本でもこんな車作りも必要なのではないでしょうか。
 話は行ったり来たりしますが、大事な点は人間は不思議なもので肯定だけではなく、自分を否定されるものを自分の中に持っているのです。そして自分を否定する事によって本当の自分が出てくると言う事です。
 本当に不思議な生き物です。みなさんも考え直して見られると、そういう経験は過去にたくさんあったはずです。簡単には少し人のためになることをして喜ばれたとか、席を譲ったりもそうですね。そういうことをヒントに自分を振り返るのも大事ではないでしょうか。
 スマートから随分話がひろがってしまいました。
おやすみなさい。
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