本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

豊かさと純化

2024-10-06 20:33:26 | 十地経

大乗経典というのは豊かさの

象徴みたいなものです。

素晴らしく花開いたといえる

ように思います。

しかしそれだけでは堕落していく

という面もあります。

 

ということを講義では、

 

「豊かさということが

これが大乗では第一にいうのです。

それと同時に今度は

豊富なということと、それから純化

これがなかなか面倒なことです。

この二つ要るんです。

豊富であるということと内容がね。

それからしてその内容が

豊富であるとともに、

批判、純化、統一というこいとが

ないといかんのです。

純化していく。

これがなかなか総合することが

面倒なんです。」

 

ということは、

キリスト教にもあって包んでいく

ということがあるようです。

聞きなれない人の名前が

たくさん出てきますが

読んでみてください。

 

「ところが一方では何ぼでもつつんでいく。

イエズス会というようなもの。

プロテスタントでカルビンなんかの

反撃を受けるんだけど、

それでつぶれてしまわずに

反撃されてかえって

自分を改革していくんです。

イエズス会が生まれたんですが、

日本にザビエルが来たのも

そうです。

それなんかもどんどん包んでいく。

ギリシャのアリストテレスの哲学

でも何でも包んで。

それでついに、

ああいうようなトーマスアキナス

みたいなね。

 

何といってもヨーロッパ人が

哲学というものを知ったのは、

その、つまりトーマス、

スコラを通してですから。

スコラ神学を通して哲学を知った。

哲学とはアリストテレスでしょう。

神学を通してアリストテレスに

接したわけっです。

そういうようにアリストテレスでも

何も縁のないものです。

 

そういうものを包んでいく。

そういう結果がついに空中分解

すると。

カトリックが知らん間に、

最後にはお札売ったんです。

それでルターがそれに反撃を

加えたわけです。」

 

しかし、こういう人の名前も

丁寧に見ていくと何かしら

次第に分ってきてその

流れのようなものが見えてきます。

ところで講義によく出てくる人で

トマス・アクィナスという人が

います。

『神学大全』を書き上げたという。

ここでは出てこなかったのですが、

これはなかなかの大作で、

口述筆記によって書かれたと、

その時弟子たちは

神がトマス・アクィナスの

口を借りて言葉が出てくるようだと

言っています。

ところが、全三巻なのですが

三巻目に取り掛かった時

突然、書くのを止めてしまいます。

 

弟子に向かって

今まで書いたものは

全部捨ててしまえと、

しかし、それは出来なくて

後の部分は弟子たちが加筆する形

で完成したといわれています。

 

面白いことに、

安田先生も、弟子の方々が

先生の全集を作りましょうと

言った時、

余計なことはするなと

そんなもの作らんでもいい、

自分の書いたものも全部焼けと

何か、トマス・アクィナスと同じ

ようなことを言っておられます。

 

困った弟子たちがどうしようかと

相談している時、

お釈迦さまのお経は感動した弟子たちが

書き記したものですよね。

と、そこにいた三浦先生が

そうおっしゃると、

それはそうですよ。と仰った。

みながきょとんとして

どうしたものかと思っていると

あなた達は先生の話を聞いて

感動しなかったのですか。と、

感動した人が作ればいいのだ、

ということで、

全集が完成したという経緯が

あります。

 

ところが、この『十地経論講義』

は全集に入っていません。

最初の頃はなぜだろうと思って

いたのですが、

今となっては

やはり入れなくてよかったのでは

と思うようになりました。

この講義も

ひとえに三浦先生に対して

説かれたもので、

その講義の内容が洛南高校を

作り上げていったのです。

 

普通いう講義録というより

実践の講義です。

ですから私にとっては

他の先生の講義よりもより貴重な

ものなのです。

 

 

 

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